語り部の経営者たち
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山下PMC 川原秀仁社長<1>本田宗一郎の生きざまから学んだ
それは1967年の年末。当時、小学2年生だった川原秀仁は、映画「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」を、地元唐津市の映画館に見に行く。だが、秀仁少年の心を打ったのは「ゴジラ」や「ミニラ」ではなく、「映画ニュ…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<4>「知る人ぞ知る」から脱却
2001年、藤舘は岩手ワインを代表するワイナリー「エーデルワイン」に常務として入社する。 「売り方を知らない会社だな」 それが、藤舘の第一印象だった。社員は農家上がりの者ばかりで、経費…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<3>ワイン浸りだった介護生活
エーデルワインは、岩手ワインを代表するワイナリーである。 同社に入社する前の藤舘は、すでに現役を退き、本人いわく「世捨て人のような日々」を過ごしていたという。 57歳の時に、父が病に…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<2>前職は大迫町役場の職員
エーデルワインは、岩手ワインを代表するワイナリーである。同社を牽引する藤舘は、長く役場に勤務していた。 1960年、高校卒業後、最初に勤めたのは地元の農協だった。上司に可愛がられ、よく飲みに…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<1>岩手を代表するワイナリー
近年、日本ワインの世界的な評価が高まっている。各地のワイナリーが品質と個性を競うようになり、おいしいワインが次々に登場しているのだ。 エーデルワインは、最近注目されつつある岩手ワインを代表す…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<4>モノづくりの醍醐味とは何か
「ところで太田さん、ビールをつくりませんか、ここ遠野で。スーパードライや一番搾りではない。いまはやりのクラフトビールです」 突然の誘いだった。なのに、心はザワザワと揺れ始めていく。 早…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<3> 早期退職しボランティアに
「部長さんが、こんな細かいことをどうしてやるのですか。大所高所から僕たちを見ていてください」――2004年、パイオニアによるNECのプラズマ事業の買収に伴い、自分の意思とは関係なしにパイオニアに転籍し…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<2>“イクメン”宣言で取材殺到
NECでテレビ電話の研究者をしていた太田。同期入社で半導体の研究者だった夫人に“イクメン”を宣言し、長女が生まれたのは1991年10月。結婚3年目だった。 しかし、自宅と職場がある川崎市には…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<1>ダメな京大生が絶頂のNECへ
「太田さん、会社辞めて元気になりましたね」 サラリーマン時代の元同僚たちから、今はこんなふうに言われるそうだ。 元同僚たちは皆、太田が造るビールを飲むために、岩手県遠野市まで足を運んで…
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スペイシー 内田圭祐社長<4>広がるレンタルスペースの未来
2013年、内田はスペイシーを設立、貸会議室事業を開始した。まずは、自社オフィスの時間貸しから始めると、すぐに客がついた。就業時間外、つまり夜間と土日限定にもかかわらず、1時間1000円という安さが…
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スペイシー 内田圭祐社長<3>“太陽光バブル”に乗って起業
スペイシーは、格安の貸会議室、レンタルスペース事業を展開している。同社の創業者である内田が最初に起業を思いついたのは、現在の事業とはまったく違う教育動画の配信だった。 そのためにはインターネ…
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スペイシー 内田圭祐社長<2>企業のきっかけは「教育動画」
スペイシーは、格安の貸会議室・レンタルスペース事業を展開している。 創業者の内田は、人材派遣会社「リクルートスタッフィング」からビジネス人生をスタートさせた。 しかし、大学時代にはイ…
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スペイシー 内田圭祐社長<1>会議室の格安シェアリング
筆者のようなフリーランスが、個人取材や、空いた時間に仕事をしようと思えば、利用するのはもっぱら喫茶店だ。しかし、混雑していると取材がやりにくい。テープを起こすと、BGMや周囲の話し声も拾ってしまうの…
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野田岩 金本兼次郎社長<4>天然のおいしいうなぎは香ばしい
「うなぎ」と言えば、いつの時代も「すし」「てんぷら」「そば」とならぶ日本を代表する庶民のごちそうだ。野田岩も200年以上にわたって「うなぎのかば焼き」を作ってきた。そもそも、おいしいうなぎとはどのよう…
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野田岩 金本兼次郎社長<3>「人を育てない店はダメになる」
1957年に社長に就任して以来、幾多の危機を乗り越え老舗ののれんを守ってきた野田岩5代目の金本兼次郎は72年、多店舗化を決意する。44歳の時だった。 「一店舗で仕事をしているときには、職人とし…
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野田岩 金本兼次郎社長<2>看板の天然うなぎが入手できず…
江戸時代から200年間続く老舗うなぎ店、野田岩の5代目・金本兼次郎は1957年に店主に就任した。29歳の時だ。 しかし、このとき金本は大きな問題に直面していた。冬場の天然うなぎがほとんど流通…
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野田岩 金本兼次郎社長<1>200年続くうなぎの老舗の5代目
うなぎの老舗、野田岩。徳川家斉の寛政年間に創業された200年続く老舗だが、5代目・金本兼次郎社長(91)は異色の経営者だ。 老舗の殻を破り、次々と新規事業に挑戦。百貨店を皮切りに、パリにも出…
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ふらここ 原英洋社長<3>3Dも活用した完全オリジナル人形
2008年、45歳の時、原は実家である明治創業の人形師の家から独立。社名の「ふらここ」は、奈良時代の春の季語で「ぶらんこ」という意味だ。伝統と格式を重んじる人形業界では重々しい社名が一般的だが、「こ…
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ふらここ 原英洋社長<2>従来のひな人形の顔では売れない
原が作家の夢を諦め、創業100年以上続く人形師の実家を継ぐと決意した頃、ひな人形はまだ「売れる」時代だった。それから10年、15年と年月が経つ中で、原は少しずつ人形業界の将来に不安を抱くようになって…
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ふらここ 原英洋社長<1>右肩下がり業界で売上2ケタの成長
少子化の影響もあり、ひな人形や五月人形の業界は右肩下がりにある。売り上げが前年比を上回る会社は1割を切るのではないか、という指摘もあるほどだ。そのような状況の中、2008年の創業以来、売上高が2ケタ…