由紀さおり 歌姫のいばら
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新譜のタイトルはもう一度人生を始める初めの一歩の意味
50年という半世紀を歌ってきましたが、今はその区切りの時期だと思っています。新しいアルバムは私の歌い手人生で最後になるのかわからないけれど、若い世代が私のことをどう思っているのか、気になる存在なのか…
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ピンク・マルティーニとコラボした「1969」が世界でヒット
40周年の時に、ラストランは歌謡曲にチャレンジしたいと思っていたんですね。ある時、スタッフがアメリカのピンク・マルティーニという人気ジャズグループが私の曲を日本語で歌っているというので、ユーチューブ…
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歌うことを選んで 60歳でアメリカ在住の男性と2度目の離婚
姉(安田祥子)と童謡コンサートは続けてやっていました。私はドラマの仕事とか、その他にもいろんな仕事をしたかったのですが、母が全部断ってしまうんです。でも、このまま童謡コンサートだけやっていくのはつら…
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童謡アルバムを会場で手売り 年10ヶ所の出前コンサートも
NHKホールでの15周年の童謡コンサートの後、母が「あなたたちの童謡のアルバムを私のために作ってちょうだい」と言い出したのね。それをレコード会社に伝えたら、「教材なら……」と冷たくあしらわれちゃった…
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なぜ?11年目の紅白歌合戦は落選…ものすごく屈辱的でした
紅白歌合戦には10年間連続出場しました。11年目も出場できると思っていたけど、声がかからなかった。なんで? どうして? 選ばれない理由がわからない。この人が入って私が落ちるってどういうことなの? と…
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「全員集合」のステージでいかりや長介さんが見せた厳しさ
「8時だョ!全員集合」には10年以上、出演しましたけど、最初は「どうして出るの?」と彼によく言われました。 私が出ようと思ったのはひとつは歌い手のイメージが壊れないように、コントの段取りを考え…
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「手紙」のヒットと“全員集合”がきっかけで夫婦生活に亀裂
いずみたく先生とのご縁で「夜明けのスキャット」がヒットして、私はチャンスを掴むことができました。でも、この時(昭和44=1969年)は女性の歌い手さんが大豊作の年だったんです。「フランシーヌの場合」…
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父親が大反対した一回り年上のCMディレクターとの結婚
短大卒業の20歳の時に「夜明けのスキャット」がヒットし、結婚が同じタイミングでした。とっても複雑な気持ちでしたね。相手はコマーシャルソングをたくさん作っていたディレクターの大森昭男さんです。私が中学…
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「夜明けのスキャット」は1社提供のラジオ番組のテーマ曲
デビュー曲「ヒッチハイク娘」が全然売れなくて、歌がダメなら女優になろう(!)と俳優座の養成所に行ったら、研究生は採用しない時期で、すっかり八方塞がりになっちゃったんです。毎日、挫折感でフラフラしてい…
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デビュー曲は撃沈「夜明けのスキャット」ヒットまでの挫折
誰でも口ずさむことができる「ル~ル~ルルル~」の「夜明けのスキャット」のヒットは1969年。2011年にリリースしたピンク・マルティーニとのコラボ・アルバム「1969」が世界的大ヒットになった由紀さ…