早大と日本代表の掛け持ちが着実に「血・肉・骨」になっていった
最年少の20歳で出場した東京五輪は、出場できたことに満足したわけでもないし、諸先輩に遠慮したわけでもない。振り返るに「自らゴールの道筋を切り開く」という気概に欠けていたと思う。
試合中は、パスの供給元であるMF八重樫茂生さん(当時31歳=古河電工)やFW宮本輝紀さん(同…
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