語り部の経営者たち
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ネクスト井上高志社長<4> 業界の“悪しき慣習”解消も使命
出向先のリクルートでやらされたのは、新卒求人媒体の営業だった。リクルートコスモスの横浜支社長に「1年以内にトップを取る」と宣言。元の職場に戻してくれると信じて、井上氏は営業に精を出した。不動産業がや…
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ネクスト井上高志社長<3> 5年以内に独立起業すると決意
就職活動で大企業の内定は次々にもらえるのに、社員わずか30人のベンチャーには落とされ、「ようやく自分の浅はかさに気づいた」と振り返る井上氏。ちょうどその頃、もうひとつショックなことがあった。同じシー…
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ネクスト井上高志社長<2> 就活では内定を次々にゲット
1歳上の兄は慶大経済学部に進み、大手総合商社に就職。エリート街道を順調に歩んでいたが、追いつこうという気持ちはなくなっていた。母の「あなたは大器晩成よ」の言葉に救われ、兄と自身を比較することをやめた…
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ネクスト井上高志社長<1> 子供のころは引っ込み思案だった
総掲載物件数698万件と国内最大級の不動産ポータルサイト「ホームズ」を運営するネクスト。今年2月には調査機関のGPTWジャパンが発表する「働きがいのある会社・日本版」において6年連続でベストカンパニ…
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アントワークス早川秀人社長<4> 55歳までに代表を譲りたい
すた丼屋の創業者、橋本省三氏(オヤジ)が、がんにより50歳の若さでこの世を去ったのは1994年、早川氏が30歳の時だった。オヤジの後は、当時の国立東店の店長が代表取締役、早川氏が専務となり、店を引き…
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アントワークス早川秀人社長<3> 不良に一目置かれたオヤジ
アルバイトに誘ってくれた友達は、先に国立の店で働いていた。人手不足だからと、すた丼好きの早川氏に声をかけてくれたのだ。深夜に働いても時給は500円。 「そのかわりシフトに入っていない時でも、店…
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アントワークス早川秀人社長<2> 高校中退、職を転々として
不良ながらも成績優秀で、中央大学付属高校を第1志望とした早川氏。だが受験には失敗した「面接の担当者と、大ゲンカしてしまいました」。どんな高校生活を送りたいのかと聞かれ、「家を出て自活したい」と答えた…
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アントワークス早川秀人社長<1> 父が警官なのに補導歴8回
ニンニク醤油味の、なんとも中毒性のある豚肉炒めが大盛り飯の上にこんもりとのる「すた丼」(すたみな丼の略)。この丼を売りにする「伝説のすた丼屋」「名物すた丼の店」を、全国各地に72店展開するのが、アン…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<8> ヨソ者だからこそできる改革
鳥塚社長は就任2カ月後から、いすみ鉄道のHP上でブログを始めた。 「地域にはこんな問題点がある、まだ気づいていないこんないいところがあるなど、率直につづってきました。中には、炎上したことも(笑…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<7> 10人のうち1人が来てくれればいい
鳥塚社長いわく「鉄道マニアの究極の夢は、自ら列車を運転することだ」という。 「でも、新卒時を逃すと、ほとんど就職のチャンスを得られないのが日本の鉄道業界の現状です」 「700万円訓練費用…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<6> 百円玉から1万円札のビジネスへ
観光鉄道化には、まずは、目玉になる列車が必要だと、鳥塚社長は思った。しかし、赤字にあえぐいすみ鉄道の予算は限られている。 そこで考えたのが、ムーミン列車だった。アニメのキャラクターなら、既存…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<5> 年収半分以下を承知でチャレンジ
1987年、いすみ鉄道は、千葉県、大多喜町、いすみ市、千葉銀行などを株主に第三セクターとして設立された。それから20年以上、毎年1億円の赤字を垂れ流し、そのたびに行政からの補助金を補填しているという…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<4> 鉄道ビデオ制作会社と二足のわらじ
筋金入りの鉄道マニアだった鳥塚社長は、小学生のころから小さなカメラで鉄道写真を撮っていた。そこに、大人の鉄道マニアが高級カメラを構えて、「小僧、邪魔だからどけ」と押し入ってくる。 「そういう連…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<3> 国鉄をあきらめ航空業界へ
「取りあえず大学に行け。4年経って、それでも国鉄に行きたかったら、そのときに行けばいいじゃないか」 高校を卒業したら国鉄に入ると決めていた鳥塚青年ではあったが、経営悪化が取り沙汰されていたこと…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<2> 国鉄マンになりたい!
鳥塚社長が小学4年生のとき、職員室に行くと、担任教師が見たことのない本を開いていた。 「出張するので調べているんだ。鉄道のことがすべて載っている本なんだよ」 これが、鳥塚少年の鉄道好き…
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いすみ鉄道・鳥塚亮社長<1> 観光鉄道化で存続危機を救う
「いすみ鉄道の沿線は、春になると菜の花で彩られます」 筆者がいすみ鉄道の存在を知るようになったのは数年前、春先になると、菜の花の名所としてテレビで取り上げられるようになってからだ。 そ…
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WOWOW和崎信哉会長<4> お荷物だったテニス中継を変えた
25年前に開局した当時のWOWOWは、ハリウッドを中心とした映画がキラーコンテンツだった。いまでも映画はWOWOWを支える重要な柱だが、加えて音楽でも、スポーツでも、ドラマでも、WOWOWでしか見る…
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WOWOW和崎信哉会長<3> 「ドラマW」はいまやブランドに
テレビのデジタル放送は、2000年からBS放送で、03年から地上波で始まった(ともに11年に完全移行)。和崎信哉のNHKでの最後の仕事は、デジタル化の推進だった。 「アナログからデジタルへの移…
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WOWOW和崎信哉会長<2> 井上靖や司馬遼太郎らと現地を取材
現在、WOWOWの会長である和崎信哉のテレビマン人生は、NHKから始まった。 最初の17年をディレクター、次の10年をプロデューサーとして制作現場に立ち続け、数多くのドキュメンタリーを送り出…
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WOWOW和崎信哉会長<1> 制約が多い方が面白い番組できる
有料衛星放送WOWOWは、4月1日、開局25周年を迎えた。加入者数はここ10年間伸び続けており、現在、約280万世帯。開局からしばらく続いた赤字も、いまでは安定的に利益を生むようになった。日本初の「…