昭和スター千一夜物語
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石原裕次郎(3)「幸運のあとに必ず不運が…」石原プロの番頭コマサの憂慮が現実に…
胸部疾患でほぼ1年を棒に振った裕次郎さんは翌年の1972年6月公開の「影狩り」でカムバックした。さいとう・たかをの劇画を映画化、むろん石原プロの製作である。28歳で芸能記者になった私はラジオ・テレビ…
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石原裕次郎(2)大手映画会社の“独立プロ潰し”で破産危機…「テレビを軸に会社を立て直すよ」
テレビドラマの台頭で映画産業の斜陽がはじまると、裕次郎さんは1963年1月に独立プロ「石原プロモーション」を港区虎ノ門に設立(73年に調布市に移転)。日活映画から番頭のコマサ(小林正彦専務)ら親衛隊…
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石原裕次郎(1)映画「狂った果実」秘話…悪筆の兄・慎太郎の台本を徹夜で代筆してやっと完成
昭和のスターたちは豪快で華麗で、ハチャメチャだった。学歴なんかなくても向上心、努力、知恵の3つがあれば総理大臣にだってなれた昭和。私は長嶋茂雄さん(読売ジャイアンツ終身名誉監督)を車に乗せてハイライ…