コント青年団 大いに語る
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(5)ポール牧の遺品の姿見が深夜にバタンと…コント芸人の性を感じた怪奇現象
青木にとって、忘れられない芸人がいる。コント・ラッキー7のポール牧だ。相方の関武志が亡くなった後は、タレントだけでなく、俳優としても活躍した伝説の芸人である。 ◇ ◇ ◇ …
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(4)コロナ禍に感じた寄席のありがたみ 毎日舞台を踏めるのがどれだけ励みになったか
コント青年団が初めて末広亭の舞台を踏んだのは、2010年3月のこと。大の月の31日に催される特別興行で、2人のコントがよく受けたのである。 ◇ ◇ ◇ 青木(写真左)「出た…
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(3)コンビ名「コント青年団」誕生のきっかけになった師匠の一言
1999年3月から2010年3月まで、NHK地上波で放送された「爆笑オンエアバトル」は、若手芸人の登竜門といわれた。当然、2人も出場した。 ◇ ◇ ◇ 服部(写真右)「番組が始まっ…
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(2)コンビの将来に不安「レオナルドやゆーとぴあみたいなコントはもう受けない」
青木と服部は、1995年にシリアルパパというコンビを組んだ。当初はどんなネタをやっていたのか。 ◇ ◇ ◇ 服部(写真右)「銀行員の僕が、中小企業の社長の相方のところへ借金の取り立…
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(1)“異色の色物芸人”コント青年団が明かす紆余曲折、最初のコンビ名は「シリアルパパ」
寄席の色物芸人としては、異色の経歴を持つコント青年団。青木イサム(57)と服部健治(53)のコンビは、正統派のコント・レオナルドとゆーとぴあの流れをくむ。そんな彼らに、結成から現在に至るまでの紆余曲…