五木寛之 流されゆく日々
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連載11209回 仏の顔も三度、とは? <2>
(昨日のつづき) 仏の顔も三度どころか、緊急事態宣言はすでに四度目である。 緊急事態というからには、もう少し緊張感が欲しいところだが、世間は一向にピリッとしていない。 それどころか、コロナ…
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連載11208回 仏の顔も三度、とは? <1>
<入院が できたと聞いて おめでとう> 誰の作か忘れてしまったが、思わず笑ってしまった。さすがに川柳は乱世の芸術である。 後世の人は、たぶん、この句を聞いても何のことだか判らないのではあるまい…
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連載11207回 30年前の文章から <10>
(昨日のつづき) 古い本や雑誌を捨てなければならない。 それなりに風格のある書物や印刷物なら、本人が死んだ後でも、なにかの役に立つかもしれないが、ただ雑然と手もとにあった本や雑誌はただの場所ふ…
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連載11206回 30年前の文章から <9>
(昨日のつづき) 車の色に関する感覚がドイツ車もはんぱではない。私も色に関してはこだわるほうだった。私が使っていたポルシェは、<シエナ・ブラウン・メタリック>だった。 ポルシェはなんとなくメタ…
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連載11205回 30年前の文章から <8>
(昨日のつづき) <(続)監督のリドリー・スコットというのは、どうやらフランス人ではないらしいから、やはりお国柄が出てしまったのだろうか。 コンラッドの母国は、有名なポーランド騎兵隊の国、ポーラ…
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連載11204回 30年前の文章から <7>
(昨日のつづき) 89回ルマン耐久レースでトヨタ・チームが優勝した。小林可夢偉の乗る7号車である。トヨタはこれでルマン4連覇。ルマンで勝つということは、大したことなのだ。 それでもEUは203…
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連載11203回 30年前の文章から <6>
(前回のつづき) クルマの話にどうして<グミ・キャンデー>が出てくるんだろうと、不思議に思われた読者もいることだろう。まあ、続きを読んでください。 或る席でグミをすすめられて口にしてから、しば…
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連載11202回 30年前の文章から <5>
(昨日のつづき) 今回も『30年前の文章から』の続きである。 このところ気の滅入るニュースばかりで、ステイ・ホームの日々もすこぶる鬱々たるものだ。30年前の虚栄の余香を思い返してみるのも悪くな…
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連載11201回 30年前の文章から <4>
(昨日のつづき) 91年6月第2週の『流されゆく日々』には、こんなことを書いている。 『ドイツ的なるものの謎』という文章である。 (No3828回~3835回) <(前略)ドイツ的なもの。 …
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連載11200回 30年前の文章から <3>
(昨日のつづき) 30年前といえば、1991年、私が50代後半の時期である。 当時はまだ自分で車を運転していた。その頃の私の道楽といえばもっぱら車だった。しかし私はこれまで一度も超高価なスーパ…
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連載11199回 30年前の文章から <2>
(昨日のつづき) ちょうど30年前の『流されゆく日々』の文章の中から、いくつかのフレーズを拾いあげてみよう。<予測不可能な時代に>というのが、その週のコラムのタイトルだ。 ’91年8月後半に掲…
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連載11198回 30年前の文章から <1>
今日、敗戦の日。8月15日という日付けが、1年ごとに色褪せていく。新聞の扱いも心なしか控え目である。 戦後70余年も過ぎれば当然だろう。いまはデジタルトランスフォーメイションの時代なのだ。<戦争…
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連載11197回 金メダルと涙 <4>
(昨日のつづき) 「泣く」ということは、これまでずっと批判の的だった。封建的義理人情の世界の象徴のように見られていたからである。 「お涙頂戴」とか「メロドラマ」などという言葉は嘲笑の対象であり、近…
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連載11196回 金メダルと涙 <3>
(昨日のつづき) 最近、ちょくちょく医師のかたと対談をする機会があるのは、コロナのせいだろうか。 免疫論の多田富雄さんのスタッフだったドクターと一度、それに続いてフランクル氏のお弟子さんの医学…
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連載11195回 金メダルと涙 <2>
(昨日のつづき) 「なーに、最初は反対しても、始まってみれば夢中になるさ。日本人って、そういう国民なんだよ。前の戦争のときだって、そうだったんだから」 と、いった声をマスコミ関係者、その他からし…
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連載11194回 金メダルと涙 <1>
柳田国男に『涕泣史談』という文章がある。読んだのはかなり昔のことなので、よく憶えていないところもあるが、要するに日本人の「泣く」ということに対する考察だ。 もともとは講演か何かで喋った内容らしい…
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連載11193回 貧しき食生活のなかで <5>
(昨日のつづき) 食に関して不思議に思うことがいくつかある。前に書いた比叡山の千日回峰行の行者の食事についてもそうだが、現代の栄養学で説明のつかない現実が少なからずあるのだ。 たとえば、敗戦後…
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連載11192回 貧しき食生活のなかで <4>
(昨日のつづき) この何十年かのあいだ、ずっと一日2食で通してきた。2食といっても、どこかで多少のつまみ食いをするから、正確には2食半といったところか。 昔は高齢者は淡白な食事をすすめられてい…
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連載11191回 貧しき食生活のなかで <3>
(昨日のつづき) 貧しい食生活のなかで、20代前半は体重50キロ台だった。たぶん痩せて青白い顔をしていたのだろうと思う。 中年になって60キロを超えるようになった。この頃は、一応、人並みの食生…
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連載11190回 貧しき食生活のなかで <2>
(昨日のつづき) 昭和27年に上京して、しばらくホームレス大学生のような日々を過ごした。 知人、友人の部屋に居候させてもらったり、ときには神社の床下にもぐり込んで寝たりしたこともある。 何…