オリックス元代表 球界への遺言
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謎だらけの自殺 三輪田は裏社会の連中に脅された可能性
沖縄に事後処理に出掛けた管理部長の矢野清によれば、三輪田勝利編成部長は賃貸マンションから身を投げる前、那覇の繁華街のど真ん中にあるホテルに行ったらしい。そこまで三輪田を乗せたというタクシー運転手の話…
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死の直前に三輪田を繁華街に運んだという運転手の証言
なぜ、どうして……いったい、何があったのか……。 1998年11月27日午後、三輪田勝利編成部長が沖縄の賃貸マンションから身を投げたと聞いた瞬間、驚きと、悲嘆と、落胆と、疑念が頭の中で交錯し…
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三輪田が「栽監督はヒドい」と呆れた言動の一部始終
「いや~、栽監督はヒドいですよ」 1998年11月26日の夕方、電話をかけてきた三輪田勝利の第一声がこれだった。 20日のドラフト会議で「ダイエー以外なら進学」の新垣渚投手(沖縄水産高…
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5000万円の裏金をのんだ途端 栽監督の態度が急変した
「何を言っているんだ! ここまできて、降りられるか! 5000万円だろうと、1億円だろうと、カネについてはオレが責任をもつから、いくぞ。カネで解決するのなら、いくらでもええやないか。ウチは引っ込むわけ…
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裏金5000万円要求されると三輪田は交渉中止を訴えてきた
新垣サイドは案の定、かたくなだった。 1998年11月20日のドラフトで、オリックスは「ダイエー以外なら進学」の新垣渚(沖縄水産高)を1位指名した。 翌朝、当時の編成部長で、新垣を担…
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三輪田編成部長に“ダイエー1本”の新垣を担当させたワケ
「さっき、九州担当の山本公士スカウトから電話があったのです。きょうの会議でドラフト1位は新垣渚でいくと結論が出たと聞きましたけど、絶対にやめてほしいと。これまで自分が散々、話をしてきたが、ダイエーに決…
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新垣指名のドラフト前夜 三輪田編成部長に呼び出された
「ブォーーン」 霧笛がこだまする。雨が降りしきり、大阪湾に向かって広がる神戸の街並みは霧がかかっている。 「ブォーーン」 海上はよほど霧が深いのか、再び霧笛がなる。眼下の風景はま…
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ダイエー入り濃厚な平井正史を取りたくて根本監督に電話
「間違いなく高校生ナンバーワン投手ですけど、絶対に取れませんよ」 「取れませんと言うが高校生。指名してしまえばいいだろう」 「いや、ダイエーががんじがらめにしていますから無理ですよ」 …
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阪神には新庄剛志の譲渡を何度も打診した
「代表、ちょっと話があります」 1992年12月22日、暮れも押し迫った時期に発表したオリックス・松永浩美三塁手と阪神・野田浩司投手の交換トレード。わたしが松永に阪神への移籍を通告して数日後、…
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松永浩美の交換要員に当初指名した“阪神投手”の名前は
1992年12月1日、野田の阪神電鉄本社で三好一彦球団社長に会い、松永浩美の交換トレードを打診した。 先発投手の補強が狙いで、当初、交換要員に指名したのは野田浩司ではなかった。この年、11勝…
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松永浩美はチームを引っ掻き回すから阪神に放出した
1992年12月1日の午前中、わたしは野田の阪神電鉄本社にいた。 正午から梅田のホテル阪神でウエスタン・リーグの会議があったため、その前に阪神の三好一彦球団社長を訪ねたのだ。目的は松永浩美の…
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中西ヘッドはオフのたびに仰木監督の年俸を聞きにきた
1994年オフ、仰木監督から中西太さんをヘッドコーチにしたいと申し出があり、わたしが交渉に出向いた。 中西さんは最初、「仰木の頼みなら」と好感触だったものの、年俸は5000万円だと告げたとた…
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中西太さんは年俸5000万円と聞くなり「この話は終わり」
「とにかく(中西)太さんを取ってください」 1994年のシーズンが終わると、仰木彬監督はこう言った。 就任1年目は首位・西武から7.5ゲーム離された2位。92本塁打はリーグワースト、6…
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V旅行中の仰木監督が船酔いでダウンしてやっていたこと
1995年12月、優勝旅行でオーストラリアに出掛けたときの話だ。 ある日、チーム全員で、世界遺産のグレートバリアリーフに出掛けた。船で30分ほどかかるサンゴ礁群。澄んだ深い青色の海に目を奪わ…
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「ユニホーム着なければ」 米球界帰りの桑田が言ったこと
「まだ、野球をやりたいのでしょう? やる自信もあるんでしょ?」 2008年4月17日、芦屋市内のホテルで中村勝広球団本部長とともに桑田真澄と会ったわたしは、彼の率直な気持ちが知りたかった。 …
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92年と08年にオリがアタック 桑田真澄獲得交渉の内幕
オリックスは桑田真澄に2度、ふられている。正確にいえば2度、獲得に乗り出し、いずれも実現しなかった。 1度目は1992年10月20日。西武球場で行われる予定だった日本シリーズ第3戦が雨天中止…
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オーナー推薦も 清原のオリ打撃コーチ就任が消えた顛末
「あのな、君、さっきからダメだダメだと言うけど、なぜ、彼をコーチにしたらダメなんだ?」 宮内義彦オーナーがあるとき、こう聞いてきた。「彼」とは08年に現役を引退した清原和博のことだ。 …
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宮内オーナーが清原をコーチにしたらどうかと聞いてきた
■大阪進出 オリックスで最初に清原和博に目を付けたのは仰木彬監督だった。 2004年オフ、球界再編によって近鉄と合併、2度目の監督に就任した直後の話だ。 といっても、純粋な戦力…
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オリ監督就任前 仰木彬氏が古巣の近鉄から言われたこと
「あの話はなかったことにしてください」 1993年9月25日早朝、ニューヨークのホテルに、仰木彬さんから電話がかかってきた。 「あの話」とは、オリックス次期監督のこと。約1週間前に電話で…
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就任内諾の仰木彬監督が大慌てでNYに電話してきたワケ
「悪いけど来年は契約しないことになった。チームを育ててもらい、本当に感謝しています。ご苦労さまでした」 1993年のペナントレース終盤、場所は球場の監督室だった。 わたしはこの年限りで…