五木寛之 流されゆく日々
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連載10457回 本にしなかった原稿 <2>
(昨日のつづき) いまから30年あまり前に書いた文章というのは、『垂手の画人』という題の短い原稿だ。 「垂手」というのは、禅のイラスト画集『十牛図』の中の文句である。禅の思想の深まりを絵に託して…
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連載10456回 本にしなかった原稿 <1>
60年以上も売文業を続けてきた。書かずにいられなくて書いた文章もあるが、注文を受けて書いた原稿が多い。 そんな無数の雑文の約半分くらいは、単行本に収録されている。だが、何かに発表したまま消えてし…
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連載10455回 断捨離はむずかしい <4>
古い靴だけではない。数多く山積みになっているのは、服とかシャツのたぐいだ。ダンボール箱にくしゃくしゃになって押込まれている衣類は、もう二度と着ることがないものばかりである。 捨てるならまっ先…
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連載10454回 断捨離はむずかしい <9>
(昨日のつづき) そんな無用の靴たちを、なぜキッパリと捨てることができないのか。 それには理由がある。一足、一足の靴に自分の過去何十年かの思い出というか、記憶がしみついているからだ。 一足…
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連載10453回 断捨離はむずかしい <2>
禅の修行僧たちの暮らしぶりは、まさに断捨離そのものだ。それでも人は十二分に生きていく。 必要なモノはなんだろう。「起きて半畳 寝て一畳」などという。本当はそれで十分なのである。 私は…
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連載10452回 断捨離はむずかしい <1>
はじめて断捨離という言葉を耳にしたときは、よく意味がわからなかった。 <断シャリ>かな、と一瞬、考えた。要するに炭水化物制限法の一種かと思ったのだ。米の飯を<シャリ>という。<銀シャリ>は、かつて…
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連載10451回 競馬にまつわる記憶 <5>
(昨日のつづき) モスクワの競馬場で体験したことは、私にとって貴重なものとなった。どれほど高潔な理想をかかげた社会にも、ギャンブルはあり売春も存在する。ワルシャワの死のゲットーの中にも隠れ酒場や闇…
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連載10450回 競馬にまつわる記憶 <4>
(昨日のつづき) 公営競馬場には、10円からでも賭けに参加させてくれるノミ屋がいた。本当の話である。 おそらくその日暮しの労働者などを相手の商売だろうが、スタンドの隅に皮ジャンなどを着た男がい…
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連載10449回 競馬にまつわる記憶 <3>
(昨日のつづき) 学校教師だった父親が、競馬をやるとは思ってもいなかった。「母さんには言うな」と私に釘をさすからには、母にも内緒だったのだろう。石原莞爾の東亜連盟にも共鳴していたらしい皇道哲学者の…
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連載10448回 競馬にまつわる記憶 <2>
(昨日のつづき) 私と競馬とのかかわりは、きわめて薄い。しかし記憶の断片のなかに、競馬にまつわる映像がいくつか浮かび上ってくる。 最初の記憶は、学校の教師だった父親のことだ。 アジア・太平…
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連載10447回 競馬にまつわる記憶 <1>
このところ昔の事をあれこれと思い出そうとつとめている。回想という心のはたらきの大事さを、つくづく感じるようになってきたからだ。 年を重ねてくると、自然に体が不自由になってくる。80歳、90歳でも…
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連載10446回 裏も表も一枚の葉 <5>
(昨日のつづき) ここで私が言っているのは、世の中には表と裏があるのだ、とかいった幼稚な話ではない。また、人生にも表裏がある、などという単純な説明でもない。歴史にも裏と表がある、ということでもない…
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連載10445回 裏も表も一枚の葉 <4>
(昨日のつづき) 歴史上の人物に関してのさまざまな推測は、ほとんど想像力の産物である。たとえ確実な資料があったとしてもだ。 いちばん当てにならないのが本人の残した資料である。日記、記録、著書、…
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連載10444回 裏も表も一枚の葉 <3>
(昨日のつづき) 人生には意味があるのか? それとも徒労に過ぎないのか? 戦争はなくならないのか? 人びとの努力で防げるのか? 他人は信用できるのか。 人間はケダモノなのか? …
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連載10443回 裏も表も一枚の葉 <2>
(昨日のつづき) 騙すほうも悪いが騙されるほうも問題だ、というのが私のひそかな感想である。 戦争を仕掛けるのは、資本家や政治家や軍部である。それに協力するのがメディアである。そのマスコミの音頭…
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連載10442回 裏も表も一枚の葉 <1>
一枚の葉っぱがある。表はつややかに色づいて、葉脈が見事に走っている。見ていて生命力を感じる。美しいなあと感嘆する。 その葉を裏返して見る。ざらついた表面に虫がいたり、傷があったりする。どことなく…
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連載10441回 ドン・ファンとは何者か <5>
(昨日のつづき) 言葉というものは、時代とともに変化していくものだ。表現される言葉のイメージもちがってくる。 先日、サンデー毎日のコラムに書いたのが、「豹変」という言葉の変りようだ。 もと…
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連載10440回 ドン・ファンとは何者か <4>
(昨日のつづき) ドン・ファンではないが、紀州でロマンスの主人公といえば、やはり安珍だろう。例の「安珍・清姫」の物語の主人公で、モテまくった人物だ。しかし、このロマンスの舞台は紀州だが、安珍の出自…
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連載10439回 ドン・ファンとは何者か <3>
(昨日のつづき) テレビで、「ドンファンって何?」という街頭インターヴューをやっていた。 「金持ちジイさんのことでしょ」 と、女子高生たちが笑う。若い人たちの間では、なんとなくそういうイメー…
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連載10438回 ドン・ファンとは何者か <2>
(昨日のつづき) 紀州のドンファンという文句が巷にあふれ過ぎて、紀州のイメージが変なふうに世間に受けとられるのは困ったことだ。 私たちの若い頃は、紀州の作家といえばすぐに佐藤春夫の名前が浮かん…