語り部の経営者たち
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晩杯屋・金子源社長<3> 大田市場と赤羽で磨いた「買う力」
晩杯屋を開店するにあたって、金子氏はまず東京・赤羽に向かった。人気店「立ち飲み いこい」で修業するためだ。 「仕入れの相談をしていた築地のマグロの仲買が、『立ち飲みの店をやるなら勉強してきたら…
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晩杯屋・金子源社長<2> 08年に4坪の立ち飲み屋をオープン
飲食の世界を知るために自衛官からレインズインターナショナルに転職した金子氏。研修は3カ月の予定だったが、焼き肉チェーン「牛角」の出店ラッシュにともない、なんと入社3日目にして店長の辞令が下ったという…
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晩杯屋・金子源社長<1> 陸上自衛官時代に飲食の道を決意
酒は1杯250円からでツマミはほとんど100円台。安くてうまい立ち飲み屋として昨今のせんべろブームの一端を担い、東京を中心に約30店舗を展開する立ち飲みスタイルの晩杯屋。この人気店の生みの親であるア…
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沖縄ツーリスト東良和会長<8> 自分は中継ぎでしかない
沖縄は失業率が高い県として知られていたが、ここにきて、ずいぶん変わってきている。基幹産業である観光業や建設業が伸びているうえに、生産年齢人口が減少しつつあり、逆に人手不足が深刻化しているのだ。 …
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沖縄ツーリスト東良和会長<7> 次に来るのは第三国観光
20年も前から、東は「インバウンドの時代が来る」と唱えていた。10年前でも、業界紙でインバウンドを取り上げたコラムを書いていたのは東しかいなかった。 「そもそも、沖縄ツーリストはインバウンドか…
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沖縄ツーリスト東良和会長<6> 初の南米行きジャンボ機を
旅行会社がチャーター便を手配するのは珍しいことではないが、東はここでも思い切りのいい決断をして成功させた経験を持つ。 2003年、「第1回世界のウチナーンチュ会議」がハワイで開催された。移民…
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沖縄ツーリスト東良和会長<5>株主総会で「私を副社長に」
1990年、沖縄ツーリストに入社、東京支店の営業課長に就任する。 大学院で学んだことを現場に役立てたいという志を持っていた東は、いきなり現実を突きつけられる。JALのような大手企業で鍛えられ…
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沖縄ツーリスト東良和会長<4> サービス経営学ぶため渡米
かねて、ホスピタリティー・マネジメントでは最高峰の大学がアメリカにあるという話を父から聞き、東は漠然とした関心を抱いていた。 雲をつかむような話にすぎなかった米国留学が現実味を帯びたのは、日…
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沖縄ツーリスト東良和会長<3> JAL勤務時代に墜落事故が
1983年、幼い頃から海外に行っていた経験から国際的な仕事をしたいと思っていた東は、大学卒業とともに日本航空に入社する。当時、国際線を運航していた国内の航空会社は、JAL1社だけだった。 そ…
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沖縄ツーリスト東良和会長<2>角栄が「自民党応援するな」
1972年、本土復帰を迎えたころのことだった。小学6年生だった東は、友人とともに遊びに出かけた帰り、不良中学生たちにカツアゲを食らってしまう。 「彼らの学生服と校章を見ると、私が行くはずの中学…
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沖縄ツーリスト東良和会長<1>本土復帰を経験した少年時代
海と自然、琉球王国時代から育んだ独自の文化など、沖縄は多くの旅行客を引きつける日本有数の観光地として知られるが、沖縄ツーリスト(略称OTS)はその名の通り、この地を本拠地に置く中堅の旅行会社だ。 …
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相席屋・横山淳司社長<4> 旧業態を全店閉店の決断
「相席屋」の需要を確信した横山氏は急速に店舗を増やした。それも、「居酒屋はなこ」を相席屋に替えるかたちでだ。 「その頃は業績もよくなく新規の融資は厳しい状況でした。一方、はなこは立地の悪い赤字店…
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相席屋・横山淳司社長<3>新たに“出会える居酒屋”オープン
2006年に新宿・歌舞伎町に「居酒屋はなこ」をオープンした横山氏。2カ月後には五反田にも店を出し、売り上げも安定していったが、この時点ではこれ以上の多店舗展開を考えていなかったという。それが変わった…
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相席屋・横山淳司社長<2> 美女が接客する居酒屋がヒット
高校を卒業後、父親の経営する飲食店で働き始めた横山氏。下働きから始めて、飲食店経営のノウハウを学んでいった。いろいろな年齢、価値観の従業員をまとめる先輩社員の苦労を見ながらも、努力や工夫で客足も売り…
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相席屋・横山淳司社長<1> 接客はマックのバイトで学んだ
今、「相席屋」が人気だ。見知らぬ男女が相席になって一緒に酒を飲む、いわば婚活居酒屋。新しい男女の出会いの場として2014年3月に第1号店をオープンするや急速に店舗を増やし、現在は全国に70店以上を展…
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石屋製菓・石水創社長<4> 販売再開に地元の人が長蛇の列
北海道を代表するお土産菓子「白い恋人」を製造販売する石屋製菓の社長に石水創が就任したのは、2013年7月、31歳の時だった。「白い恋人」の賞味期限切れ問題を解決し、以来増収をつづけている。直近の売り…
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石屋製菓・石水創社長<3> 森永製菓から支援の申し出を受ける
2007年、主力商品である「白い恋人」の賞味期限を改ざんしていたことが発覚し、経営危機に陥った石屋製菓(北海道札幌市)。 主要取引銀行の北洋銀行から、「会社再建のプロ」として名が通っていた島…
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石屋製菓・石水創社長<2> 危機救った先代から学んだこと
看板商品「白い恋人」の賞味期限を改ざんしていたことが発覚し、石屋製菓(北海道札幌市)が創業以来の危機に陥ったのは、2007年のことである。 当時、社長だった石水勲(73)は責任を取って社長を…
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石屋製菓・石水創社長<1> “賞味期限問題”から地獄の日々
北海道を代表するお土産菓子の「白い恋人」。インバウンドの訪日外国人にも日本の土産として人気が高い。 「白い恋人」を販売する石屋製菓は、石水創が2013年に社長に就任して以来、増収を続け16年度…
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メルシャン 代野照幸社長<8> ビールとワイン事業は違う
「フォアローゼズディスティラリー社」の社長を離れた代野照幸は、2009年3月に米国から帰国し、岐阜支社長を2年務めると、11年3月からフィリピンのサンミゲルビール社へ。取締役上級財務アドバイザーを半年…