五木寛之 流されゆく日々
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連載11249回 「私の親鸞」そとがき <4>
(昨日のつづき) 私が金沢に移住したのは、個人的な事情もあった。だが、それ以上に東京の今の生活から逃亡したい、という気持ちのほうが強かったことはまちがいない。 金沢にいって、しばらくは無為の日…
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連載11248回 「私の親鸞」そとがき <3>
(昨日のつづき) 引揚げ後の中学、高校時代を、私は一見、快活そうな少年として過ごした。新聞部を立ちあげて幼稚な連載小説めいたものを書いたり、アルバイトに精を出したりした。 『青い山脈』という青春…
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連載11247回 「私の親鸞」そとがき <2>
(昨日のつづき) きのうの原稿で「左右の一冊」とあるのは、「座右の一冊」のまちがい。 なにしろ締切りのギリギリで原稿を入れるので、字の間違いはちょくちょくある。この何十年間、ずっとストックなし…
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連載11246回 「私の親鸞」そとがき <1>
<そとがき>なんて言葉はない。 <まえがき>とか、<あとがき>などというのが普通である。 しかし、こんど出した『私の親鸞』(新潮社刊)には、<あとがき>も<まえがき>もついている。 その上に…
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連載11245回 虚構の真実のラビュリントス <5>
(昨日のつづき) 美術コレクターの間で通用する言葉に「目垢がつく」という表現がある。貴重な名作などを手に入れた場合に、できるだけ人に見せないようにすることを言うらしい。 「あまり人さまにお見せす…
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連載11244回 虚構の真実のラビュリントス <4>
(昨日のつづき) 20代の頃の私が編集長兼カメラマンをつとめていたのは、『交通ジャーナル』という吹けば飛ぶような業界新聞だった。業界紙といっても日刊一般紙に負けない堂々たる新聞も沢山ある。最近は専…
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連載11243回 虚構と真実のラビュリントス <3>
(昨日のつづき) ここで訂正をひとつ。 昨日のこのコラムで字の間違いが1つあった。<(前略)ヘミングウエイふうに強直であり、同時にチャンドラー的に優しい。(後略)>という部分の強直は、もちろん…
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連載11242回 虚構と真実のラビュリントス <2>
(昨日のつづき) 写真集『奴は…』のオビには<長濱治が捉えた北方謙三40年の軌跡――。 今の時代に足りない強さと愛らしさが濃縮された「北方ダンディズム」の極致>とある。 『奴は…』の作者名は長濱…
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連載11241回 虚構と真実のラビュリントス <1>
とんでもない写真集が出た。 写真家・長濱治が作家・北方謙三を撮った『奴は…』という重量感たっぷりの一冊である。私は本を、その重さで評価する悪癖があり、新刊を手にしたとき、軽量、中量、重量級と分別…
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連載11240回 ニュー・ノーマルの風景 <5>
(昨日のつづき) 造語というのは、新しい言葉を勝手に作ることである。言い替えというのは、事実をゴマ化すために造語することだ。 戦争の時代、いろんな言葉が言い替えられた。有名な例は全滅を「玉砕」…
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連載11239回 ニュー・ノーマルの風景 <4>
(昨日のつづき) マスク生活が定着したのはいいが、初対面の相手の顔がおぼえられなくて困っている。 「どうぞよろしく」 と、名刺交換をしても、 「ちょっとマスクを外して、お顔を拝見できません…
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連載11238回 ニュー・ノーマルの風景 <3>
(昨日のつづき) 昨日のこの欄で紹介したミュージックBOX『歌いながら歩いてきた』について、問い合わせがいろいろあったので、簡単に説明させていただく。 このミュージックBOXは、私の「音楽・歌…
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連載11237回 ニュー・ノーマルの風景 <2>
(昨日のつづき) 先週末、NHKの放送センターへ出かけて、夜のラジオ番組の録音をした。 金田一秀穂先生がパーソナリティーをつとめる『謎解きうたことば』という夜の番組である。 ラジオのパーソ…
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連載11236回 ニュー・ノーマルの風景 <1>
今朝、ちかくの公園を散歩していたら、おなじく散策中の人たち何人かとすれちがった。 驚いたことに、それらの人たちが全員、下を向いて歩いていたのだ。 うなだれて歩いているわけではない。要するに手…
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連載11235回 対談は時代を映す <5>
(昨日のつづき) この原稿を書いている最中に、机が大きく揺れた。どうやら震度5程度の地震らしい。 こういう時は、あわてて外へ飛びだしたところでろくな事はない。揺れが一段落したところで、また原稿…
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連載11234回 対談は時代を映す <4>
(昨日のつづき) 今回、昔の『真夜中対談』を読み返して、当時の週刊誌の対談というのは、どうしてこんなに自由で面白かったんだろうと感慨をおぼえた。こういう会話が大新聞社の週刊誌に堂々とのっていたのだ…
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連載11233回 対談は時代を映す <3>
(昨日のつづき) 『真夜中対談』(文藝春秋刊)は、永六輔さんに始って、24人のゲストが名を連ねている。ひととおり列挙しておくと、 冨士眞奈美さんは、すでに紹介した。 ○永末十四雄(川筋気質と庶…
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連載11232回 対談は時代を映す <2>
(昨日のつづき) 永六輔さんとの対談は『真夜中対談』のシリーズのトップのゲストだった。 こちらがサービスしなくても、永さんのほうから面白い話をどんどん提供してくれる。サービス精神旺盛なのは冗談…
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連載11231回 対談は時代を映す <1>
<対談>というのは、表現の原初的な形態である。人は独白する前に、他人と話し合った言葉だけでなく、身振りや表情、また声色や笑いなどによっても相互に交流した。 <対談>の場、というものがある。その時、そ…
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連載11230回 「ボケの効用」について <5>
(昨日のつづき) 昨日、89歳になった。奇しくも石原慎太郎氏と生年月日が一緒だから、彼も同じ年令に達したのだろう。 「97歳、なにがめでたい!」 というのは、先輩、佐藤愛子さんのタンカだが、…