語り部の経営者たち
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四万十ドラマ畦地履正社長<1> 地域商社と呼ばれています
畦地履正は高知県にある「四万十ドラマ」という会社の代表取締役だ。同社は県下西部の町、四万十町にあり、地域の振興、商品開発をやっている。従業員は30人、売り上げは7億円。 東京だったら、中小企…
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松屋 秋田正紀社長<8> GINZAスペシャリティストアとして
松屋では2010年ごろから、ラグジュアリーブランドをさらに強化して2階に集結させようという計画をスタートさせた。 その中でも、秋田社長が特に力を注いだのが、英国の女王エリザベス2世が戴冠式の…
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松屋 秋田正紀社長<7>大震災や爆買いをブーム乗り越えて
2001年のグランドリニューアル以後、当面は順調だったものの、そこにやってきたのが、08年のリーマン・ショックだった。売り上げの1割が、突然消えたかのようになくなった。 その状況を脱して、数…
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松屋 秋田正紀社長<6> 女性の能力を生かす工夫を
秋田社長が松屋に入社したとき、女性があまり大切にされていないという印象を持った。 「最初に思ったのは、飲み会のときですね。これは、女性に限ったことではないのですが、マネジャーが女子社員や若い社…
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松屋 秋田正紀社長<5> 01年大改装が高級路線の第一歩に
紳士服売り場改装の翌年、隣接していた東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)銀座通支店跡地を松屋が譲り受けることとなり、増床を機に大リニューアルをすることが決まった。 秋田氏はその責任者に指名…
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松屋 秋田正紀社長<4> いきなり婦人服売り場に立たされて
松屋入社後の2年間は、当時提携関係にあった伊勢丹での武者修行から始まった。 初めに配属されたのは、ミセス向け婦人服売り場だった。 「いきなり婦人ファッションなんか分からないわけですよ。…
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松屋 秋田正紀社長<3> 青天の霹靂だった義兄からの誘い
阪急電鉄の人事担当者として、将来を担う人材の採用業務にはやりがいを感じていた。 「人事担当者というのは、学生さんにとっては会社の顔ともいえる部分があるので、担当者を信用できれば、会社を信用でき…
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松屋 秋田正紀社長<2>幹部候補生として大切に育てられた阪急電鉄時代
1983年、東大経済学部を卒業後、阪急電鉄に入社する。秋田社長を含む十数人の大卒社員は、幹部候補生として大切に育てられた。1年間をかけて車掌や運転士の研修を受けた後、電車運転士の国家資格を取得する。…
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松屋 秋田正紀社長<1> 銀座の価値にふさわしい百貨店を
かつては庶民の憧れの場所だった百貨店が冬の時代を迎えている。 三越と伊勢丹、大丸と松坂屋、西武とそごうなど大手百貨店の再編統合が相次いだ。しかし、その効果が出ているとは言い難く、そごう柏店、…
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物語コーポ小林佳雄会長<4>成功の理由は「差別化」の徹底
「物語コーポレーション」(愛知県豊橋市)は、11期連続で増収増益を続けている、いま注目の1部上場企業である。全国に183店舗も展開している「焼肉きんぐ」は、休日ともなると家族連れで大いに賑わっている。…
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物語コーポ小林佳雄会長<3> 上場準備中に狂牛病パニック
人気店「焼肉きんぐ」や「丸源ラーメン」を運営する「物語コーポレーション」(愛知県豊橋市)。グループ全体で400店を展開する1部上場企業である。 会長の小林佳雄が、母きみゑが始めた「株式会社げ…
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物語コーポ小林佳雄会長<2> 経営で大切なのは「個の力」
「物語コーポレーション」(愛知県豊橋市)は、人気店「焼肉きんぐ」や「丸源ラーメン」を運営する1部上場企業である。現在、グループの店舗数は400店を超えている。 会長兼CMOの小林佳雄は、1年ア…
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物語コーポ小林佳雄会長<1> 中学から「経営指南書」愛読
人気店の焼き肉チェーン「焼肉きんぐ」や「丸源ラーメン」「寿司・しゃぶしゃぶ ゆず庵」などを運営する「物語コーポレーション」(愛知県豊橋市)は、11期連続で増収増益を続けている。現在、グループの店舗数…
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MRT馬場稔正社長<3> 医師紹介サービスを始めたきっかけ
自身の生まれ月である「8月に奇跡を起こす男」と自称する馬場稔正氏に職場で転機が訪れたのもやはり8月だった。94年4月に高木病院に就職して5年目の夏を迎えていた。同病院は大学新設や病院買収を次々に成功…
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MRT馬場稔正社長<2> 大事故の後遺症で手に入れた特殊能力
記憶のほとんどを失うという交通事故に遭い、数カ月間の入院を余儀なくされた馬場稔正氏。一時は命さえ危ぶまれていただけに、医療のありがたみが身に染みていた。 「なんとかその関係の仕事に就きたいと思…
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MRT馬場稔正社長<1> 信号機と衝突、20歳で記憶を失った
「ボクの人生の転機っていつも8月に起こるんです」と話すのは医療情報のプラットフォームを運営するMRTの社長・馬場稔正氏(43)。2000年に東大病院の医師の互助組織を母体に有限会社としてスタート。 …
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サーキュレーション久保田雅俊社長<4>新たなマーケットを創出していきたい
日本では、派遣社員やフリーランス、クラウドソーシングといった正規雇用とは違う雇用や請負形態はある程度進んでいるが、これらは、どちらかというと下請け的な仕事に属する。 一方、アメリカには、イン…
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サーキュレーション久保田雅俊社長<3> 社内ベンチャーの限界
父が倒れて以来、家族のために奮闘してきた久保田社長は、社会人になったことで、「よし、これからは自分の人生だ」と思った。 総合人材サービス会社「インテリジェンス」に入社すると、やる気満々で営業…
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サーキュレーション久保田雅俊社長<2> 哲学科卒の厳しい父に鍛えられた
久保田社長は、筆者が今まで会ってきた若手のベンチャー経営者と比べると、どこか老成したところがある。 ひとつは前回書いた、父の会社を清算するために費やした怒涛の日々が、久保田社長を大人に成長さ…
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サーキュレーション久保田雅俊社長<1> 顧問ビジネスというアイデア
定年退職者が仕事を探すとなれば、自身の経験や職能を生かす道はかなり閉ざされている。 大企業の管理職経験者でさえ、ハローワークで紹介されるのは、警備員や管理人、清掃員などの仕事だという。 …