五木寛之 流されゆく日々
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連載11339回 新たなデラシネの時代 <3>
(昨日のつづき) デラシネとは<故郷を持たない人びと>ではない。 <故郷を追われた人びと>である。 国策、戦争、災害、その他の情況のなかで、生地から引き離された人びとのことだ。 かつて平…
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連載11338回 新たなデラシネの時代 <2>
(昨日のつづき) <流亡の民>という言葉がある。 <流民>という言い方もある。 ともに、ただ流れ歩く民のことではない。さすらい人、といったロマンチックなイメージでもない。 飢饉・災害・戦禍…
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連載11337回 新たなデラシネの時代 <1>
<デラシネ>という言葉が、誤解されて用いられてからひさしい。 今なお「根なし草」とか、「流れ者」とかいった語感で用いられているようだ。 古い広辞苑を見ると、<故郷を喪失した人、根なし草>と、あ…
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連載11336回 内憂外患の3月に <5>
(昨日のつづき) その写真は『ウクライナを知るための65章』のなかの第9章「ドンバス地方」という部分に挿入されている風景写真の一枚である。 とりたてて目立つ写真ではない。画面の左側に黒い丘のよ…
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連載11335回 内憂外患の3月に <4>
(昨日のつづき) 仕事部屋の壁際に積みあげてある本の中から、一冊を抜きだして再読した。 『ウクライナを知るための65章』という、ソフトカバーにしてはずしりと重い<エリア・スタディーズ>シリーズの…
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連載11334回 内憂外患の3月に <3>
(昨日のつづき) 内外の情勢も緊張しているが、個人的な体調も危機線上にあって、まさに内憂外患。 数年前から脚部の不調が続いている。いまでは杖を使わなければ通常の歩行も困難になってきた。ことに左…
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連載11333回 内憂外患の3月に <2>
(昨日のつづき) 自分の本の話で恐縮だが、以前、『マサカの時代』(新潮新書)というのを出したことがあった。 そんなに売れなかったし、あまり話題にもならなかった。だが、今でもときどき新書の棚で見…
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連載11332回 内憂外患の3月に <1>
数日前から、やたらとクシャミを連発し、なんとなく体もだるい。 さてはオミクロン株にやられたかと心配したが、昨日あたりから復調した。熱も6度3分と、やや低目。来週に3度目のワクチン接種をする予定。…
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連載11331回 古い「改造」誌の記憶 <5>
(昨日のつづき) もう何十年も昔のことになるが、百科辞典の編集をしていた故・高畠通敏さんから手紙がきて、スペイン戦争についての項の執筆依頼を受けたことがあった。 もちろん、私などその任に非ずと…
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連載11330回 古い「改造」誌の記憶 <4>
(昨日のつづき) 谷耕平先生は、ときどきロシアの詩をロシア語で朗読してきかせてくれた。 芝居がかった、というと失礼だが、髪を指でかきあげながら、虚空をにらんでふりしぼるような声でロシア詩を吟ず…
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連載11329回 古い「改造」誌の記憶 <3>
(昨日のつづき) 私がロシア文学科の学生だった頃、大学で露文科を代表する先生がたといえば、黒田辰男、岡沢秀虎のお二人だった。 岡沢先生の『ロシヤ語四週間』などという本を開いてみたことのない学生…
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連載11328回 古い「改造」誌の記憶 <2>
(昨日のつづき) 完全軍装のフランコ反乱軍に対して、市民労働者側に参加したボランティア兵士は、スーツ姿あり、セーター姿あり、労働着ありといった雑多な集団だった。ソフト帽をかぶって小銃をかついだ姿も…
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連載11327回 古い「改造」誌の記憶 <1>
私が『わが心のスペイン』という本を出したのは、1972年のことだった。 出版社は晶文社である。『話の特集』に連載した文章を一冊にまとめたものだった。 1960年代の半ばに、私は金沢に移住した…
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連載11326回 生命の格差について <4>
(昨日のつづき) コロナ患者の重症化とともに、問題になったのがトリアージに関する判断である。 <トリアージ/triage>、原語はフランス語らしく、<トリアージュ>と呼ぶところもある。 <現代…
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連載11325回 生命の格差について <3>
(昨日のつづき) <文化というのは、じつに罪ぶかいもんだなあ> と、しばしば思うことがある。 私たちの国には、誇るべき文化遺産というものが数多くある。たとえば奈良の寺院建築だけを見ても、法隆…
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連載11324回 生命の格差について <2>
(昨日のつづき) 経済的な格差について論じられるのは、古く万葉の時代からである。生命の格差に関してもそうだ。 わが国には奴隷はいなかったと言われているが、言葉の違いだけで、奴隷以下の存在は少く…
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連載11323回 生命の格差について <1>
先月から今月にかけて新刊を3冊出した。そのため、取材やらパブリシティーで連日スケジュールがつまって大変である。 コロナ渋滞の折から、あまり人前に出たくないのだが、仕事だから仕方がない。出版は時代…
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連載11322回 現代の「悪」とは何か <4>
(昨日のつづき) 法然、親鸞が山を降りて市井に身をおいた時代、世の中は少数の「善人」と大多数の「悪人」に分かれていた。そのほかに「非人」と呼ばれる人々もいた。「非人」は人外の者であるから「悪人」の…
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連載11321回 現代の「悪」とは何か <3>
(昨日のつづき) 悪、という文字には、どこかにどす黒い陰鬱な感じがする。悪人、という言葉にしてもそうだ。 しかし、現代社会のシステムがはらむ悪のイメージは、プラスチックのように透明で軽い。そこ…
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連載11320回 現代の「悪」とは何か <2>
(昨日のつづき) 先ごろ新聞を読んでいて、すこぶるショッキングな記事に出会った。(2―13/朝日) そもそも私は新聞の大きな記事は読まない。紙面の片隅に小さく扱かわれているような記事を拾い読み…