釜本邦茂が語る「ガマッチョの真実」
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「メキシコ五輪得点王」になって海外の6つのプロクラブから誘いを受けた
メキシコから帰国したのが1968年の10月28日の午後10時前くらい。 羽田空港で大勢のサポーターたちの出迎えを受け、テレビカメラのまぶしいライトを浴びながら歩く……なんてイマドキの光景はなかった。…
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メキシコ五輪直後の「世界選抜チーム」入りは結婚式があるので断った
1968年10月24日にメキシコ五輪の3位決定戦でメキシコを破って銅メダルを獲得し、25日は自由時間だったので選手村で同室だった早稲田大3学年先輩の松本育夫さん、関西大OBでヤンマーの1期後輩だった…
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「それって何ですか?」アジア人初の五輪得点王の裏で起こっていたこと
1968年メキシコ五輪の3位決定戦で開催国のメキシコを破った日本代表は、サッカークレージーだらけの地元メキシコ人にしてみたら「銅メダルを持ち去った憎きハポン(日本)」ということになるが、彼らは日本に…
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1968年メキシコ五輪表彰式では、なぜか岡野コーチの首に銅メダルがぶら下がった
1968年メキシコ五輪は、開催国メキシコもアジア代表の日本も、参加16カ国が等しく「中1日」の強行日程を強いられた。 10月24日の3位決定戦も、22日の準決勝から「中1日」でキックオフされ…
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代表デビュー戦の最中に直立不動で八重樫主将の説教を聞いた
メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日(1968年10月24日)の夜、選手村の食堂で祝勝会が開かれた。メキシコ入りしたのが、ちょうど1カ月前の9月25日。10月14日の初戦から中1日6試合の過密日程で選…
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銅メダル獲得の祝勝会での粋な計らい…長沼監督がビールもたばこもOKの大盤振る舞い
1968年10月24日午後3時30分。銅メダルをかけた3位決定戦がキックオフされた。ホスト国メキシコを相手に前半を2-0とリードして折り返したが、後半は実力上位のメキシコの怒涛の攻めにさらされ、自分…
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地元メキシコファンから「ハポン!ハポン!」とまさかの大声援が
メキシコ五輪の3位決定戦・メキシコ戦のハーフタイムだった。ロッカールームに引き揚げると日本サッカーの父・クラマーさんが入って来た。 そして落ち着いた物言いで檄を飛ばした。 「3位になっ…
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殊勲のPK阻止 走り寄る歓喜のイレブンを尻目にGK横山さんは沈着冷静だった
「前半の殊勲者は2得点を決めたガマ。そして後半の殊勲者はPKを止めたGKのヨコヤマだ」 1968年メキシコ五輪の3位決定戦でホスト国メキシコを2-0で打ち負かし、銅メダルを獲得すると「日本サッ…
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銅メダルをかけたメキシコ五輪3位決定戦の2点目はトラップミスやった
1968年メキシコ五輪の3位決定戦は、ホスト国メキシコが相手やった。アステカスタジアムには、10万5000人の大観衆が詰め掛けた。 前半17分に決めた先制点は、当たり損ないのボールが、ゴール…
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相手GKもビックリ! メキシコ戦の先制点、実は当たり損ないのミスキックやった
メキシコ五輪のサッカーは「中1日」のハードなスケジュールやった。 1次リーグ3試合、準々決勝、準決勝、そしてホスト国メキシコとの3位決定戦。試合やってオフ、試合やってオフ……の繰り返し。そり…
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メキシコとの3位決定戦は完全アウェー状態、勝機は日本にあった
メキシコ五輪の3位決定戦(1968年10月24日)の試合会場は巨大スタジアムのアステカやった。収容人数は立ち見席を含めると12万人とも13万人とも言われていた。 3年前に建てられたばかりの新…
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メキシコ五輪準決勝でハンガリーに大敗…クラマーさんが沈鬱ムードを払拭してくれた
1968年メキシコ五輪準決勝・ハンガリー戦は0-5の完敗に終わった。 試合前夜、馴染みの地元レストラン「リンコン・ガウチョ」に集まった。 いつものようにFIFAの技術委員としてメキシ…
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釜本邦茂が自ら語る「ガマッチョ」と呼ばれるようになった由来
メキシコ五輪の3位決定戦・メキシコ戦を振り返る前に、今回の連載のタイトル「ガマッチョ」について話してみよか。 それなりにサッカー界で名を成せたのは、まずは頑強な体を授けてくれた両親のおかげや…
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エライこっちゃ!「ゴールの枠がとてつもなく狭く見える」と戦慄
1968年メキシコ五輪の準々決勝で難敵フランスに3-1の快勝劇を収め、チーム全員が大きな達成感に包まれた。 「これでメダルを持って日本に帰ったら大変な騒ぎになるな」。そんなことを選手同士で言い…
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メキシコ五輪準決勝の相手、旧共産国のハンガリーはあらゆる面で日本を上回っていた
準々決勝で欧州の難敵フランスを3-1で下した。相手DFの厳しいマークにこけそうになりながらズバッと先制点を決め、杉山隆一さんのロビングボールを胸トラップで落としてドカ~ンと2点目を決めた。 …
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フランスに勝ち日本サッカー史上最高位のベスト4も…涙を流す先輩に「メダルを取りましょう」
1968年メキシコ五輪の初戦・ナイジェリア戦でハットトリック(1試合で3得点)を決めたことでプレッシャーから解放され、ブラジル戦もスペイン戦も肩の力がスッと抜け余裕を持ってプレーすることができた。 …
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準々決勝フランス戦2ゴール 3-1の快勝劇で“日本サッカーの父”クラマーさんに恩返し
準々決勝のフランス戦からは「負ければ荷物をまとめて帰国するしかない」ノックアウト方式となる。 「日本サッカーの父」と呼ばれるクラマーさんはFIFAの技術担当コーチとしてメキシコ五輪に派遣されて…
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メキシコ五輪準々決勝フランス戦で先制G「横パスで確実に1点!」と思った瞬間、気が変わった
メキシコ五輪1次リーグ3戦目・スペインとの引き分け狙いがうまくいき、準々決勝の相手はフランスに決まった。 スペイン戦の翌日……ちゅうことはフランスとの大一番の前日ということになる。メキシコ五…
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引き分け狙いをぶち壊した若手を「ナニをしとるんだ」とたしなめた
サッカー人生で2回目の引き分け狙いの試合は1970年12月、タイのバンコクで開催されたアジア大会の5戦目・インドとの一戦やった。 インド戦が引き分けに終われば、得失点差の関係で準決勝の相手は…
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岡野監督「ゴールを入れるな」と言ったのに…人生2度目の引き分け狙いの試合で若手がまさかの一発
1968年メキシコ五輪の準々決勝で地元の難敵メキシコとの対戦を避けるため、1次リーグB組3戦目のスペイン戦を狙い通りに引き分けた。 B組2位としてA組1位のフランスと準々決勝で対戦。欧州を代…