五木寛之 流されゆく日々
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連載11676回 遠近法の揺らぎ <5>
(昨日のつづき) <遠近法の揺らぎ>とは、ものごとの価値観が逆転して感じられることである。 たとえば<戦時経済>という言葉。 やむをえず戦争にまきこまれる。または戦争をはじめる。それまで平時…
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連載11675回 遠近法の揺らぎ <4>
(昨日のつづき) 歳をとると、同じ話を何度もくり返してする傾向がでてくるものだ。 といって、ボケてるというわけでもない。何十年と生きてきているあいだに、自分なりの記憶の遠近法というものが、自然…
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連載11674回 遠近法の揺らぎ <3>
(昨日のつづき) 私がはじめてスペイン戦争について文章を書いたのは、1960年代の半ばごろだった。 当時、金沢の古書店で戦前の総合雑誌『改造』のバックナンバーを買いこんだのは、1930年代のス…
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連載11673回 遠近法の揺らぎ <2>
(昨日のつづき) 私たちが過去の話をするとき、意識せずに時間の遠近法がはたらく。大正期の話題であれば、思考のレンズの焦点を少しずらして、その時代背景のなかにはめこむ。いま現在の問題であれば焦点を現…
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連載11672回 遠近法の揺らぎ <1>
このところ、何となく世の中が歪んで見えるようになってきた。 と、言っても、視力の問題ではない。わが国をはじめ、世界全体が大きくデフォルメして感じられるのだ。 これまで大問題のように感じられて…
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連載11671回 私、川柳の味方です <5>
(昨日のつづき) 若い頃、津軽を訪れて、竜飛岬へいったことがある。 まだ青函トンネルなどできていない頃だった。風のつよい曇った日で、ひどく荒涼とした風景だった。 そこに石の句碑があって、川…
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連載11670回 私、川柳の味方です <4>
(昨日のつづき) ある時期から、ポプラ社が出している『サラリーマン川柳』を愛読するようになった。 毎年、待ちかねて読む。 最近、なんとなくボルテージがさがった感、なきにしもあらずだが、それ…
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連載11669回 私、川柳の味方です <3>
(昨日のつづき) 俳句に関しては、そもそもその程度の門外漢でしかなかった私が、何度か俳句界関係の集りに呼ばれて話をしたことがあるのは、まあ、一種の人寄せパンダ的な趣向だったのだろう。 しかし私…
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連載11668回 私、川柳の味方です <2>
(昨日のつづき) 両親がともに学校教師という共働きの家に育ったため、私は幼い頃から独りで家にいることが多かった。 市街地からはポツンと離れた、一軒家の官舎である。周囲には遊び友達もいない。自然…
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連載11667回 私、川柳の味方です <1>
新聞読者の減少が噂されている昨今だが、私個人に関していえば、最近のほうが丹念に新聞を読むようになった。 なぜだろうと考えてみる。たぶん昔よりテレビを見なくなったことが原因かもしれない。 どこ…
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連載11666回 写真との落差に閉口 <4>
(昨日のつづき) 新聞や週刊誌とちがって、一般の月刊誌は、取材から掲載までにかなりのタイムラグがある。 今年になって困ったのは、90歳の壁をこえたと同時に始まった髪の毛の変化だった。 毛髪…
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連載11665回 写真との落差に閉口 <3>
(昨日のつづき) 外地から引揚げてきたときは、家族や自分の写真は一枚もなかった。 文字通り着のみ着のまま、命からがらで帰国したのだ。 いま私の手もとにある家族の写真は、その後、いろんな人か…
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連載11664回 写真との落差に閉口 <2>
(昨日のつづき) 以前からそうだったのだが、単行本を出すとき、やたらと本人の写真を使いたがるのは版元のほうである。 広告はもちろん、本のオビからチラシなどにいたるまで、著者のポートレイトが多用…
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連載11663回 写真との落差に閉口 <1>
名古屋での講演会の楽屋で、石原良純さんご夫妻にお目にかかった。同じ講演会の講師の一人として参加されていたのである。 父君の石原慎太郎氏とは、文藝春秋本誌の対談で話し合ったほか、グラビアの撮影で何…
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連載11662回 ギャンブルと私 <5>
(昨日のつづき) 私が阿佐田哲也こと、色川武大さんと知り合うことになったのは、1966年の春のことだ。 私が『小説現代』の新人賞をもらってデビューした年のことだから、よくおぼえている。 当…
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連載11661回 ギャンブルと私 <4>
(昨日のつづき) 馬券を買わずに競馬場へいって何が面白いのか、と笑われても、答えようがない。 ただ競馬のスタンドで、熱狂する群集に囲まれてレースを見ていると、なぜか気持ちが落ちつくのだった。 …
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連載11660回 ギャンブルと私 <3>
(昨日のつづき) 私がはじめて国内の競馬場へ足を踏み入れたのは、20代の半ば頃のことだろうか。 大学を横に出て(中退のこと)、マスコミの最底辺で、くず拾いのような仕事をしていた時期だった。 …
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連載11659回 ギャンブルと私 <2>
(昨日のつづき) 私がはじめて賭けごとに手を出したのは、敗戦後のことだった。平壌の大同江という河のほとりのセメント工場の倉庫に、家族で難民生活を送っていた頃のことだ。 そこには満州から国境をこ…
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連載11658回 ギャンブルと私 <1>
昨夜、芝の増上寺の前を通りかかったら、なにやら大変な人出である。浴衣姿の外国人客などもいて、田舎のお祭りのような雰囲気。 なにごとだろうと立て看板を見たら、七夕という文字が見えた。 増上寺は…
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連載11657回 作詞家としての親鸞 <5>
(昨日のつづき) 言葉の力というものがある。それは活字とはちがう。声が重要なのだ。 前回、述べたように<詩>は言葉である。そして<詞>は曲をともなって命を得る。 詩人と作詞家とはちがう。詩…