五木寛之 流されゆく日々
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連載10422回 何歳まで運転は可能か <1>
先日、90歳の婦人が交通事故をおこし、5名の死傷者をだした。新聞、テレビとも、かなりのスペースと時間を割いて報じていたから、ご存知の方も多いだろう。 破損した車の映像は衝撃的だった。車対車の事故…
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連載10421回 東京五輪の夢の後に <5>
(昨日のつづき) 『君たちはどう生きるか』の後にくるものは、何だろうか。 それは「君たち」と呼びかけた少年たちからの返答である。 「おじさんたちはどう死ぬのか」というのが、その率直な問いではな…
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連載10419回 東京五輪の夢の後に <3>
(昨日のつづき) かつて戦時中の私たち日本人は、「神州不滅」という物語を信じていた。 嘘のようだが、最後には神風が吹くだろうと思っていた。そう信じていればこそ、世界の大国相手に戦争をするなどと…
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連載10419回 東京五輪の夢の後に <3>
(昨日のつづき) ブッダは死後の世界については語らなかった。 霊とか、あの世については、口を閉ざして答えようとしなかったという。 そのブッダの対応は、「無記」という表現で伝えられている。 …
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連載10418回 東京の夢の後に <2>
(昨日のつづき) 『人は死ねばゴミになる』という言葉が、話題になったことがあった。 元検事の伊藤栄樹さんというかたのガン闘病記として、感動的な著書だが、そのタイトルがひどく刺戟的だったので、それ…
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連載10417回 東京の夢の後に <1>
東京五輪大会も、あと数年に迫った。 2020年代の時代のテーマは何だろう。目下のところは「老い」と「健康」そして老後の経済と孤独が主なテーマである。 1947年から49年前後に生まれたイナゴ…
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連載10416回 ヘルス・リテラシー <5>
(昨日のつづき) ポスト・トゥルースだのヘルス・リテラシーだのと気取ったことを言っているうちに、足もとから現実的な問題が目の前に立ちふさがってきた。 5月24日付けのこの日刊ゲンダイで、私の連…
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連載10415回 ヘルス・リテラシー <4>
(昨日のつづき) リテラシーとは、要するに見別ける力のことである。読解力といってもいい。 さまざまな表現の中から、正しいものを取捨選択し、再構成し編集する。情報はあふれ返っている。クズもある。…
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連載10414回 ヘルス・リテラシー <3>
(昨日のつづき) リテラシーとは、最近よく耳にするようになった言葉だ。もともと読み書きの能力などをさす用語らしいが、いまは情報・知識などの活用能力をいう場合が多い。 要するに氾濫する情報のなか…
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連載10413回 ヘルス・リテラシー <2>
(昨日のつづき) 飲酒、すなわちアルコールの摂取についても百人百説がある。それぞれ立派な肩書きのある専門家の意見だけに、やはり気になって仕方がない。先日、見たテレビの健康番組でも、?と思わせられる…
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連載10412回 ヘルス・リテラシー <1>
最近の健康情報の氾濫は、すさまじいの一語につきる。テレビ、週刊誌をはじめ、新聞、単行本など、かつてなかったほどの健康特集のフィーバーぶりである。 これまでも健康や病気に関する記事は、メディアの米…
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連載10411回 下山の成熟とはなにか <5>
(昨日のつづき) 欧米にコンプレックスを持つわけではないが、ヨーロッパやアメリカの街を歩いて感じることがある。 それはとりもなおさず時間をかけて熟成した文明の厚味である。 わが国にも歴史を…
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連載10410回 下山の成熟とは何か <4>
(昨日のつづき) たかが一つのバッグである。どんな名前をつけようが、それはメーカーの勝手だ。しかし、カラッチオラの名前を冠したバッグには、背後に一つの物語がある。 その物語のイメージが文明の成…
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連載10409回 下山の成熟とは何か <3>
(昨日のつづき) なぜ私はそのドイツ製のバッグを購入したのか。カラッチオラという商品名は、いかなる人物の物語から名づけられたのか。 私はくわしいことは知らないが、ルドルフ・カラッチオラという人…
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連載10408回 下山の成熟とは何か <2>
(昨日のつづき) 成熟とはどういうことか。 それは経済力の発展とイコールではない。ある意味で、成熟とは「物語」の有無ではないかと思う。 一つの商品を輸出する。それを外国の人びとが買う。そこ…
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連載10407回 下山の成熟とは何か <1>
かなり以前、幻冬舎から『下山の思想』という新書を上梓したことがあった。 高成長の時代、すなわち登攀の時代は終った。これからは下山の時代である。私たちは下山の思想を強化しなければならない、といった…
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連載10406回 老いと死を見つめて <5>
(昨日のつづき) さて、<孤独に耐え切ることは人間には不可能であり、そして不可能と知りつつも人間は、昇華の手段を希求するのである>と西部氏は言う。 <さらにそのあとにかならずやってくる死の恐怖、…
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連載10405回 老いと死を見つめて <4>
(昨日のつづき) 高齢者の老いについて、西部邁の文章はこんなふうに続く。 <(前略)私も二十代の前半において、三年ばかり、結構な孤独を味わったことがあるが、それは自分であえて創りだした孤独の環境…
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連載10404回 老いと死を見つめて <3>
(昨日のつづき) 「老い」というものは、たしかに厄介で困ったものだ。私も日々、それを痛感しながら生きている。 訪れてくる人も少くなり、語り合うべき友人は次々と逝ってしまう。記憶力や表現力もおとろ…
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連載10403回 老いと死を見つめて <2>
(昨日のつづき) 『愛と死をみつめて』という物語や歌が大流行したのは、1964年の東京オリンピックの頃ではなかったか。本、映画、TVドラマ、そして青山和子のうたう「まこ 甘えてばかりでごめんね」とい…