喜怒哀楽のサラリーマン時代
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江藤あやさん<4>建設現場では職人さんらから「監督」と…
建設現場の仕事では、職人さんたちに教えてもらうことの方が多いのに、「監督」って呼ばれるんです。なんだか不思議な感覚でした。 職人さんたちには、とても仲良くしていただきました。仕事に厳しく怒る…
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江藤あやさん<3>お金で仕事が認められる社員のありがたさ
アルバイトや派遣などで数々の仕事をしてきた私ですが、中でも一番印象に残っているのが、不動産系の建設会社での仕事でした。派遣スタッフとしてマンションの内覧会のアテンダントの仕事をすることになり、その会…
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江藤あやさん<2>施術が難しく…エステサロンは1年で退職
東京に出てきたのは、30歳も間近なころ。周囲には止められましたが、役者を極めたいと思って上京しました。 荻窪にアパートを借りて、まずやることは生活のための職探し。派遣会社に登録をしました。す…
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江藤あやさん<1>上京しシャブ山シャブ子で注目されるまで
今年11月、ドラマ「相棒 Season17」(テレビ朝日系)の第4話に登場した“シャブ山シャブ子”がSNSで話題になった。その怪演っぷりで注目されたのが、今回登場する江藤あやさんだ。出身地の愛知県で…
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小野員裕さん<5>「おいしい店を探して知らない町を徘徊」
小野さんは今、「元祖カレー研究家 小野員裕」のタイトルで食べ歩きブログを開設している。 こういう場合、高級レストランやおしゃれな店を紹介しがちだが、小野さんは徹底して庶民の味にこだわる。ブロ…
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小野員裕さん<4>「就職して2年半でパニック障害が治った」
横濱カレーミュージアムの名誉館長を務めた小野さんだが、話は少し前にさかのぼる。24歳の時、鴬谷で女性と同居していた時のことだ。 「その女性がイタリア旅行へ出かけ、戻ってきた時に空港へ迎えに行っ…
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小野員裕さん<3>出版社勤務と名誉館長の“二刀流”の結果…
小野さんは出版社勤務の傍ら、全国のカレー専門店1000店を食べ歩いた経験を基に「週末はカレー日和」(トライエックス)、「東京カレー食べつくしガイド104/380店」(講談社)などの本を次々と出版して…
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小野員裕さん<2>AVのレビューで文章力を磨いた出版社時代
小野さんは89年、「MG出版」の同僚だった編集者の誘いで、「芸文社」に転職する。 「先に芸文社に転職していた同僚が『人手が足りないから手伝ってくれ』というので、あまり考えずに移りました。今でも…
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小野員裕さん<1>長髪ヒゲ面で面接に臨んだ出版社に採用
今回登場するのは、横濱カレーミュージアム初代名誉館長にして、ラーメンや居酒屋などの大衆料理研究家、出張料理人などさまざまな顔を持つ元祖カレー研究家。サラリーマン時代は、出版社で人文系の編集者を務めて…
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上阪徹さん<5>転職先が倒産し失業…アルバイトから出直す
1993年10月、日本中が深夜のサッカー中継にくぎ付けになっていた。ワールドカップのアジア地区最終予選。日本は、初の本大会出場をかけたイラク戦のロスタイムに同点ゴールを許して敗退した。「ドーハの悲劇…
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上阪徹さん<4>“社長が27歳”のコピーが心に刺さる人もいる
リクルートの広告制作会社に転職して1カ月後、中途採用広告を手がける千代田営業部の制作セクションに配属された。 「『ビーイング』と『とらばーゆ』を作る部隊の一角で、営業からの発注を受けるのが仕事…
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上阪徹さん<3>広告制作会社に転職…手取りは7掛けにダウン
田舎に帰るタイムリミットは迫っていた。カラータイマーは点滅している。それなのに「東京でやりきった!」と胸を張れる状況には程遠かった。このままいても何も見いだせない――気持ちばかりが焦っていた。 …
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上阪徹さん<2>倉庫整理で覚えた段ボールを組み立てる技術
当時のワールドはバリバリ体育会系の組織で、配属されたブランドでは厳格な規律があった。 「新入社員はエレベーターの使用が禁じられていて、階段を走るんです。礼儀にも厳しくて、あいさつや言葉遣いはも…
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上阪徹さん<1>伝説の売り上げを持つ店長にしごかれて…
秋元康、笑福亭鶴瓶、三木谷浩史、柳井正といった各界のトップランナーをインタビューし累計40万部のベストセラーとなっている「プロ論。」の著者。「成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?」「成功者300…
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神原サリーさん<5>40歳でフリーに転身し46歳で会社を設立
過労で倒れたこともあり、新聞社の契約社員を辞めたサリーさんは、フリーランスのライターになった。40歳のときだ。 「待っていても仕事はやってこないから、人生初の“営業”を経験しました。知り合いに…
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神原サリーさん<4>仕事をしながらPTAの役員も引き受けて…
新聞社の契約社員と、主婦業との両立は簡単ではなかった。 「記者の仕事が面白くなるにつれ、帰る時間がどんどん遅くなった。でもね、子供たちは、私が夜9時に帰っても時には10時になっても、晩ごはんを…
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神原サリーさん<3>5分遅れの帰宅で玄関が閉められていた
35歳直前、サリーさんはサンケイリビング新聞社の契約社員となった。仕事は記者。常勤で9時30分から夕方5時30分の勤務。今までの週3回出社のアルバイトより拘束時間はグンと延びた。 「実は、仕事…
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神原サリーさん<2>編集補助アルバイト2日目から取材で呆然
子育てしながら“赤ペン先生”になった神原さんは、添削を続ける一方で才覚を認められ、3年目には月1回の編集会議に出席していた。そのころ、福武書店はベネッセコーポレーションに社名変更。本社は九段下から多…
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神原サリーさん<1>出産後に進研ゼミ“赤ペン先生”と出会う
「マツコの知らない世界」(TBS系)をはじめ、テレビや雑誌の家電特集に欠かせない存在といえば、この人。主婦目線での家電“診断”は、分かりやすく消費者ウケがいい。家電コンシェルジュになる前には、OL経験…
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田口光久さん<5>芝公園で拾った銀杏をタワシで洗って…
14歳先輩の杉山隆一さんには、いろいろなことを教わった。誘われて銀座や六本木の夜の街に繰り出すことがしばしばだったそうだ。 「散々ごちそうになって店の外に出ると、デボネアが止まっているんだ。事…