五木寛之 流されゆく日々
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連載11855回 共通言語のテロップ化 <2>
(昨日のつづき) 高齢化して困るのは、目と耳と口、である。 視力は50代から老眼鏡を使うことで、一応、問題なく推移している。 しかし私個人の好奇心から、この老化した視力の向上、再生はできな…
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連載11854回 共通言語のテロップ化 <1>
かつて<テロップ>というと、外国映画の画面の端に挿入される日本語の翻訳セリフのことだった。 出版物とちがって、もっぱら会話であるから、画面との呼吸が重要だ。名訳者といわれる翻訳家には女性が多かっ…
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連載11853回 昭和歌謡の抵抗線 <5>
(昨日のつづき) <昭和歌謡>といっても、いろいろある。 なんとなく歌謡曲、演歌系のメロディーが連想されそうな<昭和歌謡>だが、むしろポップス、ロック、フォーク系のほうが実際には時代の主流を占め…
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連載11852回 昭和歌謡の抵抗線 <4>
(昨日のつづき) 昨日、仕事がおそく終ったので、夕食をとっていない事に気づいた。 私は昼食抜きの日が多いため、夕食はガッツリ食べるのが習慣である。しかし、原稿を書く仕事は、なかなか予定通りには…
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連載11851回 昭和歌謡の抵抗線 <3>
(昨日のつづき) 詞が先か、曲が先か、あるいは振り付けが先か。 私にとっては、どちらでもいいと思っている。 実際にこれまで作ってきた歌は、詞が先のもの7割、曲先が3割といったところだろうか…
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連載11850回 昭和歌謡の抵抗線 <2>
(昨日のつづき) 〽おれは河原の枯れすすき という、なんとも情けない歌が、大正、昭和、平成、と歌い継がれ、令和のいまでも口ずさむ人がいるというのは、ひとえに、 〽同じお前も枯れすすき とい…
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連載11849回 昭和歌謡の抵抗線 <1>
<降る雪や明治は遠くなりにけり> 1966年(昭和41年)は、私が新人賞をもらってデビューした年である。 その年の春、国家的行事として「明治百年事業」が開始された。当時の佐藤栄作内閣の政策であ…
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連載11848回 言語の変質について <5>
(昨日のつづき) 言語には、音声と文字という2つの世界がある。 音声による伝達は、文字によるものよりもはるかに変化がはやい。 最近、テレビを見て感じるのは、出演者がいずれも猛烈なスピードで…
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連載11847回 言語の変質について <4>
(昨日のつづき) 要するに五目チャーハンだ。 正体不明の植民地標準語の上に、九州弁がかぶさる。それも純粋な筑後弁ではない。肥後熊のまじった混合方言である。 その後、上京して東京弁の世界に投…
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連載11846回 言語の変質について <3>
(昨日のつづき) 福岡のほうでは、「Yes」というときに、しばしば「ナイ」と言ったりする。 「タバコ、ありますか?」 と、売店できくと「ナイ」という返事が返ってくることが昔はあった。無いのか…
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連載11845回 言語の変質について <2>
(昨日のつづき) 当時の内地から外地へ渡ってきた日本人は、フロンティアへの野心にもえた人々もいただろうが、新天地で一旗あげようという野心家もいた。 〽せまい日本にゃ住みあきた という歌が流行…
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連載11844回 言語の変質について <1>
私は日本語のアクセントというものがよくわからない。アメ(雨)とアメ(飴)の区別がつかないのだ。 ハシ(箸)とハシ(橋)も同じようにフラットに発音する。 カキ(柿)とカキ(牡蠣)も区別しないで…
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連載11843回 無精の病は治らない <5>
(昨日のつづき) 治そうと思っても、どうしてもできない事が世の中にはある。 性格、資質、根性といったものもその一つだ。 努力をすれば人は変る、という説もあるが本当だろうか。 そもそも、…
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連載11841回 無精の病は治らない <3>
(昨日のつづき) 私の無精は、性格ではなく病気である、と前に書いた。 性格なら治しようもあるが、こと病気となると、そう簡単に事は運ばない。 反省はする。そのときは大いに反省するのだが、問題…
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連載11840回 無精の病は治らない <2>
(昨日のつづき) <タテのものをヨコにもしない> というのが無精者の形容詞だが、そのくらいのことは私にもできる。 ヨコのものをタテにするには工夫が必要だが、タテのものをヨコにするのは簡単だ。…
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連載11839回 無精の病は治らない <1>
過日、田原総一朗さんの仕事部屋の写真を見た。本の山に埋もれて、相当な乱雑ぶりだ。 だが、これが整然と本棚に蔵書が並んでいたのでは似合わないだろう。在野のジャーナリストとしての活躍ぶりにふさわしい…
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連載11838回 私の座右の三冊 <5>
(昨日のつづき) それぞれの読者に<座右の1冊>がある。それぞれの時代に<座右の2冊>がある。それぞれの状況のなかで<座右の3冊>がある。 私にとって<座右の本>とは、そういうものだった。 …
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連載11837回 私の座右の三冊 <4>
(昨日のつづき) きょうも雨。 桜の季節には、なぜか風が吹いたり雨が降ったりする。 寒いので、いったん仕舞ったツイードのジャケットをひっぱりだして羽織る。高齢者の特徴の一つは、暑さ寒さの感…
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連載11836回 私の座右の三冊 <3>
(昨日のつづき) 中学、高校時代は乱読だった。 図書館にある本を片っぱしから読んだ。乱読というより、濫読といったほうがいいだろう。 大学生の頃は、周囲に影響されて、友人のすすめる本を持ち歩…
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連載11835回 私の座右の三冊 <2>
(昨日のつづき) <座右の書>といえば、一般には生涯を通じての愛読書だろう。 私の場合は、それがコロコロ変るのだから厄介だ。 時代が変る。年齢が変る。心境が変る。 そのつど私の座右の書は…