「革命捕手」中尾孝義が見たプロ野球
-
1点を追う試合終盤に二塁で憤死…星野監督は鬼の形相で「何で無理するんや!」と
中日・星野仙一監督の就任1年目、1987年の巨人戦だった。1点ビハインドの試合終盤に、私は右翼線にヒットを放った。ライトの仁村薫がファンブルしたため、思い切って二塁へ進んだら、好返球で間一髪タッチア…
-
星野仙一監督“鉄拳制裁”の現実 キレるのは「野球人としてあるまじき行為」に対して
「中日でしっかり体の軸で打っているバッターはおまえだけだ」 1986年12月、1対4の世紀の大型トレードで中日入りした落合博満さんに、春のキャンプで顔を合わせるなり、いきなりこう言われた。三冠…
-
落合博満さんとの1対4トレード要員となった牛島は星野監督に「僕が何かしましたか?」
春の沖縄キャンプ。休日前夜に繰り出したクラブで、先日殿堂入りを果たした山本昌が、美女2人組に声をかけた。聞けば2人は東京から来ているという。みんなで飲んで騒いで解散。すると後日、昌はそのうちの一人と…
-
中日1年目は年俸700万円なのに、その年のオフには500万円の副収入が
中日はシーズン最終戦になると、ナゴヤ球場にゴルフコンペの日程が張り出される。11月の秋季練習終了後から年内まで数にして15ほどで、そこの日程表を見て参加できるコンペに丸をつけていくのだ。私の場合、3…
-
中日・近藤貞雄監督は大恩人 試合前には選手たちにビールを飲ませていた
中日・近藤貞雄監督は時代を先取りした人だった。投手コーチ時代、日本球界に「投手分業制」を導入した。さらに巨人の緻密で守備的な野球に対抗するため、「野武士野球」と言われた谷沢健一さん、大島康徳さん、田…
-
初キャンプで「地獄のランニング」プロ入り2度目のカルチャーショック
新人時代の1月の終わり頃、2月からのキャンプのための荷物出しがあった。当時の中日は宮崎県串間市で行っていた。すると先輩が私にこう言ったのだ。 「中尾、荷物を出す時に一番最初に積むのは何か分かる…
-
入団2年目にセ捕手初のMVP その年の大洋戦の大逆転負けが正捕手定着の契機に
中日入団2年目の1982年、2勝2敗で迎えた西武ー中日の日本シリーズ第5戦で、平野謙(中日)の長打になる当たりが一塁塁審を直撃。二塁走者が封殺される通称「石ころ事件」に遭遇した。意気消沈し、この試合…
-
1982年日本S第5戦の罪深き「石ころ事件」…先制打のはずが平野の打球が塁審の足に当たり
星野さんが中日の監督に就任した1986年オフ、「監督になったからって休みの日にゴルフに行っちゃいかんって言わないですよね?」と聞くと、「おう、どんどん行けや」との答え。それまでは月曜の移動日が休日に…
-
星野仙一さんが闘将たるゆえん…デッドボールを当てて「ちゃんとよけんかい!」と逆ギレ
「おい中尾、オレが首を振っているのに、それでも同じサインを出すのは、おまえだけや」 現役晩年の星野仙一さんの言葉である。 私はアマチュア時代に「試合中は捕手が監督だ」と教えられた。中日…
-
「宇野ヘディング事件」星野仙一さんがクラブを叩きつけたのはエラーに怒ったわけではない
私が中日に入団した1981年8月26日、世紀のあのプレーに立ち会った。 場所は巨人の本拠地・後楽園球場。中日の先発は星野仙一さんだ。すでに晩年だったが、「巨人戦はテレビに映るから、みっともな…
-
江川卓が84年球宴で9者連続三振目前 大石に投げた“球史に残る謎の1球”の全真相
「ワンバウンドのカーブで三振を取るから、中尾ちゃんはうまい具合に後ろにそらしてくれ。ワイルドピッチでも記録は三振。そうすれば10個の三振が取れるだろ?」 ロサンゼルス五輪が開催された1984年…