HERO IS COMING. 大金星は、暮れの大一番で。2005年有馬記念 ハーツクライ
日刊ゲンダイ 勝羽太郎記者
ゴール後、一瞬の静寂が訪れた。こんな有馬記念は初めてだろう。中山競馬場に詰めかけた16万を超す大観衆が息をのんだ瞬間でもあった。
ハーツクライが勝った2005年。世間の視線は稀代の名馬ディープインパクトに注がれていた。7戦無敗。驚くほど強い同年の無敗3冠馬を無冠馬が3番手からの正攻法でやぶったのだから当然だった。
大金星──。ひと言で表せばそうなるが、アッと言わせる布石はあった。ビッグタイトルにこそ手が届いていなかったが、ハーツクライはGⅠ級の素質を秘めていた。3歳春の日本ダービーでは、レコード決着に1馬身半差2分23秒5で②着と好走。秋こそ結果を出せなかったものの、翌年の4歳に入り、成長をみせた。宝塚記念で②着。そして、世界の強豪が集ったジャパンCでも②着。勝ち馬アルカセットとクビの上げ下げでわずか3㎝程の差という鼻差の接戦だった。勝ちタイムはあのホーリックスの大記録を0秒1上回る2分22秒1。同タイムで駆けた。ダービーの時よりも1秒4も速く走れている。それでも、当時、橋口弘次郎師は「調教が強すぎた。馬に元気がなかった」と語る。4角13番手から強烈に差し込めたのは、地力をつけていた証拠であった。
ジャパンCを反省に、ソフトな調教へと替えたのが有馬記念だった。ここに鞍上・ルメールの閃きが加わった。スタンドが沸いた3番手からの先行策だ。地力強化に陣営の工夫、鞍上の奇襲が融合し、大逆転ドラマが完結した。
現在、ハーツの子は、自身が為せなかったジャパンCをシュヴァルグラン、スワーヴリチャードで2勝。今年はドウデュースで日本ダービーも制した。あの有馬記念の大金星は、血を紡ぐ大きな1勝ともなっている。
今年も暮れの大一番はやってきた。あのハーツクライの軌跡を思い返せば、ジャパンCを強烈に差したヴェラアズールと姿がダブる。ここでも父エイシンフラッシュの血をより偉大なものにするのではないかと、心を寄せている。
■外部リンク JRA 第67回「有馬記念」