昭和スター千一夜物語
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後藤久美子(2)「金に糸目は…」人生初のファーストクラスで地球の裏側ブラジル着
「国民的美少女」後藤久美子と、「F1ドライバー」ジャン・アレジの世紀の結婚スクープ! 上司は社運をかけたような意気込みで、私にブラジルGPが開催されるサンパウロ行きを命じた。 「現状の仕事は全部…
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後藤久美子(1)アレジに会いにブラジルに行くとの情報…急きょサンパウロに出張することに
国民的美少女といわれたゴクミこと後藤久美子と、F1ドライバーとして活躍したジャン・アレジが世界を股にかけて愛し合い、結ばれてから29年が経った。6月11日で還暦を迎えたアレジ、いまなお美しい50歳の…
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ヒデとロザンナ(7)「同じ墓に入りヒデと永遠に暮らしたい」
ヒデとロザンナは「愛の奇跡」(68年10月)ではじまり、21年後の「愛はいつまでも」(89年7月)まで、シングル29枚を世に送って幕を閉じている。私は10年前、取材でロザンナと39年ぶりに再会。彼女…
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ヒデとロザンナ(6)8歳年上の東洋人にロザンナは「やばい、運命の人だわ」と直感し…
ヒデとロザンナの2人の愛は、ロザンナの「ひと目ぼれ」からはじまっている。イタリア北部のアルプスに囲まれた小さな町「スキオ」で生まれたロザンナは17歳のとき、東京・赤坂のナイトクラブ「月世界」で演奏し…
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ヒデとロザンナ(5)勝新太郎からドラマ出演オファー ヒデの演技を「実にいい」と上機嫌だった
ヒデとロザンナ家に招かれてから1~2カ月後の1975年9月、ヒデさんから「ドラマの、いい仕事が決まった」という朗報が入った。それは勝新太郎主演の「痛快!河内山宗俊」のレギュラーだという。ヒデさんは歌…
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ヒデとロザンナ(4)ロザンナの心に打撃を与える女性は、いつも「ややグラマー」だった
ヒデとロザンナの新婚家庭、赤坂のマンションに夫婦で招かれたとき、身重のロザンナは「ヒデが好む“肉付きのいい”女性になりたかった」と、真剣な面持ちで話し出した。彼女が言う“肉付きのいい”とは「ややグラ…
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ヒデとロザンナ(3)ロザンナはたどたどしい日本語で「いつもヒデはテイシュカンパク」とのろけていた
フジテレビ「芸能人ゴルフ大会」に出場したヒデとロザンナのヒデさんは、厚木国際CCから復路の運転で「久々の仕事が好きなゴルフ。頑張った。でも、スリーパットの連続で最悪に終わった」と少し気落ち気味。助手…
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ヒデとロザンナ(2)ゴルフに向う途中“夫婦生活”の話を突然…「秘訣を見つけたんだ」
ヒデとロザンナの「ハワイ挙式」(1975年2月)を独占取材したフジテレビ「スター千一夜」(月~土、午後7時45分~8時)は芸能、スポーツ、時の人が出演したテレビ史に残る人気トーク番組である。人気絶頂…
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ヒデとロザンナ(1)「挙式をフジテレビに幾らで売った?」新婚の2人には罵声が浴びせられた
「愛の奇跡」や「愛は傷つきやすく」などの大ヒットで一世を風靡したデュオ「ヒデとロザンナ」の出門英さん(享年47)が、今年で35周忌(6月17日)を迎えた。同い年のヒデさんとは「できちゃった結婚」同士で…
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中村敦夫(7)「政治家が正しい道を作り、国民が手本となるべき」
敦夫さんから呼び出され、ご自宅を訪ねた。「テレビのキャスターは辞めたい。政治・社会問題は闇が多すぎてやりきれん」と、ストレスをため込んでいる様子。若いころから興味のあった東南アジアを舞台に小説を書き…
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中村敦夫(6)紋次郎のヒットで「役者としての表現は達成できたが、虚構の世界で現実味がない」
中村敦夫さんは「ボクは時代の表現者」という言葉をよく使う。厳格なジャーナリスト(読売新聞の記者)の父を持ったDNAのせいか、常に自己主張の場を求めてやまないし、実際、今も「原発事故」など環境問題を掲…
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中村敦夫(5)市川崑監督から電話が…新しい続編の紋次郎役は「あっちゃんしかいない」
中村敦夫さんの「木枯し紋次郎」は1972年からフジテレビが42回、77年にはテレビ東京が「新・木枯し紋次郎」として26回放送。映画では東映が菅原文太版で2回製作している。さて、月日が経った93年の夏…
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中村敦夫(4)「まだ若かったから、入院中も抜け出しては松葉づえで現場に駆け付けました!」
「木枯し紋次郎」(フジテレビ系)の現場は大映京都撮影所で、1971年10月にクランクイン(8ミリフィルム)した。殺陣師は大映のエース俳優、長谷川一夫さんから数えきれないほど斬られた美山晋八さんが担当。…
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中村敦夫(3)「希望が見えず、すさんでましたね。そんな悲壮感も紋次郎のイメージに近かったのかな」
喫茶店で夕日を浴びて立っている長身の中村敦夫さんを見た市川崑監督は、「まるで丘からフランコ・ネロがボクに向かって歩いて来るようだった。あれは、私が描いていた『木枯し紋次郎』のタイトルバックのシーンそ…
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中村敦夫(2)「10回死ぬところが17回まで生き延びました。金欠病でしたから助かったよ」
1971年のNHK大河ドラマ「春の坂道」の脚本は山岡荘八で、大河では初の書き下ろしだった。つまり、視聴者の反応を見ながら書き進める手法。視聴者から「中村敦夫の石田三成を殺さないで欲しい」という延命懇…
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中村敦夫(1)「実はね、紋次郎役は私ではなかったのですよ」
「あっしには関わりのないことでござんす」──テレビ時代劇「木枯し紋次郎」で紋次郎を演じた中村敦夫さん(84)が今月22日午後2時、専修大・黒門ホールで原発事故の恐怖を描いた朗読劇「線量計が鳴る」の上映…
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唐十郎(5)安藤昇逮捕後「小田原署が、きょうにもオレを逮捕しにくる。来てくれ」と電話が
安藤昇が逮捕されてから2、3日後、唐十郎さんから電話が入った。「小田原署が、きょうにもオレを逮捕しにくる。来てくれ」。カメラマンと都内の自宅(兼・稽古場)に急行すると、唐さんは「近所にオレの書斎小屋…
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唐十郎(4)「唐十郎が本物の拳銃を安藤昇に撃たせる」一面記事はヒット。新聞は売れたが…
1974年11月、唐十郎監督は映画「任侠外伝 玄海灘」のロケ先で、主演の安藤昇に本物の拳銃を渡して撮影。取材で現場に立ち会った私は“事件”の翌日の昼すぎに出社すると、すでに文化部長とデスクが出勤して…
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唐十郎(3)安藤昇に本物の拳銃を渡して撮影。カメラマンが「海に向って5発撃った」と
唐十郎さんが監督する映画「任侠外伝 玄海灘」の撮影で「本物の拳銃を使いたい」という。唐さんとは「紅テント」公演の取材で知り合い、ウマが合う演劇記者の木村隆さんは「友だちとして言う。やめてくれ。そんな…
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唐十郎(2)映画監督デビュー作で 「撮影で本物の拳銃を使うかも」と真面目な顔で突然
「テレビは嫌いだ。のっぺらぼうな画面、奥行きの全くない紙芝居と同じだ」 唐十郎さんは新宿のゴールデン街で飲むと常々テレビの悪口、いや、文明批判をしていた。唐さん33歳、私は30歳のころである。…