語り部の経営者たち
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カクトク 満田聖也CEO<3>新たな価値を提案できる楽しさ
フリーランスや副業の営業マンと企業をつなぐマッチングプラットフォーム。カクトクのビジネスモデルの着想は、立命館アジア太平洋大学(APU)の1年生の頃に得ていたという。話は満田が高3の冬にさかのぼる。…
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カクトク 満田聖也CEO<2>英語の成績だけが悪くてAPUへ
カクトクは営業に課題を抱える企業と、フリーランスや副業の営業マンをつなぐ日本最大級の営業支援プラットフォーム「kakutoku」を運営し、急成長を遂げている。約30人のスタッフを率いる満田は小学校か…
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カクトク 満田聖也CEO<1>初めての成功体験はリフティング
ベンチャー企業は、売っていきたいコトやモノがあっても、売り方が分からなかったりする。だったら、スキルも経験もあるフリーランスの営業マンを雇えばいい。 カクトクは、そうした営業に課題を抱える企…
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<4>負債10億円で倒産、自己破産
2002年10月、31歳になっていた平渡淳一は、目標だった起業を果たす。資本金は1000万円。自己資金は250万円。残りは借金で集めた。会社は東京・大田区に登記した。 「魅力的な居酒屋をつくり…
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<3>債務超過企業の雇われ社長に
「社長になりませんか」――。ヘッドハンターが平渡淳一に紹介してくれたのは、中小企業を対象にした会員制の経営サポート会社だった。 どうやら、ベンチャー・リンクでの成果を評価されてのヘッドハンティ…
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<2>22歳の時「30歳で起業」決断
1年の予定だったカナダ留学を、金がなくなり8カ月でやめて帰国した直後、平渡淳一は将来について決断する。22歳の時だった。 「まず30歳で起業する。やはり自分で稼げなきゃ、意味はないから。やるの…
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<1>カネが底つき留学を切り上げ
ワーキングホリデー経験者や留学経験者の就職支援と、飲食・サービス企業の海外展開コンサルを手掛けるJスタイルズ(東京都千代田区)は、2015年に創業。社長の平渡淳一は1971年生まれの、いわゆる“失わ…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<4>安心して死ねる場所を
下河原が運営するサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」は、東京と千葉に10棟。玄関にはカギがかかっておらず、入居者は「できることは自分でやる」。「転倒防止のための〇〇」「水分量をどれくらい摂取するか」…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<3>自分で高齢者施設を運営
7年の歳月をかけて下河原が開発した「スチールパネル工法」は、薄い鉄板で作ったパネルを現地に持ち込み、プラモデルのように組み立てる工法だ。工期が早く、コストも抑えられる。最初にヒットしたのはコンビニや…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<2>この建築工法は売れる!
日本でバイトし旅費を貯めてはアメリカを放浪する生活に終止符を打ち、父親が経営する鉄鋼会社に入社。3年間無遅刻無欠勤を続けた。 「何より仕事自体が楽しかった。それに親父をリスペクトしていたし、ス…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<1>尊敬する父の勧めで入社
千葉県船橋市の住宅街にある「銀木犀」には午後、学校帰りの子供たちが次々にやってくる。入り口には昔懐かしいお菓子が並ぶ駄菓子屋。おばあちゃんが店番をする。一歩中に入ったロビーには、いくつものテーブルが…
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保険クリニック 勝本竜二社長<4>保険商品の需要が変わった
近年、日本全国で増加傾向にある保険ショップ。この市場を「保険クリニック」で切り開いた勝本氏に、人口減少や少子高齢化、そして新規参入など、保険ショップ市場を取り巻く環境について話を聞いた。 ■市…
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保険クリニック 勝本竜二社長<3>撮るだけで保険内容分かる
2019年12月末時点で、店舗型保険代理店の「保険クリニック」は、全国に215店舗展開している。しかし、今から8年ほど前、保険ショップ市場への新規参入が増加。乱立時代を迎え今に至っている。勝本氏が創…
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保険クリニック 勝本竜二社長<2>保険商品の比較を可能に
3年勤めた外資系生命保険会社を退職後、法人や富裕層向けの保険を活用したコンサルティング会社を保険会社時代の同僚と起業した。富裕層の相続対策や法人の損金処理による節税などに保険商品が用いられ始めたころ…
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保険クリニック 勝本竜二社長<1>保険ショップの先駆け
自分のニーズにあった保険が比較検討できる保険ショップは、今や全国各地で増え続けている。これまで保険業界では訪問型といわれる保険代理店が存在感を示していたが、昨今はこうした店舗型が勢力を拡大してきてい…
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キューサイ 神戸聡社長<7>社長は一方的に話さず対話が大切
神戸氏が社内で心掛けているのは社員との対話だという。 「何かあれば入ってきてくれと、社長室のドアはいつも開けています。ただ、そうは言ってもなかなか難しい。そこで初年度は定期的に交流会を開き、ア…
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キューサイ 神戸聡社長<6>高い知名度を誇る商品名を捨てた
1990年代、「まず~い、もう一杯!」というCMのフレーズで全国的に有名になった青汁。そのインパクトもありキューサイには「青汁だけの会社」というイメージが定着した。競合他社との差別化を図るためとはい…
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キューサイ 神戸聡社長<5>商品名「青汁」の変更を模索
入社時の役職は通販統括部長(執行役員)。当時、キューサイの商品はテレビやインフォマーシャルでの通信販売が中心だったが、健康食品市場の成熟による競合他社の台頭もあって売り上げが伸び悩んでいた。神戸氏は…
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キューサイ 神戸聡社長<4>循環型農業に取り組むために転職
ドクターズコスメという新しい価値観を通して社会に貢献する。その志を胸に化粧品会社に入社し、マーケティングを中心に10年以上にわたって仕事に取り組んできた神戸氏。そこへ大きな転機が訪れた。 「4…
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キューサイ 神戸聡社長<3>「君の仕事は虚業」と言われた
神戸氏が大学進学の受験勉強を始めた頃、神戸家はまた引っ越すことになった。父親のリタイアにともない、母親の地元である愛知県に移ることになったのである。幼い頃と違って東京の生活に慣れていた神戸氏は、自分…