語り部の経営者たち
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日本航空 赤坂祐二社長<3>夢はJALで“国産機”を飛ばすこと
赤坂はJAL入社以来、一貫して整備畑を歩み、生産計画や品質管理などの仕事を担当した。 「日航ジャンボ機墜落事故の2年後に入社した時の整備現場の混乱ぶりが、いや応なく頭に刻み込まれていたので、整…
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日本航空 赤坂祐二社長<2>悪戦苦闘のジャンボ機整備現場
1987年、JALに総合職技術系として入社すると、最初の5年間は整備士として勤務した。 2年前に起きた日航ジャンボ機墜落事故を機に、整備の現場はやらなければいけない仕事が増え、混乱していた。…
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日本航空 赤坂祐二社長<1>日航ジャンボ機墜落は“私の原点”
日本航空(JAL)は、言わずと知れた日本を代表する航空会社である。 赤坂が入社を決めたのは、1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故がきっかけだった。 東大大学院で航空工学を学んでい…
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市民エネルギーちば 東光弘代表<4>原発に頼らない仕組みを
田畑の上に太陽光発電パネルを設置し、農地兼発電所を可能にする電力会社「市民エネルギーちば」。千葉県匝瑳市にあるメガソーラー発電所の通電式には小泉純一郎氏ら元首相3人が駆け付けるなど、脱原発実現の旗手…
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市民エネルギーちば 東光弘代表<3>両親の年金で食いつなぐ
農地の上に太陽光発電パネルを設置することで農業と発電の兼業を可能にするソーラーシェアリングの普及を目指す電力会社「市民エネルギーちば」。パタゴニアが自社の電力を賄う太陽光発電所の設営や運用を任せるな…
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市民エネルギーちば 東光弘代表<2>若くしてメディアの寵児
農地の上に太陽光発電パネルを設置することで一石二鳥を実現する電力会社「市民エネルギーちば」。日本の広大な田畑を農地兼発電所にすることで再生可能エネルギーを増やし、脱原発を実現しようともくろんでいる。…
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市民エネルギーちば 東光弘代表<1>発電と作農の“二毛作”
脱原発の実現へ、再生可能エネルギーの切り札と目される太陽光発電。政府の普及政策もあってあちこちに発電所を見かけるようになったが、広大な用地をどう調達するか、山野を切り開くことによる自然破壊は悩みのタ…
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OWNDAYS 田中修治社長<4>何もするなと懇願した両親の本音
苦しい局面を乗り越え、泥舟だったOWNDAYS(オンデーズ)を復活させられたのは、大切な決断の際に「人から批判されても気にしない性格」がよかったからで、それは田中本人も認めるところだ。これはもともと…
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OWNDAYS 田中修治社長<3>仕事と遊びの境界線なんてない
東南アジアで息を吹き返したOWNDAYS(オンデーズ)は、再び日本市場での成長にかじを切っている。 「財務的にも余裕が生まれて、やっと日本で勝負ができる基礎が整いました。消費市場が低迷し続ける…
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OWNDAYS 田中修治社長<2>戦略は“ゲームのやり方”を変える
10代からさまざまな事業を手がけていた田中は、20代後半になってウェブ関連のデザイン会社を経営する傍ら、知人から持ち込まれたM&Aの仲介業にも少し首を突っ込むようになっていた。 OWNDAY…
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OWNDAYS 田中修治社長<1>負債14億円の店を年商160億円に
アパレル国内最大手のユニクロのように、製造から販売まで一貫して行うことでコストを下げる製造小売り(SPA)の波がメガネ業界も席巻し、定着している。かつて高額だった高品質なメガネがリーズナブルな価格で…
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東京組 中野渡利八郎会長<3>大手の営業手法を否定し大成功
東京・世田谷区を中心に一戸建て6000棟の実績を誇る工務店の東京組。設立は平成5年。ミサワホームを退社した中野渡がまさに裸一貫から築き上げた。 「退職金1000万円を資金に、最初は、元部下と2…
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東京組 中野渡利八郎会長<2>年収1280万円生活におさらば
東京・世田谷区を中心に6000棟の戸建て実績を誇る工務店の東京組。会長の中野渡利八郎はミサワホームの元社員だったが、上司との度重なる衝突で会社を飛び出し、独立した経歴をもつ。 1回目の衝突は…
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東京組 中野渡利八郎会長<1>ミサワホーム時代 月100棟販売
東京の高級住宅地である世田谷区や目黒区を中心に、6000棟の戸建て実績を誇る東京組は、一風変わった工務店だ。大手住宅メーカーの常識を否定し、営業にカネをかけず、モデルハウスも持たない。その分、浮いた…
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ビズリーチ 南壮一郎社長<4>転職活動が起業のきっかけに
日本の即戦力人材に新しい働き方を提案するビズリーチ。創業のきっかけは、創業者の南壮一郎の転職活動だった。 大学卒業後、南はモルガン・スタンレーなどで勤務し、プロ野球球団「楽天イーグルス」の創…
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ビズリーチ 南壮一郎社長<3>28歳で楽天イーグルス設立参加
日本の即戦力人材に新しい働き方を提案するビズリーチ。創業者である南壮一郎は、外資系金融業界で4年間修業をし、紆余曲折を経て、2004年9月、楽天社長の三木谷浩史に直談判し、楽天イーグルスの創業メンバ…
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ビズリーチ 南壮一郎社長<2>モルガンで「プロ意識」を学ぶ
即戦力人材に特化した転職プラットフォームで日本の働き方に一石を投じた「ビズリーチ」。創業者の南壮一郎が最初にビジネス経験を積んだのが、米国の名門投資銀行、モルガン・スタンレーだった。米国を代表する投…
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ビズリーチ 南壮一郎社長<1>激しい環境変化を生き抜いた
高いビジネススキルを持つ即戦力人材の転職を支援し、一躍脚光を浴びているインターネット企業の「ビズリーチ」。働き方改革の旗手といわれている。ビズリーチを創業したのが社長の南壮一郎だ。 南の人生…
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東京スター銀行 佐藤誠治頭取<4>三井時代に来た大きな転機
佐藤誠治氏が三井銀行(現三井住友銀行)に入行したのは1989年1月7日。昭和最後の日だった。事務を1年ほどやってから、外資系企業の新規取引を開拓する業務に就いた。「新規の取引をとるのに苦労した記憶が…
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東京スター銀行 佐藤誠治頭取<3>目に入った三井銀行の文字
25歳という若さで東京貿易の広州事務所長に就いた佐藤氏。市場が開放された中国では、大きな商談が次々にまとまるようになっていた。 佐藤氏が手掛けていたのは日本から中国への機械の輸出。東京貿易が…