五木寛之 流されゆく日々
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連載10748回 50年目の『青春の門』─第九部(漂流篇)のこと─ <3>
(昨日のつづき) 今回の第九部の背景になっているのは、1961年から62年にかけての時代である。 大学を横に出た私は、その頃、CMソング、テレビ・ラジオ、レコード関係の底辺を漂流しつつ仕事をし…
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連載10747回 50年目の『青春の門』─第九部(漂流篇)のこと─ <2>
(昨日のつづき) この日刊ゲンダイ紙の7面に連載されている保阪正康さんの『歴史から新元号の今を見る』(日本史縦横無尽)を愛読しているのだが、先日、中野正剛と東條英機についての記述があった。 中…
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連載10746回 50年目の『青春の門』─第九部(漂流篇)のこと─ <1>
自分自身のためのPRである。 数日前に、新しい単行本が出た。『青春の門』(漂流篇)である。ようやく第九部までたどりついたのだ。 この物語を書きはじめたのは、いつ頃のことだろうか。恥ずかしなが…
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連載10745回 さらば深夜の友よ <2>
(昨日のつづき) きのうは栃木へいってきた。午前中に起きて、東北新幹線に飛び乗り、小山へ。 浄土宗系寺院の住職有志による『仏教耕心の会』主催の講演会である。小山へは以前もこの会に呼ばれて講演を…
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連載10744回 さらば深夜の友よ <1>
このところ次第に夜が短くなった。季節の話ではない。夏が過ぎれば、夜は長くなっていく。しかし、それと反対に、夜の時間が少しずつ少しずつ失われていく気配があるのだ。 ブラート・オクジャワは、60年代…
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連載10743回 明治の演歌とラップ <8>
(昨日のつづき) 明治の演歌は言葉の奔流だった。リズムに乗せて、歌うというよりガナリ立てる感じだっただろう。 街角で足を止め、それを聴く側も歌詞の中身に耳を傾けたにちがいない。歌の上手下手より…
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連載10742回 明治の演歌とラップ <7>
(昨日のつづき) 明治から大正に変っていくなかで、国家権力が力を増していく。 自由民権をとなえて政府批判をくり返していた壮士、書生も、出世街道へと転進して、権力に反抗する者は危険思想の持主とし…
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連載10741回 明治の演歌とラップ <6>
(昨日のつづき) 明治の演歌の特徴は、なによりもまず言葉の量である。リズムに乗せて口ずさんでみると、すこぶる気持ちがいい。歌詞がメッセージであると同時に、音としてスイングするものがあるのだ。 <…
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連載10740回 明治の演歌とラップ <5>
(前週のつづき) 明治時代の演歌の話の続きである。当初は政治青年、活動家たちによって歌われた街頭演歌は、一種のデモンストレーションだった。 壮士芝居、政治講談とならんで、権力のあり方を痛烈に批…
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連載10739回 明治の演歌とラップ <4>
(昨日のつづき) 当時、流行った壮士節の中から、たとえば『改良節』の歌詞を見てみよう。『ヤッツケロ節』や『浮世節』などと共に、街頭で歌われたヒット曲の一つである。 <鼻唄うたってベランメー…
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連載10738回 明治の演歌とラップ <3>
(昨日のつづき) 自由民権をとなえる政治青年・運動家たちの中から、さまざまな大衆運動が起こった。 昭和期戦前の大弾圧のあと、民芸運動、民謡ブームが起こったのと似ている。 演劇、歌、講談、な…
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連載10737回 明治の演歌とラップ <2>
(昨日のつづき) 演歌、という言葉も、いまや色褪せてきた感がある。テレビの『演歌の花道』あたりがその落日を飾る最後の光芒といっていいのかもしれない。NHKの紅白でも、年ごとに演歌の出番は縮小し続け…
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連載10736回 明治の演歌とラップ <1>
「敬老の日」を含めての3連休である。 インターヴューだの打ち合わせだののない3日間を、ほとんどベッドの中で本を読んで過ごした。 こういう時は、薄い本では困る。あっという間に読み終えてしまうから…
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連載10735回 明日の風は吹くのか <5>
(昨日のつづき) 今日は『小説すばる新人賞』の選考会。 夕方、編集部の女性と共に選考会の会場へ。 昨年の誕生日に選考委員の有志からプレゼントされたステッキをついて出席。 よくお似合いで…
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連載10734回 明日の風は吹くのか <4>
(昨日のつづき) 報道の力というものは、大きく報じるところにあるのではない。 むしろ小さくしか報じないところにあるのではないか。さらに言えば、報道しない黙殺にこそ、その最も大きな影響力があるの…
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連載10733回 明日の風は吹くのか <3>
(昨日のつづき) 『風に吹かれて』というボブ・ディランの歌が世界的に流行した時代があった。当時、私は金沢に住んでいた。 下駄をはいて兼六園を横切り、旧四高の赤煉瓦の校舎前を過ぎて、香林坊の書店を…
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連載10732回 明日の風は吹くのか <2>
(昨日のつづき) 情報社会というのは、さまざまな情報が氾濫して、どれが本当なのか見当がつかなくなる社会のことだ。 炭水化物批判が燎原の火のように広がった時期は、食堂やレストランでライスを残す光…
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連載10731回 明日の風は吹くのか <2>
日曜の夜、台風のニュースでテレビは大騒ぎだ。 いつもこういうニュースの時に感じるのは、報道するスタッフが、いかにも生き甲斐を感じているかのように躁状態になっていることである。本当に楽しくて仕方が…
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連載10730回 風の盆直前の富山へ <5>
(昨日のつづき) 土地というのは、結局は人だ。 その土地の人間との交友で、土地の印象は創られる。 大学時代の仲間にI君という男がいた。彼は滑川の出身だった。学生時代からパートナーがいて、彼…
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連載10729回 風の盆直前の富山へ <4>
(昨日のつづき) 私の場合、一般の講演は90分が定番だ。1時間半というのは、長いようで短い。もともと雑談が好きなのである。講演といっても学者先生のそれとはちがって、その場その場の成行きで喋っている…