五木寛之 流されゆく日々
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連載10708回 雑読、濫読の夏は来ぬ <2>
(昨日のつづき) いろんな本を読んでいるうちに、ふと立ち止ってしまうことがある。 どう読めばいいのかわからない漢字が文章の中に出てくる場合だ。子供の頃から講談本や大人の本を読みあさってきたので…
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連載10707回 雑読、濫読の夏は来ぬ <1>
酷暑の続く日々だが、こちらは冷房病で悩まされている。高齢者にとっては、暑さよりも冷えのほうが辛いのだ。ジャケットを常時、持ち歩いていても、それでもなお寒さに耐えられない時がある。 カフェなどで客…
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連載10706回 老化の実体について <5>
(昨日のつづき) 穏かな老後、などというものはない。 まれにそういう人もいるだろう。しかし、それは半分ボケている状態かもしれないのだ。 身体は日々おとろえていく。精神活動もしかりだ。下降し…
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連載10705回 老化の実体について <4>
(昨日のつづき) 老化のもっとも顕著な現象の一つが、「ふらつき」である。文字通りフラフラするのだ。 歩いていて、ふらつく。中心線をトレースしているつもりでも、自然に左右にぶれるのである。要する…
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連載10704回 老化の実体について <3>
(昨日のつづき) 実態と書かずに実体と書いたのは、理由がある。実態は物事の本質よりも、表面の具体的な現象をさす。実態調査などというように、数字をあげての報告である。 実体のほうは本質というか、…
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連載10703回 老化の実体について <2>
(昨日のつづき) 高齢化のスピードがどれほど未曽有の物凄いものであるかは、まだほとんど世の中に実感されていない。 『痛みのサイエンス』(半場道子著/新潮選書)によれば、ギリシャの鉄器・青銅器時代…
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連載10702回 老化の実体について <1>
最近はなんでも言い替えることがはやっている。 戦争中は軍部の得意技だった。退却を転進という。全滅を玉砕というにいたっては、国民も内心、眉をひそめる気配があった。今の政府も言い替えは慣れたものだ。…
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連載10700回 自己責任の時代に <4>
(昨日のつづき) 高松での講演を終え、17時40分の全日空で羽田へ。 高松は地方都市の中では格段に道路が広く、空港まで予定より早く着いたので、うどんを食べる。腰のない金沢のうどんとは、まったく…
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連載10699回 自己責任の時代に <3>
(昨日のつづき) 高松へいく。さすがに日帰りは無理だ。羽田から高松への便は、ひどく冷遇されているというか不便なターミナルから出発する。バスで飛行場の別な建物まで移動しなければならない。 余裕を…
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連載10698回 自己責任の時代に <2>
(昨日のつづき) 最近、自己責任、という言葉が、再び話題になってきたようだ。 たぶん、老後の生活を維持するためには最低2000万円の貯金が必要、という話に関して出てきた話題だろう。 国や政…
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連載10697回 自己責任の時代に <1>
西日本は豪雨の様子。明日、高松へ行く予定だが、空の便は予定通り運航するのだろうか。 旅に出るときは、黒のキャリー・バッグを一つ持っていく。安売りの店で10年ほど前に買ったバッグだが、これがなかな…
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連載10696回 寒い夏におろおろと <4>
(昨日のつづき) 扁桃腺の腫れは少し引いたようだ。 体の不調は、できるだけ1日か2日で治めるほうがいい。「治」という字を、「治る」「治す」というふうには読まないのが私の流儀である。「治める」「…
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連載10695回 寒い夏におろおろと <3>
(昨日のつづき) 寒さが苦手、といっても、冬の寒さは平気なのだ。夏に寒いのがこたえるのである。 昨日の夜あたりから、なんとなく扁桃腺の具合いがおかしい。たぶん、これも夏の寒さのせいではあるまい…
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連載10694回 寒い夏におろおろと <2>
(昨日のつづき) 汗をかかない、という人がいる。最近は真夏でも汗をかかずに暮すことが可能になってきた。 日々の暮しの中では汗をかかず、わざわざ料金を払ってサウナで大量の汗をかく。 養生の面…
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連載10693回 寒い夏におろおろと <1>
また寒い夏がきた。 と言っても、いわゆる冷夏のことではない。冷房のききすぎた人工的な寒さのことである。 毎年、夏になると同じ愚痴を書きつらねるのだが、なぜこんなにクーラーを使うのか。 適…
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連載10692回 『眠り』について考える <5>
(昨日のつづき) きょうはめずらしく早起きした。午後1時すぎに目覚めて、夕方まで仕事をしたのだ。 午後1時に起きて自慢するなどということは、狂気の沙汰だろう。世間の人は朝の7時か8時には目覚め…
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連載10691回 『眠り』について考える <4>
(昨日のつづき) 眠りを死として考える文化もある。 <安らかに眠れ> とか、 <永遠の眠りにつく> などというのがそうだ。たしかに眠りと死とは、相通じるものがあって、<永眠>という言葉…
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連載10690回 『眠り』について考える <3>
(昨日のつづき) 眠を貪る」という言葉がある。眠ることに対する東洋的な思想の背景には、眠りを否とし、覚醒を是とする傾向があるようだ。 「人生は一場の夢である」 と、いう考え方もある。しかし考え…
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連載10689回 『眠り』について考える <2>
(昨日のつづき) むかし出版バブルといっていい時代があった。小説家が出版社や雑誌社に追い回されて、カンヅメが当り前だった頃である。 私たちの60年代、70年代もそうだったのだから、戦後のジャー…
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連載10688回 『眠り』について考える <1>
今日も4時過ぎに目覚めた。 4時といっても午後の4時である。朝にベッドに入って、夕方に起きる生活が、もう50年以上も続いているのだ。 それでも若い頃(といっても中年時代だが)は、一気に8時間…