五木寛之 流されゆく日々
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連載11400回 新聞落ち穂ひろい <5>
(昨日のつづき) 「落ち穂ひろい」とは、当然のことながら<収穫したあとの畠に残された落ち穂を拾い集める作業のこと>である。 転じて比喩的に<いったん選び残したものの中から、役立つものを拾い取るこ…
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連載11399回 新聞落ち穂ひろい <4>
(昨日のつづき) 仏ルノーがロシアから撤退したらしい。(日経6・15「やがて悲しきロシア人」坂井光)。 私が戦後はじめてモスクワにいった時には、ソ連産の車以外はほとんど見かけなかった。ヴォルガ…
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連載11398回 新聞落ち穂ひろい <3>
(昨日のつづき) 休刊日の翌日の新聞は、なんとなく気が抜けたような感じがする。たまたま大きな出来事がなかったせいか、それとも休み明けの脱力感のせいだろうか。 1面トップは各紙そろって円急落、1…
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連載11397回 新聞落ち穂ひろい <2>
(昨日のつづき) きょうは新聞の休刊日だった。 なんで全国紙が一斉に休むのだろう。新聞は、それぞれ勝手気ままに自由にやればいいのである。小学生みたいに行儀よく揃って休む必要など全然ないではない…
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連載11396回 新聞落ち穂ひろい <1>
コロナの蔓延とともに、朝早く起きるようになった。 朝食のときに朝刊に目を通す。 食前、食中、食後、計1時間半ほどの間に新聞各紙を斜め読みするのが、日課になってしまった。 片手に箸をもって…
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連載11395回 私の新宿漂流記 <10>
(昨日のつづき) とりあえず私と弟と妹の3人は、新宿で働いていたのだ。それぞれ職種はちがっても収入は少なく、食っていくだけで大変な時期だった。 2丁目の角にあった焼き鳥屋の店先で、その焼鳥の串…
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連載11394回 私の新宿漂流記 <9>
(昨日のつづき) 新宿2丁目の内外ビルにある業界紙で働いていた頃のことを思い出すと、その時代を彩った歌や、人々の名前が脈絡なく浮かんでくる。それは、こんな時代だった。 <(前略)裏手の飲み屋街に…
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連載11393回 私の新宿漂流記 <8>
(昨日のつづき) <(承前)一瞬、下で息をのむような沈黙があり、すぐにどっと弾けるような笑い声がわきおこった。 「うまかったってさ」 「ああ苦しい」 踊り子たちは石段の上に折り重なってお互い…
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連載11392回 私の新宿漂流記 <7>
(昨日のつづき) 業界紙の編集室の窓から、私が隣りのストリップ劇場の女性たちにガーベラの花を投げた話の続きである。少し長いが我慢して読んでいただきたい。新宿2丁目の内外ビルでのスケッチである。 …
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連載11391回 私の新宿漂流記 <6>
(前週のつづき) 『デビューのころ』から、当時の2丁目のオフィスのことを書いた文章の一部を引く。 <私の働いていた編集室は、その映画館のちょうど楽屋口の真上にあった。楽屋口の先はせまい裏庭になって…
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連載11390回 私の新宿漂流記 <5>
(昨日のつづき) 新宿2丁目の内外ビルに居を構える零細業界紙の経営は、なかなか楽ではなかった。 そのために大和、日交、日の丸などの大手のタクシー会社のPRにも、あれこれと協力することになったの…
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連載11389回 私の新宿漂流記 <4>
(昨日のつづき) マスコミの底辺を這いずり回ったあげくに、私が業界紙の編集長にたどりついたのは、1950年代の終り頃だったのではないかと思う。 なにしろ昔のことは、ぜんぶ忘れてしまおうと心に決…
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連載11388回 私の新宿漂流記 <3>
(昨日のつづき) 私の生活に新宿が大きくかかわるようになってきたのは、60年代にはいってからである。 私が参加したのは、一応、極小業界紙といえども定期刊行物としての新聞である。しかし、編集長と…
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連載11387回 私の新宿漂流記 <2>
(昨日のつづき) 私は、あまり時系列的に自分の過去をふり返ったことがない。昔からそうだった。 したがって自分の過去についても、いま現在と対比させて思い出すだけで、すこぶる乱雑で断片的だ。 …
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連載11386回 私の新宿漂流記 <1>
私が東京へやってきたのは、昭和27年の春である。1952年、サンフランシスコ講和条約が発効した年だ。 当時は新幹線などという洒落たものはなかった。九州から普通列車を乗り継いで24時間以上かかった…
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連載11385回 九十歳の壁の先に <5>
(昨日のつづき) 前にも週刊誌に書いたことがあるが、人間と他の動物、植物との微妙な交感関係を感じることが多くなった。 私の古い友人から聞いた話である。 彼の家には一匹の犬がいた。やたらと吠…
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連載11384回 九十歳の壁の先に <4>
(昨日のつづき) 新聞を眺めていると、足腰の痛みに対処する薬品の広告が無闇に多いことに驚く。 やれ階段の上り降りが楽になるだの、嘘のように快適に歩けますなど、つい飛びつきたくなるようなコピーが…
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連載11383回 九十歳の壁の先に <3>
(昨日のつづき) まあ、そんなわけで、自分なりに歩く事に関しては自負するところがあったのだ。 中年になってからも『百寺巡礼』などという番組に出て、全国各地の寺々を歩き回っている。 前に何度…
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連載11382回 九十歳の壁の先に <2>
(昨日のつづき) ある年齢をこえると、人は誰でも身体的、精神的な不調を抱えることになる。 もちろん個人差はあるだろう。しかし、いくら壮健な心と体の持主であっても、人間はすべてひとしく衰退する。…
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連載11381回 九十歳の壁の先に <1>
あと数カ月で九十の壁に直面する。 無事に超えられるかどうかは、神、いや仏のみぞ知る、だ。 正直言って、七十歳、八十歳を迎えるときは、べつにそれを壁と思ったことはなかった。気がつけば、いつのま…