五木寛之 流されゆく日々
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連載11297回 再び『マサカの時代』へ <3>
(昨日のつづき) こんど『雨の日には車をみがいて』という昔の小説を、装を新たにして出すことにした。 これは1988年の6月に角川書店から刊行された本である。今から34年も前の本だ。 これは…
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連載11296回 再び「マサカの時代」へ <2>
(昨日のつづき) 昨日の原稿が活字になったのを読んでびっくりした。時間ギリギリになって、あわてて書いたのだ。再読するいとまもなく、FAXで送ったのだが、きょうの紙面を見ると文章の乱れがひどい。 …
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連載11295回 再び「マサカの時代」へ <1>
2022年の幕明けである。 最近は<松の内>などという言葉も聞かなくなった。昔は1月の半ばまでは松の内といって、お屠蘇気分だったらしい。 それがいつのまにやら半分にちぢまり、7日頃までをいう…
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連載11294回 正月は活字とともに <4>
(昨日のつづき) 朝、カーテンを開けて驚いた。 視界がまっ白である。 一瞬、視力の老化がここまできたかと疑ったが、なんのことはない、雪だった。北国の人には申し訳ないが、ひさしぶりの銀世界に…
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連載11293回 正月は活字とともに <3>
(昨日のつづき) 残念なニュースがひとつ。 <ステイ・ホーム>の掛け声で、家にとじこもって本を読む人が増えた、というのは昨年のニュースだった。 しかし、梅雨時の雨のようにジクジク続くコロナの…
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連載11292回 正月は活字とともに <2>
(昨日のつづき) 全国紙の1面のコラムには毎日、目を通すことができるが、地方紙のそれはなかなかそうはいかない。 しかし、それでも私は以前から各地地方紙のコラムには、かなり広く目を通してきたつも…
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連載11291回 正月は活字とともに <1>
<去年今年貫く棒の如きもの> <降る雪や明治は遠くなりにけり> 新たな年を迎えるたびに、ふと口をついて出てくる有名な句だ。 しかし今年は、そんな感慨もなく、ただ新型コロナの動向が気になるばか…
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連載11290回 世論をうつす鏡として <2>
(昨日のつづき) 今年最後の原稿である。 今日は『家の光』と『クロワッサン』の取材を終えて机に向かう。 このところ連日、2つか3つのインターヴューをこなして日が過ぎた。 『朝日新聞WEB…
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連載11289回 世論をうつす鏡として <1>
また一年が過ぎていく。 コロナに始まり、コロナに終った2021年だった。緊急事態宣言の時期を脱したとはいえ、世界の現状は予断を許さない。新型変種ウイルスの巻き返しを、対岸の火事のように眺めていて…
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連載11288回 間違いだらけの人生 <5>
(昨日のつづき) これまで物心ついて以来、80余年、よくぞ今日まで暮してきたものだ、とつくづく思う。 運命ということもある。偶然もある。たまたまということもある。結果的になんとかなった、という…
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連載11287回 間違いだらけの人生 <4>
(昨日のつづき) 文章や字の間違いは、気がついた時に訂正することができる。 しかし、記憶の中で思い込んでしまっている間違いは、簡単に直すことができないのだ。 幼児期の記憶をたどりながら、新…
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連載11286回 間違いだらけの人生 <3>
(昨日のつづき) これは今までにも何度も書いた話だが、書きたいから繰り返して書く。 以前、大連にいった。その折り、足を延ばして、かつての日露戦争の激戦地の跡をたずねた。日本語の達者な中国人ガイ…
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連載11285回 間違いだらけの人生 <2>
(昨日のつづき) 先日、著者から送られてきた寄贈本を走り読みしていたら、こんな文章に目が止まった。『78歳、気ままなエコロ爺』(グリーン雲野著/幻冬舎刊)。「ボクの新聞批評」という章の一部である。…
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連載11284回 間違いだらけの人生 <1>
自分の書いた文章が活字になるようになってから、何年ぐらいたつのだろう。 高校に入学して、すぐに新聞部を作った。『福島高校新聞』というタブロイド紙である。 「福島高校でね」 と話し出すと、た…
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連載11283回 十二月八日の記憶 <5>
(昨日のつづき) シベリア出兵は、まことに厄介な戦争だった。その規模の大きさにくらべて、なにか小さな出来事のような印象操作がされているが、それは動員された兵士の数からしても、また軍事予算の面からみ…
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連載11282回 十二月八日の記憶 <4>
(昨日のつづき) 開戦の頃、自分が子供でなく、一応の知識人だったとしたなら、十二月八日の大本営発表に際して、どんな反応を示しただろうかと思うことがある。 ひょっとしたら、体の芯まで震えるような…
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連載11281回 十二月八日の記憶 <3>
(昨日のつづき) 開戦の日である十二月八日。 敗戦の日である八月十五日。 どちらが深く記憶に残っているかといえば、私の場合は十二月八日の大本営発表である。終戦のラジオ放送が、いまひとつクリ…
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連載11280回 十二月八日の記憶 <2>
(昨日のつづき) 昭和十六年十二月八日、私は小学生だった。小学生だったのか国民学校生だったのか、はっきり憶えていない。 入学したときは小学校といっていた。それが、いつのまにか国民学校と名称が変…
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連載11279回 十二月八日の記憶 <1>
今年の十二月八日も、おだやかに過ぎた。新聞やテレビなどで、日米開戦の日として一応の記事や報道はあったものの、さりげない扱いだった印象がある。 歳月というものは、そういうものなのだ。過ぎ去った日々…
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連載11278回 高齢者大国の現実 <5>
(昨日のつづき) 少子と高齢化はちがう、一緒に論じてはいけない、という説がある。もっともな意見だが、国民少数化という立場、そして生産労働力の面から考えると、両者を同時に考えることは不自然ではない。…