喜怒哀楽のサラリーマン時代
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今野敏さん<2>「あとはよろしく」師匠が全盛のアリスと…
お堅いイメージがないレコード会社でも、新入社員は毎朝9時に出社しなければならなかった。たとえ前夜はスタジオで仕事があり、午前の3時とか4時とかに帰ったとしても、例外は許されない。その頃の今野さんは小…
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今野敏さん<1>新人賞受賞も「自信がなく」東芝EMIに入社
吉川英治文学新人賞を受賞した「隠蔽捜査」をはじめ、数多くの人気シリーズを手掛ける警察小説の第一人者。6日には新刊「機捜235」(光文社)も発売される。そんなベストセラー作家はレコード会社で社会人生活…
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横山信治さん<5>リーマン・ショック一蹴 CEO北尾の人間力
2008年9月15日に起こったリーマン・ショックによる世界規模の大不況は、発生からわずか1カ月ほどで平均株価を4446円も押し下げ、バブル後、最安値となる7162円をつけた。当初、「逃げ切れる」と見…
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横山信治さん<4> 住宅ローン市場1位を不動にした戦略
アップフロント型住宅ローンの人気は、スタートから爆発的だった。1日に数件、せいぜい十数件だった問い合わせが、一気に数百件にアップしたという。 「ビジネスは本質で勝負しないとダメだということを痛…
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横山信治さん<3>あちこちの"右肩上がり"を集めてプレゼン
SBIモーゲージ(現・ARUHI)のオフィスは、東京・神田錦町にあった。グループを率いる北尾吉孝氏は当時、直系だけでおよそ50の企業を束ねていて、よからぬウワサも聞こえてきたという。 「『あそ…
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横山信治さん<2>知人がSBIのSEO北尾氏に推薦してくれた縁
左遷された人を誰も相手にしない。昼食は事務所近くの定食屋で一人で手早く済ませ、残りの時間は喫茶店でボーッとしていた。仕事がどんなに嫌でも出社はした。 「40度の高熱が出たり、ケガしたりしたら別…
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横山信治さん<1>日本信販に入社して15年目 出社時に吐き気
日銀がマイナス金利を導入して3年。その余波で、メガバンクの普通預金金利はゼロで預金での財テクは不可能だが、住宅ローン金利は安い。固定金利で1%を割るプランも珍しくない。今回登場の横山さんは現役時代、…
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横山光昭さん<5>独立直後に仕事減 会社の看板は大きかった
司法書士事務所在職中にFPの資格を取った横山さんは退職・独立を決意。2001年1月末に、札幌市内の自宅で、横山FP事務所を開業した。 「当時、借金した人たちの家計にまで切り込んで借金体質から抜…
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横山光昭さん<4>債務処理の傍ら“マネー相談”にのる日々
司法書士事務所で働きながら、横山さんが抱いていた疑問はこうだ。 「あの頃、毎日のように、債務整理や任意整理の手続きをサポートしてました。“1件でも多く書類を作って裁判所に走る”のが仕事で、人助…
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横山光昭さん<3>司法書士の予備校よりすすきのの誘惑が…
横山さんが選んだ転職先は、札幌市内にある司法書士事務所だった。 「紳士服の販売とはまるで畑違い。望んでいた経理の仕事とも違ったけど、法律には興味があったんです。実は、司法書士になろうと考えてい…
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横山光昭さん<2>簿記学校から大手紳士服チェーンに入社
大原簿記学校を卒業と同時に、横山さんは大手紳士服チェーンに入社。札幌市内の店舗でサラリーマン生活のスタートを切った。1993年のことだ。 ■経理部門に配属も、すぐに店頭でスーツを売った …
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横山光昭さん<1>国立大を4日で退学し第一志望を目指すも…
テレビやマネー雑誌でお馴染みの横山光昭さん(47)は、家計再生のプロ。何歳になっても貯金ができない、借金で首が回らないという人々の弱点を見つけ、1万5000人以上を経済的に更生させてきた。サラリーマ…
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成毛眞さん<4>60代、70代は誰もやっていないことを頑張る
2000年にマイクロソフト日本法人の社長を退任した後は、投資・コンサルティング会社「インスパイア」を設立した。現在は、年に6冊ほど本を執筆したり、書評サイト「HONZ」の代表も務める。 「原稿…
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成毛眞さん<3>記者400人の前で「飽きたから辞める」と
2000年5月、マイクロソフト日本法人の社長を退任した。「ウィンドウズ95」の日本語版を普及させるなどで業績を伸ばし、社長就任時に90億円だった年商を1690億円に拡大。それでも「飽きたから」と退い…
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成毛眞さん<2>アスキー出版に転職 翌日からマイクロソフト
郷里の北海道の自動車部品メーカー「ダイナックス」に入社した3人の新人に、会社は一戸建ての社宅を用意した。1人2部屋ずつくらいの待遇で、毎晩、酒盛りの日々を送ったという。 「酒屋のお兄さんに『こ…
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成毛眞さん<1>単位を落としていても卒業できることになり
マイクロソフト(現・日本マイクロソフト)の代表取締役社長として活躍し、45歳で独立後は投資コンサルティング会社「インスパイア」を設立。現在は書評サイトの代表も務め、「俺たちの定年後 成毛流・60歳か…
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反町康治さん<5>ストレスに感じた“サラリーマン”の肩書き
「Jクラブの中心選手がサラリーマン」――全日空の社員として横浜フリューゲルスの試合で活躍する反町さんにメディアは注目した。 「サラリーマンJリーガーって、実はほかにも何人かいたんです。それなのに…
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反町康治さん<4>20代後半で発足したプロリーグへの危惧
スケジュールを作ったり、ハイヤーや宿泊先を手配したりする仕事柄、パイロットとの付き合いは多かった。 「パイロットって希望が通るんです。休みも本人の意向が反映されます。“オフ1”と“オフ2”があ…
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反町康治さん<3>誕生日に誘われ銀座のクラブでドンペリを
羽田空港にある乗務管理課で働くのは午前中だけで、午後からはサッカーが仕事だった。正午になると周囲に「行ってきま~す」と挨拶し、サッカー部員4~5人と一緒に練習場まで車で移動した。当時、全日空サッカー…
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反町康治さん<2>パイロットの乗務規定「4・6・10」は絶対
入社後、最初の配属先は羽田空港にある東京乗務員室乗務管理課だった。パイロットのスケジュール管理をする部署だ。 「まずは伊豆山にある研修所で、名刺のもらい方とかタクシーの座る位置とか、社会人とし…