杉本英世 川奈の精神
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ニクラスに圧倒されたアイアンショット 目の前で見た洋芝でのダウンブロー
日本オープンに勝った翌年(1965年)に、杉本英世は橘田規とスペインで行われるカナダカップ(現ワールドカップ)の日本代表に選ばれた。優勝は米国代表(A・パーマー、J・ニクラス)を破った南アフリカ代表…
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ドローもフェードも出球は目標に真っすぐ クラブは左肩に向かって振り切る
1964年「日本オープン」の優勝争いは持ち球がドローボールの陳清波とフェードボールの杉本英世の一騎打ちだった。 杉本は、「東京ゴルフ倶楽部はフェードボールが合うコースだ」と言い、ドライバーも…
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陳清波との接戦を制して…メジャー大会の「日本オープン」でプロ初V
トーナメント会場にはスコアボードが設置されており、選手もギャラリーもリアルタイムの順位がわかる。 しかし1964年の「日本オープン」(東京GC)はテレビ中継もスコアボードもなかった。 …
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川奈ホテルで仕込まれた「フェードボール」で制した日本オープンとその後のスランプ
杉本英世はプロ5年目の1964年「日本オープン」(東京GC)が初優勝だった。日本中が熱狂した東京五輪の閉幕直後だ。日本一のビッグタイトルを争う大会とはいえ、当時は火曜日から木曜日までの3日間で行われ…
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バンカーショットはヘッドの重みを利用してソールを振り下ろす
1962年にスタートした極東サーキット5連戦でプロ3年目の杉本英世は優勝こそなかったが、「フィリピンオープン」と「マレーシアオープン」で4位に入り、日本選手トップの総合7位だった。 その年は…
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スイングをよくするにはまずグリップから 左手親指を真っすぐ伸ばす「ロングサム」の効果
杉本英世は豪州ツアープロ、ピーター・トムソンの招きで1963年春に現地へ遠征した。 川奈ホテルでプロを目指した頃の杉本はフェードボールが持ち球だった。しかし、世界で戦うにはもっと飛距離が必要…
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ドライバーもアイアンも同じ感覚でスイング…世界に通用するゴルフを目指した
杉本英世が「ビッグスギ」と呼ばれるようになったのは、極東サーキットが始まった1962年2月の「フィリピンオープン」からだ。 オーストラリアの強豪選手で、全英オープン5勝のピーター・トムソンや…
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スイングはレベルブローが基本 どのクラブでもボールのとらえ方は同じ
ドライバーはアッパーブロー、アイアンはダウンブローと、よくいわれる。 ドライバーはティーアップするので、ダウンスイングでヘッドが下降してスイングアークの最下点から上昇し始めたところでインパク…
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スイング中の右足つま先“正しい向き”は? 左腰を回そうとすれば左足つま先が開く
杉本英世の現役時代の連続写真を見ると、アドレスでは左足つま先が20度ぐらい開き、振り切ったフィニッシュではほぼ正面を向いている。ただし、左足外側のくるぶしが地面につきそうなぐらい左足首が反っている。…
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ドライバーショットは頭を右足の上まで動かせば、十分な捻転が得られる
杉本英世のトレードマークともいえるサンバイザーは、1962年に始まった極東サーキット初戦のフィリピンオープンから着用しだした。 マニラの強い直射日光をさえぎるにはキャップのほうがよかったので…
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理想的なアドレスに不可欠 ゴルフ上達にはボールを「左目で見る習慣」をつける
野球選手の場合、右打ちのバッターは利き目に関係なく、ピッチャーが投げるボールは左目で見たほうがよいといわれる。 右目でボールを見ると右肩が前に出て上体が開くことがあるからだ。 左目で…
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風対策に役立つ「ストロンググリップ」全英5勝ピーター・トムソンのアドバイス
1963年の春、プロ4年目の杉本英世はオーストラリアとニュージーランドに遠征した。前年の極東サーキット初戦「フィリピンオープン」の最終日最終組で優勝を争った豪州PGAピーター・トムソン会長の招待であ…
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ドライバーはインパクトで左ひざにゆとりを持たせる
1962年にスタートした極東サーキットには豪華な顔ぶれがそろっていた。全英オープン5勝のピーター・トムソンをはじめ、ケル・ネーグル、ブルース・クランプトンといった豪州の強豪プロが出場。日本からは中村…
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フィリピンOPで役立った 低い球でバックスピンをかけるアプローチ
極東サーキット初戦の「フィリピンオープン」を現地で取材したことがある。同国名門のワクワクG&CCイーストCはフラットな林間コースで、深いバンカーに囲まれた砲台グリーンが多かった。 杉本は、「…
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ダウンブローはボール赤道下にリーディングエッジをぶつける
プロ3年目の1962年、杉本英世は東南アジア各国を連戦するこの年からスタートする極東サーキットに参加した。 初戦のフィリピンオープンから始まってシンガポールオープン、マレーシアオープン、香港…
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ドローボールはフェースを開いて上げ、閉じて振り抜く
トーナメント会場でも知られる川奈ホテルの富士コースは左に曲げると海が待ち受けているホールが多い。だから川奈で育ったプロはフェードヒッターが多い。 ■海外参戦を睨み球筋を変更 杉本もプロ…
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ボールと肩を結んだ延長線上に左腕を上げる…陳清波のスイングを間近で見た効果
1961年「関東プロ選手権」は、中村寅吉と小野光一とのプレーオフに1打差で残れずに敗れた杉本英世は 3位。惜しくも優勝を逃したが、「これならプロで戦っていけると自信を持った」。そして、「ゴルフがよく…
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“パットの神様”中村寅吉の練習を見て確信を得た「振り子運動」
プロ入り2年目の1961年、杉本英世は関東プロ選手権(千葉CC梅郷C)で首位と1打差3位だった。 大会最終日は中村寅吉と小野光一がトップに並び、プレーオフを制した中村が優勝。その4年前の57…
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鬼才・戸田藤一郎に教わったパッティングの極意「インパクトの音を聞け」
杉本英世は鬼才と呼ばれた戸田藤一郎にも教わったことがある。 パッティングについて尋ねると、戸田から「インパクトの音を聞け」と言われた。 「インパクトの音を聞けば、打つと同時に顔は向こう…
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中村寅吉から教わったバンカーショットのコツ「両手で左肩にお湯をかけるように」
杉本英世がプロテストに合格したときの、川奈ホテルゴルフコースのヘッドプロは1954年日本プロ優勝の石井茂だ。 ヘッドプロは杉本にとって師匠であり、弟子は川奈にいる間は石井以外に教わってはいけ…