語り部の経営者たち
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イトク食品 小倉一洋社長<2>朝令暮改は小さな会社の強み
遡ること江戸時代。北前船の寄港地として繁栄し、2018年に北前船関連で日本遺産にも認定された広島県尾道市。現在でもその名残からか昆布などの海産物加工業が盛んで、名産品となっている。そんな尾道で195…
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イトク食品 小倉一洋社長<1>父の敷いた道が「最適」だった
ここ最近コロナ禍の影響で“免疫力を高める”ことが注目されているが、以前より“蒸し生姜”に注目、体を温める生姜パワーで免疫力アップに注力してきた会社がある。広島県尾道市にある生姜専門店・イトク食品株式…
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丸和繊維工業 深澤隆夫社長<4>究極の着心地のシャツを作る
画期的な技術「動体裁断」によって作った服がJAXAに認められ、山崎直子宇宙飛行士とともに宇宙を飛んだ。深澤社長は満を持して、中断していた自社ブランド「INDUSTYLE」を再開する。挑んだのは動体裁…
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丸和繊維工業 深澤隆夫社長<3>船内着がJAXAに認められる
「INDUSTYLE」という自社ブランドを持つ老舗編物メーカーの丸和繊維工業。現2代目社長の深澤隆夫が1991年に入社すると、しばらくしてバブルが崩壊。社長に就任した2001年は不況の真っただ中。多く…
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丸和繊維工業 深澤隆夫社長<2>自社ブランド立ち上げも失敗
1956年創業のニット衣料メーカーで、「INDUSTYLE」という自社ブランドも持つ「丸和繊維工業」(東京・両国)。2代目社長の深澤隆夫は、総合商社「丸紅」で繊維ビジネスにいそしみ、1991年、30…
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丸和繊維工業 深澤隆夫社長<1>20代は丸紅の繊維部門で活躍
いきなりだが「織物」と「編み物」の違いをご存じだろうか。恥ずかしながら筆者は知らなかった。丸和繊維工業の深澤隆夫社長が分かりやすく解説してくれた。 「中島みゆきさんの“糸”という歌にタテ糸とヨ…
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アキレス 伊藤守社長<8>夢は「伊藤研究室」をつくること
休日は、都内を歩くことが多い。 9月の4連休には、市ケ谷の自宅から浜離宮に行ったり、湯島天神でお守りを買って上野公園まで行き、東京都美術館で浮世絵展を見たりして、計38キロ歩いた。 「…
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アキレス 伊藤守社長<7>輝きを放つ多面体の会社でありたい
2012年、社長に就任すると、伊藤は2つの社内改革を行った。 まずは、「働きやすい環境にするためには、器から変えていこう」と思った。 それまで、アキレスの社屋は自社ビルだった。しかし…
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アキレス 伊藤守社長<6>導電処理施したHDDが世界25%シェア
1998年、導電性ポリマーの製品化に成功すると、伊藤は研究開発者の枠を超えて、自らも市場開拓に力を尽くす。各会社を訪問して、「こんな使い方をしてみませんか」と提案をして回った。 最初に得意客…
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アキレス 伊藤守社長<5>海外大手が導電性ポリマーに注目
伊藤は半年間、こつこつと導電性ポリマーの研究に力を注ぎ、7本の特許も出願した。しかし、会社からは、「使い道がない」と肩透かしを食わされた。当時のアキレスには、新しい素材に着手する資源も勇気もなかった…
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アキレス 伊藤守社長<4>導電性ポリマーとの運命的な出合い
最初の話では1年間だけだったはずの営業の仕事は、いつのまにか5年以上も経っていた。しかし、大学院まで行って打ち込んだもの作りへの思いを捨てきれない。伊藤は、上司に熱い思いを訴えた。 「本来、お…
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アキレス 伊藤守社長<3>意に反した営業職からのスタート
1979年、伊藤はアキレスの入社試験に合格する。入社式の前夜は、「学生生活の最後だから」と、高校時代の仲間たちと新宿に繰り出した。徹夜で語り合い、喫茶店で朝食をとって、入社式に臨んだ。 「翌朝…
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アキレス 伊藤守社長<2>入社試験をすっぽかしてしまい…
小学生の頃から、化学大好き少年だった。 「学習雑誌の付録に実験セットがあって、色が変わるとか、混ぜると泡が出るとか、ものが変化することがとても面白かったんです」 そのうちに、どうやった…
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アキレス 伊藤守社長<1>コロナ禍で活躍のプラスチック加工
コロナ禍の中、飛沫防止シートやPCR検査用のエアテントなど、新型コロナウイルス対策製品でにわかに注目を浴びている企業がある。 子どもたちに絶大な人気を誇るジュニアスポーツシューズ「瞬足」など…
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オーケー 二宮涼太郎社長<4>低価格を維持するための工夫
エブリデーロープライスを維持するための、オーケーのコスト削減は物流だけにとどまらない。 「今年の7月からプラスチック製レジ袋の有料化が全国で義務付けられましたが、オーケーでは1989年にすでに…
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オーケー 二宮涼太郎社長<3>創業者から社長就任を打診され
「社長をやらないか」――。創業者で会長の飯田勧氏の申し出に驚いた二宮氏だったが、断る理由はなかったという。 「飯田が私のどこを評価したのかはわかりません。ただ、私は三菱商事にいた頃から、いつかは…
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オーケー 二宮涼太郎社長<2>三菱商事時代にリーマンを経験
1997年に三菱商事に入社した二宮氏が担当したのはガラスの原料となるシリカ。三菱商事がオーストラリアに所有する鉱山で採掘されるシリカサンドを、日本やアジアのガラスメーカーに販売するのが主な業務だ。 …
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オーケー 二宮涼太郎社長<1>老舗スーパー率いる元商社マン
「高品質・Everyday Low Price(エブリデーロープライス)」を掲げ、躍進を続けるスーパーマーケットがある。神奈川・横浜市に本社を構えるオーケー株式会社だ。33期連続の増収で、サービス産業…
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地域新聞社 山田旬社長<4>改革案を創業者に提示して直談判
千葉県、埼玉県、茨城県で約200万部のフリーペーパーを発行する地域新聞社。支社長から役員へと進んだ2代目社長の山田旬氏は、先代社長の近間之文氏に改革を直訴。いよいよ「創業者の次の社長になる」という思…
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地域新聞社 山田旬社長<3>転職で人間らしい生活が味わえた
地域新聞社は千葉県、埼玉県、茨城県で約200万部のフリーペーパーを発行している。 2代目社長の山田旬氏は2004年、第一生命から同社に転職した。「創業者の次の社長を狙う」という野望を胸に秘め…