五木寛之 流されゆく日々
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連載11153回 大谷大学で話したかったこと <9>
(昨日のつづき) こうして私はなんとか早稲田の露文科、正式には第一文学部ロシア文学専攻科にもぐり込んだのですが、結局、卒業できませんでした。 働きながら学ぶ、というのは体裁のいい言葉ですが、実…
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連載11152回 大谷大学で話したかったこと <8>
(昨日のつづき) その日から75年あまりの歳月が過ぎました。あの時、私が抱えこんだ大きな謎は、心の最深部に重い滓のように沈澱して、引揚後も長く残って消えませんでした。 美しい心の持主が美しい歌…
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連載11151回 大谷大学で話したかったこと <7>
(昨日のつづき) あれは1945年(昭20)の、9月末のことではなかったかと思います。私はまもなく13歳になる直前でした。 まさに愚連隊のようなソ連兵の集団が、うたいながら通り過ぎていきます。…
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連載11150回 大谷大学で話したかったこと <6>
(前回のつづき) (今週も引き続き、先日の講演で話したかったこと、十分に話せなかったことを、後出しのかたちで書かせてもらうことにする) 敗戦後の9月下旬のことでした。その日、昔の軍の飛行場だった…
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連載11149回 大谷大学で話したこと <5>
(昨日のつづき) 敗戦後の外地でのことや、引揚げまでの体験などについて、私はこれまでそれほどたくさん書いたり、喋ったりしたことはありません。 なにを語っても、本当のこととは思われないだろうとい…
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連載11148回 大谷大学で話したこと <4>
(昨日のつづき) 現在の北朝鮮の首都ピョンヤン、当時は平壌と呼ばれていました。ソウル(京城)につぐ大都市です。楽浪郡のかつての首都です。 そこで敗戦を迎えたのが1945年の8月、私は中学1年生…
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連載11147回 大谷大学で話したこと <3>
(昨日のつづき) (先日、大谷大学で話すつもりでいて、十分に話せなかった事前の構想の続きである) 大学中退を長年詐称してきた話のわけを語る前に、説明しなければならないいきさつがあります。 そ…
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連載11146回 大谷大学で話したこと <2>
(昨日のつづき) この連載のタイトルを『大谷大学で話したこと』としたのは正確ではない。実際には「話そうと思っていたこと」とするべきだろう。 数日前から話したい事の内容をまとめ、こんなふうに話そ…
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連載11145回 大谷大学で話したこと <1>
先週、ひさしぶりで京都へ日帰りでいってきた。大谷大学で短い講演をするためである。 新型コロナの蔓延のせいで、昨年、今年といろんな催しが軒並み中止になった。講演だけでなく、シンポジウムや、授賞式そ…
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連載11144回 さらば昭和の歌声よ─伊藤アキラ氏 追悼─ <5>
(昨日のつづき) 東京五輪の組織委員会が民間企業に委託した会場運営費というのを聞いて驚いた。なんとディレクター一人当りのギャラが1日に35万円だという。 それぞれ40日間で計2800万円が支払…
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連載11143回 さらば昭和の歌声よ─伊藤アキラ氏 追悼─ <4>
(昨日のつづき) 当時、伊藤さんは私より7、8歳、年下の若い書き手だった。最初の頃は、まだ学生のまま仕事を始めていたのではないかと思う。 対談にその辺のことがちょっと出てくるので紹介しておこう…
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連載11142回 さらば昭和の歌声よ─伊藤アキラ氏 追悼─ <3>
(昨日のつづき) 『歌いながら歩いてきた』(日本コロムビア/ミュージックBOX)から伊藤アキラさんとの対談の続きである。 伊藤さんが冗談工房の研究生として三木鶏郎グループに加入したいきさつは前回…
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連載11141回 さらば昭和の歌声よ─伊藤アキラ氏 追悼─ <2>
(昨日のつづき) 2018年の8月に伊藤アキラさんとやった対談は、雑談もまじえて前後5時間ちかい長時間の仕事となった。仕事というより、旧友再会の思い出ばなしといった趣きがつよい。全部を紹介するわけ…
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連載11140回 さらば昭和の歌声よ─伊藤アキラ氏 追悼─ <1>
伊藤アキラ氏の訃報を聞いた。 体調がかんばしくないという話は耳にしていたが、亡くなったと知って、一瞬、ある季節がすうっと幕を閉じたような気がした。 伊藤アキラさんとは、決して深いつきあいでは…
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連載11139回 アジールとしての寺内町 <5>
(昨日のつづき) 京都ほどではないが、観光地としての金沢が大人気である。 かつて昼間は眠ったような町だった東の花街(地元では「廓」というが遊廓ではない。芸者衆の出向する料亭や貸席の集る一画であ…
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連載11138回 アジールとしての寺内町 <4>
(昨日のつづき) 大阪城は大阪のヘソである。 大阪と呼ばれるようになったのは、のちのことで、最初は小坂(おさか)などと呼ばれていたらしい。逢坂という字が使われたこともあったという。 15世…
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連載11137回 アジールとしての寺内町 <3>
(昨日のつづき) 山科の本願寺は大名の邸をしのぐといわれた豪華な寺だった。 このような巨大な寺の建造は、一種のニューディール政策の意味もあると私は考えている。 当時は貴重だった瓦も膨大な数…
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連載11136回 アジールとしての寺内町 <2>
(昨日のつづき) 15世紀の半ばごろ、比叡山とのトラブルで京都の本願寺を破却され、近江に逃れた蓮如は、さらに越前に移動する。いまの福井県だ。 そこの吉崎の高台に坊舎を建てて、吉崎御坊と称した。…
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連載11135回 アジールとしての寺内町 <1>
新型コロナの猖獗とともに、多くの大寺、名刹が門戸を閉ざした。 有名な観光寺や文化財として名高い寺などがそうである。しかし、本来、寺とはそういう場面で寺内を解放すべきではないだろうかと、ふと思うこ…
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連載11134回 もうひとりの親鸞 <7>
(昨日のつづき) 「情理かねそなえた」人物が理想像とされるわが国では、もっぱら「情」が先で「理」が後に続きます。インドが「理」の国だとすると、日本列島はきわめて湿潤です。「人情」という言葉はあっても…