語り部の経営者たち
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<2>22歳の時「30歳で起業」決断
1年の予定だったカナダ留学を、金がなくなり8カ月でやめて帰国した直後、平渡淳一は将来について決断する。22歳の時だった。 「まず30歳で起業する。やはり自分で稼げなきゃ、意味はないから。やるの…
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Jスタイルズ 平渡淳一社長<1>カネが底つき留学を切り上げ
ワーキングホリデー経験者や留学経験者の就職支援と、飲食・サービス企業の海外展開コンサルを手掛けるJスタイルズ(東京都千代田区)は、2015年に創業。社長の平渡淳一は1971年生まれの、いわゆる“失わ…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<4>安心して死ねる場所を
下河原が運営するサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」は、東京と千葉に10棟。玄関にはカギがかかっておらず、入居者は「できることは自分でやる」。「転倒防止のための〇〇」「水分量をどれくらい摂取するか」…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<3>自分で高齢者施設を運営
7年の歳月をかけて下河原が開発した「スチールパネル工法」は、薄い鉄板で作ったパネルを現地に持ち込み、プラモデルのように組み立てる工法だ。工期が早く、コストも抑えられる。最初にヒットしたのはコンビニや…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<2>この建築工法は売れる!
日本でバイトし旅費を貯めてはアメリカを放浪する生活に終止符を打ち、父親が経営する鉄鋼会社に入社。3年間無遅刻無欠勤を続けた。 「何より仕事自体が楽しかった。それに親父をリスペクトしていたし、ス…
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シルバーウッド 下河原忠道社長<1>尊敬する父の勧めで入社
千葉県船橋市の住宅街にある「銀木犀」には午後、学校帰りの子供たちが次々にやってくる。入り口には昔懐かしいお菓子が並ぶ駄菓子屋。おばあちゃんが店番をする。一歩中に入ったロビーには、いくつものテーブルが…
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保険クリニック 勝本竜二社長<4>保険商品の需要が変わった
近年、日本全国で増加傾向にある保険ショップ。この市場を「保険クリニック」で切り開いた勝本氏に、人口減少や少子高齢化、そして新規参入など、保険ショップ市場を取り巻く環境について話を聞いた。 ■市…
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保険クリニック 勝本竜二社長<3>撮るだけで保険内容分かる
2019年12月末時点で、店舗型保険代理店の「保険クリニック」は、全国に215店舗展開している。しかし、今から8年ほど前、保険ショップ市場への新規参入が増加。乱立時代を迎え今に至っている。勝本氏が創…
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保険クリニック 勝本竜二社長<2>保険商品の比較を可能に
3年勤めた外資系生命保険会社を退職後、法人や富裕層向けの保険を活用したコンサルティング会社を保険会社時代の同僚と起業した。富裕層の相続対策や法人の損金処理による節税などに保険商品が用いられ始めたころ…
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保険クリニック 勝本竜二社長<1>保険ショップの先駆け
自分のニーズにあった保険が比較検討できる保険ショップは、今や全国各地で増え続けている。これまで保険業界では訪問型といわれる保険代理店が存在感を示していたが、昨今はこうした店舗型が勢力を拡大してきてい…
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キューサイ 神戸聡社長<7>社長は一方的に話さず対話が大切
神戸氏が社内で心掛けているのは社員との対話だという。 「何かあれば入ってきてくれと、社長室のドアはいつも開けています。ただ、そうは言ってもなかなか難しい。そこで初年度は定期的に交流会を開き、ア…
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キューサイ 神戸聡社長<6>高い知名度を誇る商品名を捨てた
1990年代、「まず~い、もう一杯!」というCMのフレーズで全国的に有名になった青汁。そのインパクトもありキューサイには「青汁だけの会社」というイメージが定着した。競合他社との差別化を図るためとはい…
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キューサイ 神戸聡社長<5>商品名「青汁」の変更を模索
入社時の役職は通販統括部長(執行役員)。当時、キューサイの商品はテレビやインフォマーシャルでの通信販売が中心だったが、健康食品市場の成熟による競合他社の台頭もあって売り上げが伸び悩んでいた。神戸氏は…
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キューサイ 神戸聡社長<4>循環型農業に取り組むために転職
ドクターズコスメという新しい価値観を通して社会に貢献する。その志を胸に化粧品会社に入社し、マーケティングを中心に10年以上にわたって仕事に取り組んできた神戸氏。そこへ大きな転機が訪れた。 「4…
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キューサイ 神戸聡社長<3>「君の仕事は虚業」と言われた
神戸氏が大学進学の受験勉強を始めた頃、神戸家はまた引っ越すことになった。父親のリタイアにともない、母親の地元である愛知県に移ることになったのである。幼い頃と違って東京の生活に慣れていた神戸氏は、自分…
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キューサイ 神戸聡社長<2>育った家庭のユニークなルール
神戸氏の少年時代、神戸家には一つのルールがあった。子どもは欲しいもの、やりたいことがあったら、なぜ必要なのかを父親にプレゼンテーションしてその権利を得るというものだ。 「普段のお小遣いは少なめ…
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キューサイ 神戸聡社長<1>看板商品から「青汁」抹消を決断
キューサイといえば青汁の会社。そう思う方が多いのではないだろうか。しかし、この1月からキューサイ株式会社は看板商品「ケール青汁」のブランド名を「THE KALE(ザ・ケール)」に変更した。キューサイ…
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山下PMC 川原秀仁社長<4>「北海道ボールパーク」手がける
川原秀仁が、大手設計事務所「山下設計」の設計部隊から、設立されたばかりの子会社「山下PMC」に転籍したのは1998年1月。創業メンバーとなる。 待っていた仕事は、日立マクセル(現在のマクセル…
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山下PMC 川原秀仁社長<3>旧築地市場の仮設棟建設で大失敗
1991年4月、川原秀仁は農用地開発公団(当時)から山下設計に転職する。31歳だった。山下設計は当時から大手設計事務所で、現在、技術者464人を抱える。 「転職理由は、家業の川原工務店を将来継…
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山下PMC 川原秀仁社長<2>DJとイラストのバイトで月60万円
「受験だけの生活でいいのだろうか……。本田宗一郎さんのように、技術で人を幸せにしたいのに」 唐津東高校に通いながらも、川原秀仁は迷い続けていた。現役合格するが、大学には行かず「(地元で)サーフ…