日本史再見 英雄になれなかった男
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家康の本性を見抜けず…主家を滅ぼした福島正則
「私情に目がくらみ、豊臣家をつぶした」「戦場の槍働きだけの荒大名」「猪武者」「性格破綻者」――とさんざんな評価を受けているのが、戦国武将の福島正則です。豊臣秀吉の子飼いで、加藤清正、蜂須賀家政、山内一…
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織田信長を2度まで裏切り茶器と共に爆死した松永久秀
あの織田信長を2度まで裏切り、最期は茶器を抱いて爆死――。 松永久秀は戦国時代を代表する、梟雄といえます。 久秀はどこか粗野なイメージがありますが、実は文武ともに才能の豊かな人でした…
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信長の横死と秀吉の台頭を言い当てた戦国時代最高の頭脳
戦国時代、織田信長と木下藤吉郎(のち豊臣秀吉)の行く末を見事に予言したのが安国寺恵瓊。毛利家の外交僧です。 恵瓊は毛利家の家系ではありません。それどころか、彼の一族は毛利に滅ぼされました。 …
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「本能寺の変」の謎 明智光秀はなぜ信長を弑逆したのか?
戦国時代、主君を殺したあげく敗死し、「三日天下」と揶揄されたのが明智光秀です。もともとは細川藤孝(幽斎)とともに将軍候補の足利義昭に仕え、その後は織田信長の家臣としても活躍。ところが天正10(158…
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秀吉に最後まで抵抗も 名門のプライドで滅亡した北条氏政
戦国の世を統一し、天下人に上り詰めた豊臣秀吉――。その彼に、最後まで抵抗したのが相模国(現・神奈川の大半)の北条氏政でした。氏政は秀吉の上洛命令を無視しつづけます。 天正18(1590)年3…
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敵中突破で脱出した島津義弘…家康との駆け引きに勝利
慶長5(1600)年の関ケ原合戦において、東軍=敵中を突破して生還したのが、薩摩(現・鹿児島県西部)の島津義弘です。 この戦いで義弘は当初、徳川家康率いる東軍につくべく、伏見城に入城を願い出…
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山縣有朋 国の危機に乗じて栄達はかる露骨な猟官運動
山縣有朋は、幕末から明治初期に活躍した軍人で、内閣総理大臣も務めました。日本陸軍の基礎を築いたことから、「国軍の父」とも称されますが、実はかなりの曲者でした。ひらめきも独創性もないのに出世。山縣の処…
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越後長岡藩を焼野原にした河井継之助
明治期の戊辰戦争で、官軍=東征軍に完膚なきまでに叩きのめされた越後長岡藩。7万4000石の譜代の藩で、家老を務めたのが河井継之助(つぐのすけ、とも)です。後世、彼は藩のために体を張った、という見方と…
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山南敬助&伊東甲子太郎 2人の死にちらつく新撰組転覆計画
幕末の京都で暴れ回ったのが新撰組。近藤勇と土方歳三以下、隊士はいまも根強い人気を誇っています。この精鋭集団にも、不運な最期を遂げた人物が少なくありません。その一人が山南敬助です。 山南は天保…
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戦国最強武将の死因は脳溢血 49歳で死んだ上杉謙信の無念
戦国時代、百戦百勝の武将といえば越後(現・新潟県)の上杉謙信――。他人のために戦ったことから、「義の人」とも呼ばれています。 謙信は享禄3(1530)年正月、越後守護代・長尾為景の末子として…
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主君・長政から嫌がらせ 大阪夏の陣に散った後藤又兵衛の悲劇
豊臣秀頼と淀殿が自害した大坂の陣(1614~15年)――。この戦いで討ち死にした武将は、真田信繁(俗称・幸村)が有名ですが、後藤又兵衛もそれに負けない人気を誇っています。昨年のNHK大河ドラマ「真田…
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過度の自信で織田信長に討たれた今川義元
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、春風亭昇太さんが演じているのが今川義元。義元というと、「桶狭間の戦い」で織田信長に殺された間抜けな武将のイメージがあるようですが、実は彼は、戦国時代の名将でし…
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徳川幕府の権威を失墜させた井伊直弼の「不明」
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が始まりました。徳川四天王の一・井伊直政の養母となった井伊直虎が主人公の物語です。 その井伊家で有名なのが、井伊掃部頭直弼。黒船来航で大揺れした幕末の歴史…
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豊臣家を救えなかった前田利家
前田利家には、豊臣秀吉のおかげで大出世を遂げた武将、とのイメージがあります。利家の妻まつと秀吉の妻お禰が女友達であり、家族ぐるみの交際が、男同士の絆も深めた、といえそうです。 利家が秀吉に協…
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伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた
「遅れてきた戦国武将」といえば、やはり伊達政宗でしょう。天下を取れたかもしれないほどの実力者なのに、奥州制覇まであと一歩のところで、豊臣秀吉が天下人となってしまいました。 彼は秀吉から、「上洛…
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奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運
戦国時代の“天下分け目の決戦”といえば、ご存知「関ヶ原の戦い」。 慶長5(1600)年、豊臣政権五大老の一人・徳川家康が、上杉景勝の討伐を口実に出陣。これによって同年9月15日、関ヶ原で家康…
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古代最大の内乱「壬申の乱」 若さで滅びた大友皇子
天下分け目の決戦といえば、関ケ原の戦い(1600年)が有名ですが、それよりはるか以前にも大決戦がありました。古代史最大の内乱と呼ばれる「壬申の乱」です。 天武元(672)年に起きたこの合戦は…
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父・信玄を意識し過ぎて墓穴を掘った武田勝頼の顛末
戦国武将を集めて、最強の軍団を推薦させたら、8割程が武田信玄率いる、甲州(現・山梨県)の騎馬軍団と答えたでしょう。それほど武田の強さは、広く知れ渡っていました。 その信玄の後継者が四男の勝頼…
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豊臣秀頼は母親の溺愛で滅び去った
歴史の中には、力不足や不運によって、滅亡してしまった人々が数多く存在します。とくに男性、言わば“英雄になれなかった男”。今回から、そうした無念の人物に、スポットを当てていきましょう。 大河ド…