語り部の経営者たち
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シャボン玉石けん 森田隼人社長<1>無添加にこだわる理念
無添加石けんを世に広めたパイオニア企業のシャボン玉石けん。「健康な体ときれいな水を守る」を企業理念とし、無添加にこだわり続けてきた。 「石けんに無添加という言葉を使ったのは弊社が最初です。主成…
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エステー 鈴木貴子社長<8>家庭からより大きなフィールドへ
鈴木貴子は社長就任以来、それまで下がり続けていた利益率を改善すべく、社内改革に力を注いだ。業績が傾くと、人件費や広告費を削減して乗り切ろうとする会社が少なくないが、「後からやってきた私が乾いた雑巾を…
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エステー 鈴木貴子社長<7>「ここが変だよ」を次々と改善
入社当時から、心の中で幾度となくつぶやいてきた言葉がある。 「ここが変だよ、エステーさん」 エステーの中では当たり前に行われていることでも、外資企業にいた鈴木貴子にとっては、仰々しくて…
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エステー 鈴木貴子社長<6>「社長らしさ」を徹底的に研究
2010年、鈴木貴子はエステーに入社する。3年後、社長に就任したとき、周囲の目は、「お手並み拝見」という感じだった。 社歴の浅さ、鈴木喬会長というカリスマ経営者の後継、1部上場企業ではまだ数…
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エステー 鈴木貴子社長<5>孤立無援で始まったデザイン革命
鈴木喬会長は、減益の打開策として打ち出した「デザイン革命」の旗振り役に、数々のラグジュアリーブランド企業で実績を積んできた姪の貴子を抜擢した。 しかし、それは孤立無援の状態から始まった。マー…
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エステー 鈴木貴子社長<4>ファッションから生活日用品へ
ジバンシィなどのラグジュアリーブランドを手掛けるLVJグループに勤務していた鈴木貴子はある日、叔父であるエステーの鈴木喬会長に問いかけられた。 「あなたの業界では、なぜそんなに高い値段でも商品…
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エステー 鈴木貴子社長<3>世界的ブランド数社で経験を積む
鈴木貴子は大学卒業後、日産自動車に入社。得意のスペイン語を生かして、中南米への輸出営業とマーケティングを担当した。 仕事は楽しかったが、次第に、日産での仕事に限界を感じるようになっていく。 …
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エステー 鈴木貴子社長<2>得意のスペイン語を生かし日産へ
鈴木貴子は、防虫剤でエステーを設立した創業者を父に、消臭芳香剤「消臭力」や冷蔵庫用脱臭剤「脱臭炭」などのヒット商品を手がけた鈴木喬会長を叔父に持つ。しかし、貴子自身は、エステーに入社するとは夢にも思…
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エステー 鈴木貴子社長<1>デザイン一新が招いた大ヒット
エステーは消臭芳香剤「消臭力」、防虫剤「ムシューダ」、除湿剤「ドライペット」、冷蔵庫用脱臭剤「脱臭炭」などのヒット商品を持つニッチ特化型の生活日用品メーカーだ。 鈴木貴子は鈴木喬会長の姪であ…
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識学 安藤広大社長<4>「誰でもできるルール」を守る大切さ
識学を導入した企業が最初に行うのは実績や能力に関係のない「誰にでもできるルール」を社員全員が守っている状態をつくることだ。 「例えば挨拶です。当たり前に見えてできていない企業がとても多い。誰に…
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識学 安藤広大社長<3>組織運営を正しく導く理論に出合った
転職した先で安藤氏はメキメキと頭角を現し、3年で役員に就任。会社が持ち株会社体制に移行してからは30歳の若さで主要子会社の取締役を務めた。しかし、次第に上層部の経営方針と相違が生じ、電気通信系企業か…
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識学 安藤広大社長<2>組織に属したらルールを疑う余地なし
念願の早稲田大学ラグビー部で安藤氏を待っていたのは、はたから見ると理不尽な世界だった。新入生は否定語禁止ということ以外にも、「部室の掃除は先輩の練習がすべて終わってから」などさまざまなルールがあった…
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識学 安藤広大社長<1>幼少期から「組織」の厳しさを体験
「社員のモチベーションを上げようと思うな」「社員から好かれたいなら社長を辞めるべき」……。人間の意識構造に着目した独自の組織マネジメント理論「識学」でコンサルティングサービスを展開する株式会社識学。2…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<7>経験者の言葉の重み
「海外勤務は希望していましたが、乳業ビジネスを希望したわけでもなかった。ただし、経営について学べて実践できたのは、僕にとって収穫は大きかった。まずはやってみる」 2013年4月、オセアニアで乳…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<6>まずはやってみる
キリン本社の洋酒事業部に異動した西海枝毅は、先輩2人に助けられながら全国の支店を訪問する。現場の営業マンにジンやウオッカなど洋酒ブランドを知ってもらうためだった。知ってもらえると、売り上げは伸びてい…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<5>洋酒への理解進まない
「洋酒を甘く見ない方が、いいですよ」。2002年9月、社内公募に応じ静岡支社から本社の洋酒事業部に異動した西海枝毅。部門の庶務を担当していたベテランの女性社員から言われる。笑顔だったが、その目は決して…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<4>先輩の異動願に学ぶ
上司でも、先輩でも、あるいは部下や後輩でも、生涯にわたって付き合える“かけがえのない人”を見いだせたなら、サラリーマン人生は間違いなく豊かになる。 1993年にキリンビールに入社し静岡支社に…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<3>自分押し殺した時代も
「日本の商品やサービスを世界に広げる仕事に就きたい」 日米貿易摩擦は拡大していたものの、コロラド州立大に在籍時から西海枝毅はこんなふうに考え始めていた。 週末によく利用したデンバーの飲…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<2>留学先で人種差別を…
インターネットがなかった時代、西海枝毅はデトロイトの高校から、独自に調べたデンバーの高校に編入する。2年目からは交換留学ではなく、本当の留学となる。日本の学制から離れて、そのままアメリカの高校からア…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<1>16歳で米国へ 転機に
「最初のきっかけは、父親が自宅に連れてきたジョンさんでした。中学生だった私に、ジョンさんは英語で話してきたのです。自分の英語が伝わらないことに、ショックと新鮮さとを覚えました」 西海枝毅は、1…