語り部の経営者たち
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日本フードエコロジーセンター 髙橋巧一社長<6>最大の障壁は巨額の税金
なぜ、食品リサイクル施設が増えない理由が自治体にあるのか。それは廃棄物の焼却における手数料の仕組みにあると髙橋巧一氏は話す。 「ゴミを焼却炉で燃やすためには1キロ当たり40~50円のコストがか…
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日本フードエコロジーセンター 髙橋巧一社長<5>小田急の一部門としてスタート
「食品リサイクル工場の事業化の話が具体的に動きだしたのは2003年ごろ。手を挙げてくれた小田急グループと話がまとまり、私はグループ子会社の顧問という立場で事業をプロデュースすることになりました。農水省…
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日本フードエコロジーセンター 髙橋巧一社長<4>農水省に液状発酵資料を提言
食品リサイクル事業の起業を決意した髙橋巧一氏が農林水産省を訪れたのは1998年のこと。突然の訪問だが理由はあった。ちょうどその頃に輸入穀物の高騰などの理由から、未利用資源の飼料化への推進事業が始まっ…
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日本フードエコロジーセンター 髙橋巧一社長<3>飛び込み営業で養われた「目」
経営コンサルティングの会社に入社した髙橋巧一氏の仕事は教育・研修プログラムの営業だった。 「新人がいきなりコンサルティングなんてできませんからね。でも、営業はいろいろな企業を見るチャンス。そう…
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日本フードエコロジーセンター髙橋巧一社長<2>卒業後の意外な進路
数学が苦手ながらも獣医師を目指した髙橋巧一氏。浪人生活で苦手を克服し、2度目の挑戦で日本大学生物資源科学部獣医学科への入学を決めた。 「北海道の私大など複数受かったんですが獣医学科は6年制だし…
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日本フードエコロジーセンター 髙橋巧一社長<1>食品ロス問題の先駆者
食品メーカーの工場やスーパー、百貨店から出る食品廃棄物を回収し、家畜の液体飼料にして農家に安価で卸す。日本フードエコロジーセンターは、このエコフィード事業(食品残渣の飼料化事業)を全国で先駆けて始め…
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大川印刷 大川哲郎社長<4>モノづくりの前にコトづくりを
大川社長の名刺は13種類あり、それぞれ異なるブルースマンの金言が刷られている。 例えば<ブルースには3つのLがある。それは生きること(LIVING)、愛すること(LOVING)、そして上手く…
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大川印刷 大川哲郎社長<3>生き残り策としての「環境印刷」
創業139年という老舗企業の大川印刷。現社長の大川哲郎は6代目である。いまや大川印刷の代名詞でもある「環境印刷」。それは単に環境にやさしい印刷というだけではない。大川は「中小企業が生き残るための重要…
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大川印刷 大川哲郎社長<2>1人の変わり者と3人のバカで変革
大川哲郎は、大川印刷の6代目社長。母親が社長を務めていた時、入社した。25歳だった。 社長室室長として社内改革に着手するが、古参社員からは「若造が生意気な」と反発された。 特に職人気…
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大川印刷 大川哲郎社長<1>老舗ゆえの「油断と退廃」が蔓延
横浜でも指折りの老舗である。創業は明治14年というから139年前。西南戦争のわずか4年後である。もともと薬種貿易商だったが、初代・大川源次郎が輸入薬品のラベルなどを見て、印刷業は将来、有望な事業だと…
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アミューズメントメディア総合学院 永森裕二学院長<3>クリエイターは「クレージーな常識人」であれ
1991年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、徳間ジャパンコミュニケーションズに入社。邦画の製作などを担当していたが、徳間康快社長が2000年に78歳で死去し、同社は翌01年に第一興商の傘下に。 …
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アミューズメントメディア総合学院 永森裕二学院長<2>日芸映画学科からレコード会社の映像部へ
エンタメ業界の第一線で活躍できるプロを育成しているアミューズメントメディア総合学院(AMG)は2019年、創立25周年を迎えた。 12年に学院長に就任した永森は、その25年前の1987年、日…
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アミューズメントメディア総合学院 永森裕二学院長<1>「産学共同・現場実践教育」のプロ養成校を設立
2019年に創立25周年を迎えた。 アミューズメントメディア総合学院(AMG)はゲームやアニメ、コミック、小説、映画などエンタメ業界の第一線で活躍できる、つまり食べていける“職業人”の育成を…
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大戸屋 窪田健一社長<4>内紛経てコロワイドとの戦いに勝利
窪田健一は2011年、大戸屋(現・大戸屋ホールディングス)の社長に就任した。41歳の時だ。 「朝、事務所でパソコンを打っていると突然、三森久実社長(当時)が来て、『おい窪田、おまえ、来期から社…
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大戸屋 窪田健一社長<3>渋谷センター街店で学んだこと
大戸屋ホールディングス社長の窪田健一は1995年、「大戸屋・渋谷センター街店」の店長となった。25歳の時だ。 渋谷センター街店は、大戸屋の11番目の店舗で、初の24時間営業だった。想像を絶す…
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大戸屋 窪田健一社長<2>親類が営む大戸屋で一日中皿洗いを
定食屋「大戸屋ごはん処」を国内外に展開している大戸屋ホールディングス社長の窪田健一は若い頃、回り道をしている。 大学卒業後、食品スーパー「ライフコーポレーション」に入社。しかし、ライフコーポ…
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大戸屋 窪田健一社長<1>なにしても長続きしない子供だった
「大戸屋ごはん処」を国内外で約460店展開している大戸屋ホールディングス。コロナ禍の中、陣頭指揮を執っている社長の窪田健一。 窪田は1970年、埼玉県川口市で生まれた。父は中学校の教師をしてい…
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桂馬蒲鉾商店 村上博志社長<4>次の200年を4代目と目指す
日本で唯一、瀬戸内の魚で自家製生すり身100%の蒲鉾を作る「桂馬蒲鉾商店」社長の村上博志は、40年前に東京から婿入りし、20年前に3代目に就任。その間、初代、2代目と脈々と受け継がれる伝統や思いに触…
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桂馬蒲鉾商店 村上博志社長<3>練り物に腸詰め…新たな挑戦
60年ほど前までは桂馬蒲鉾商店の裏が魚市場で、トロ箱に入った新鮮な地魚が次々に工場へと運ばれていったという。 当時、魚の水揚げ量も多く、尾道には十数軒の蒲鉾店があったが、時代が変わり、さまざ…
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桂馬蒲鉾商店 村上博志社長<2>職人の壁を越えて社長就任
創業107年、あの文豪・志賀直哉もひいきにしていた広島県尾道市の「桂馬蒲鉾商店」。3代目社長の村上博志は小さい頃から、医師だった父に「自分の人生は自分で決めなさい」と言われ続けて育ってきた。2代目の…