保阪正康 日本史縦横無尽
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「朕ハ」に込められた天皇の謝罪 東亜の国々に詫びる形を取っている
外務省の見解で「米英二国並ニ重慶政権ソヴィエート連邦」とあるのは、いまさら中国の政府に意地を張っているように見えて、体面が悪いということであろう。それに重慶政権という言い方の中にも、このような言い方…
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終戦詔書を手直しする過程 第1案「米英重慶並ソヴィエート政府」の意味
「義命」にするか「時運」にするかは、閣議でも議論になっている。「義命」に反対する閣僚からは「表現が難しいのではないか」とか「そもそもこういう語彙があるのか」という意見があった。こうした語を用いることで…
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「敗戦」かそれとも「終戦」か…源は8月14日(第2回の御前会議)にあった
改めて整理すべきことなのであるが、8月14日の第2回の御前会議の様子についてはすでに、歴史的にかなり詳しく史実として知られている。天皇は切々と敗戦を受け入れる状態にあり、現状で推移するならば、この国…
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「『時運の赴く』では時のままに流される意味」と反対した安岡正篤の心情
安岡正篤が手直しした部分がそのまま生かされなかったことで、この詔書は関係者の間でも複雑な受け止め方をされた。その一部を前号までに説明してきたのだが、その部分をさらに補完していきたい。 天皇が…
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詔書の原案 天皇は国体護持を認めない判断にはかかわるべきではない
前述したように原案は第1稿から第2稿へ、いくつか部分的に手直しをした上で8月13日の夜、安岡正篤の元に推敲の意味を込めて届けられた。安岡はこの該当部分について、次のように直したとされている。 …
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国体護持が難しければ、臥薪嘗胆の覚悟で耐えていこう
迫水久常や内閣嘱託の川田瑞穂がまとめた第1稿が、どのようにして最終的に天皇によって読まれた終戦詔書となったのか、もうひとつの例を見ていくことにしよう。終戦詔書は後半部に、よく知られた次のような文言が…
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戦争終結を急がなければ、歴代天皇に対して申し訳ない気という昭和天皇の気持ち
第1稿では、戦火の拡大によって「人類共存」の本義が否定されるといっているが、第2稿では「人類生存」が否定されると変わっている。この違いは精密に検証されなければならないように思う。 戦火の拡大…
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統帥権天皇ながら「政治的天皇」として終結を考える
第1稿に対して、御前会議の内容に即してさらに 迫水久常や川田瑞穂らにより手直しが行われた。それを先に見た内容と照らし合わせると、いくつかの重要な違いが出てくる。この直しも紹介しておこう。 「朕…
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政府は戦争の非人道的側面で敗戦を受け入れようとした
まず第1稿では次のようになっていた。少々長くなるのだが、重要な部分なので、以下にそのまま引用しておきたい。 「朕ハ戦局益々不利ニシテ敵国ノ人道ヲ無視セル爆撃ノ日ニ月ニ苛烈ヲ極メ朕カ赤子ノ犠牲益…
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開戦詔書と5つの基本的な違い 終戦詔書の変節を見れば敗戦の具体像を掴める
終戦詔書と太平洋戦争の開戦詔書は、奇妙な例えになるのだが、入り口と出口という言い方もできるであろう。戦争を始め、そして敗戦で終わる。 始めた時の理由と終わった時の理由を整理することで、日本の…
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終戦詔勅「書記官長・迫水久常が3日間徹夜して書いた」は嘘だったのか?
終戦詔書の原案はどのように書かれたのか、誰によって中枢部分が記述されたのか、そのことを改めて確認していこう。終戦内閣と言われる鈴木貫太郎内閣は、こうした文案に対して責任を負わなければならないのだが、…
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78年前のミステリー「終戦詔書の原案」は誰が書いたのか?
書記官長の迫水久常は、2人の人物に相談したとその回顧録(「機関銃下の首相官邸」)の中に書いている。その2人とは、漢学者の川田瑞穂(内閣嘱託)と東洋史の権威とされる安岡正篤である。迫水は、2人に首相官…
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原稿用紙を何枚も破り捨て…迫水久常は極秘の終戦詔書を涙で濡らして書いた
太平洋戦争の末期、日本は平衡感覚を全く失っていた。つまり軍事の指導者層は正常な判断ができない状況に追い込まれていたと言ってもいいかもしれない。政治指導者たちの一部が辛うじて軍事の暴走を止めようとして…
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戦況の悪化に伴い、軍事指導部は妄想に取りつかれていった
戦争末期に吉田茂が逮捕された一件についてその裏側のエピソードを語ってきたのだが、この事件は今も不透明なところがある。その中心は、何としても吉田をアメリカやイギリスと通じているスパイに仕立て上げようと…
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スパイの告白に「今は僕の方が勝ったことになるなあ」と答えた吉田茂
吉田茂の別邸に書生として入り込んだ陸軍省兵務局防諜課のスパイ、東の手記を基に戦後の関係にも触れておくことにしたい。日本の敗戦とともに、スパイとして隠微な役割を演じた課員は、それぞれの生活に戻っていた…
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終戦を迎え、スパイたちは4日間かけて書類を燃やし工作を隠蔽した
戦火が激しくなった場合、近衛文麿が身を寄せるのは、鶴巻温泉の一角にあるこの別荘であろうとの推測は間違ってはいなかったようだ。陸軍省防諜課のスパイたちが20日間近くかけて電線を引き、マイクロホンをこっ…
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スパイたちは山を越えるほどの電線を張り巡らし、近衛文麿の会話を盗聴した
戦争末期に近衛文麿の動きを監視するようになったのは陸軍の内部に、何としても天皇に講和の方向を模索させてはならないとの思惑があったからだった。天皇を本土決戦に巻き込み、出来うるならば信州の松代に密かに…
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東輝次は鶴巻温泉のY旅館にアジトを変え近衛文麿の監視に移った
近衛文麿の天皇への上奏文は、天皇を驚かし、陸軍を怒らせた。そして吉田茂らのヨハンセングループで事情を知る者は近衛が時局に意思表示をしたことに密かに歓迎の意を示した。各書の書くところでもあるのだが、こ…
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皇道派系軍人で戦況を変えようと考えた近衛文麿の恐怖の感情
この戦争の敗戦はそのまま共産革命につながっている、というのは誰が書いたのか。むろん近衛文麿が天皇に差し出した上奏文だから、近衛の責任で書かれたことになっている。近衛のような貴族階級には、こうした恐怖…
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天皇制軍隊が共産主義に近似しているという「近衛上奏文」
吉田茂が軍事指導部に狙われた理由は、近衛上奏文の内容をヨハンセングループに伝えたという点にあった。近衛が自らの意思を天皇に伝えるのは、意見を求められているのだから当たり前のことであった。しかしその内…