杉本英世 川奈の精神
-
宮本留吉の教え「バンカーはボールの真上にヘッドを構える」
1959年8月に3度目のプロテストに合格した杉本英世はすぐに頭角を現した。1カ月後の報知プロ新人杯2位。 翌年の関東プロ月例では36ホールを8アンダーで回り中村寅吉、小野光一、林由郎らを抑え…
-
我孫子ゴルフ俱楽部のバンカーでつかんだ「ボールの真下にヘッドを入れるコツ」
「フォロースルーで左腕を伸ばそうとするから手首が返ってフックする。フォロースルーでは左ひじを下に向けて曲げて、首に向かって振り抜いてやれ」 川奈のヘッドプロであり、師匠の石井茂プロから指導を受…
-
プロテストに2回不合格 師匠の指摘は「フォロースルーで左腕が伸びている」
静岡県立伊東高校を卒業した杉本英世は、プロのアシスタントとして1956年4月に川奈ホテルゴルフコースに採用された。当時はプロになるための研修会は、まだ行われていなかった。 月に1度のキャディ…
-
ドライバーもアイアンも全部フェードを打ったらプロテストに受かった
「コースがゴルファーを育てる」とよくいわれる。 昔は中学や高校を卒業するとゴルフ場でキャディー業務や雑用に追われながらプロになるケースが多かったので、練習したコースによって球筋にも特徴があった…
-
陳清波のスイングを見て学んだターンアップ ヘッドが鋭く振り切れ飛距離が出る
杉本英世が川奈ホテルゴルフコースに入って1年ぐらい経ったころに、台湾から陳清波がやって来た。 陳は東京ゴルフ倶楽部に所属することが決まっていたが、その前に同胞で川奈所属の先輩、陳清水に日本の…
-
杉本英世が明かすスイングの極意「ドライバーはシャフトが背中に当たるまで振り切れ」
川奈ホテルゴルフコースに採用された杉本英世の仕事は、一日中ゲストのキャディーバッグを担いでアップダウンのきついコースを歩くことだった。 練習は明るくなる朝4時半ごろから7時15分ごろまでと、…
-
練習場ではスニーカーがベター…コースラウンドと同じ目の高さで練習することができる
アシスタント(現在でいう研修生)として川奈ホテルゴルフコースに採用された杉本英世は、日々の業務に追われながらプロを目指した。 キャディーをする時はもちろん、練習も運動靴だった。当時はプロにな…
-
「フェースの向きを変えるな」という師匠の教えに悩むも、あることに気付く
杉本英世が川奈ホテルゴルフコースに、今でいう研修生にあたるアシスタントとして採用されたのは1956年。高校を卒業した年だった。 当時、川奈には7人のアシスタントがいた。一日中キャディー業務と…
-
プロになっても米軍兵士の中古クラブを使用 賞金を稼がないと手に入らない
杉本英世は中学3年生の時に川奈ホテルGCで開催された「日本オープン」最終日を観戦した。 優勝した中村寅吉を見て、「あんな小さな体でも勝てるんだから、俺にもできるのではないか」と、プロを目指す…
-
雑誌に書いてあるのと違う! 中村寅吉のバックスイングは「頭が右に動いた」
川奈ホテルGC富士コースで行われた1952年「日本オープン」最終日は金曜日だった。 高校1年生の杉本英世は学校を早引きして会場に向かい、プロの試合を見るのは初めてだ。 お目当ては首位…
-
初めて見た中村寅吉の「左に絶対に曲がらないスイング」の原点
ゴルファー日本一を決める日本オープンは1927年にスタートし、今年で87回目を迎える歴史のある大会だ。途中、42年から8年間は第2次世界大戦のため中止になり、戦後は50年から再開された。 5…
-
「飛ばしのコツ」テンポを変えずに振り切る アシスタント時代には300ydドライブ
今ではジュニア時代からゴルフを始めて、女子なら高校卒業前にプロテストを受けたり、男子は大学ゴルフ部を経てプロになるというケースが多い。 しかし、昔は中学あるいは高校を卒業してからまずゴルフ場…
-
バックスイングはアンダースローでボールを投げる動きと同じ
杉本は中学3年から川奈ホテルゴルフコースでアルバイトキャディーをしながら、来場者のプレーを見てゴルフを少しずつ覚えていった。 その頃になると体が急に大きくなり、身長は170センチを超えて体格…
-
キャディー仲間のスイングを観察してわかった「体が回っていない」
中学3年生だった杉本英世は、毎週日曜日になると、川奈ホテルのゴルフ場でアルバイトキャディーに精を出した。 川奈にはプロの試合が行われる富士コースと、距離の短い大島コースの36ホールがあり、ど…
-
杉本英世はアルバイトキャディーに雇われボールを打つように
トーナメント会場でも知られる川奈ホテルゴルフコース(静岡)。ここから巣立ったプロゴルファーは50人を下らず、チャンピオンになったプロも多い。 一番多く勝っているのが杉本英世だ。日本オープン2…