釜本邦茂が語る「ガマッチョの真実」
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単身で西ドイツ留学 プロ予備軍の群れに放り込まれ一本もパスが回ってこなかった
メキシコ五輪イヤーの1968年を迎え、1月17日に東京・国立競技場で西ドイツ(当時)の五輪代表と強化マッチを行い、翌18日の帰国便に同乗した。「日本サッカーの父」と言われたクラマーさんも一緒だった。…
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韓国に追い付かれ味方DFに思わず「こっちが入れよるわりによう奪われとるやないか」
1968年メキシコ五輪のアジア予選・韓国戦(67年10月7日)は国立競技場で行われ、5万人以上の大観衆で超満員だった。 前半を2-0で折り返したが、後半に1点を返されて24分に同点弾を決めら…
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初戦で6得点のWハットトリック 「10点以上取って勝て」長沼監督の指示は明快だった
1964年東京五輪で1得点を記録したといっても、胸を張れるようなゴールではなかったな。順位決定戦のユーゴスラビア戦でMF八重樫茂生さん(当時31歳=古河電工)のシュートをGKがはじき、ボールの処理に…
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早大と日本代表の掛け持ちが着実に「血・肉・骨」になっていった
最年少の20歳で出場した東京五輪は、出場できたことに満足したわけでもないし、諸先輩に遠慮したわけでもない。振り返るに「自らゴールの道筋を切り開く」という気概に欠けていたと思う。 試合中は、パ…
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東京五輪に最年少20歳で出場するも「世界から見たら三流のサッカー選手」と打ちのめされた
京都・太秦小4年の冬やったな、初めて本格的にサッカーボールを蹴ったのは。それまでは典型的な野球少年やった。 校庭からパッカァ~ンって校舎まで大飛球をよう飛ばしたもんや。あまりにポンポン飛ばし…
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1回当たりの放射線治療を長くして回数を減らしましょうと言ったら…
2014年の9月半ば過ぎ。70歳と5カ月の時に喉頭がんの治療を開始した。 まずは放射線治療を33回。1回当たりの所要時間は5分ほど。咽喉に放射線をシャシャシャッと当てて終わりや。拍子抜けして…
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突然のがん宣告にも動揺なし「で、ステージはナンボでしょうか?」
2014年4月に70歳となり、孫娘に「声がおかしい」と言われて病院で検査を受け、咽喉のポリープを切除した。これにて一件落着と思っていたら、想定外のどんでん返しが待ち構えていた。 「さ、これから…
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70歳で咽頭がんと宣告され…きっかけは孫娘「ジイジの声、おかしいんとちゃう?」
地位や権力を笠に着てふんぞり返ったり、威張ったり、そういった立ち居振る舞いは性に合わない。もちろん自慢話なんてしたくもないが──。 それでも日本代表として歴代トップの国際Aマッチ「76試合に…