巨人軍 あの日、あの時、あの事件
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巨人森監督誕生なら打撃コーチは張本勲だった
マシンガン打線の横浜(現DeNA)が優勝した98年。前年4位の巨人はAクラスこそ確保したものの3位に終わり、2年連続で優勝を逃した。3年契約の最終年だった長嶋監督は8月19日、渡辺恒雄オーナー(当時…
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KKドラフトのシナリオは二頭取りだった
1985年、PL学園の桑田・清原の指名を巡るドラフトは各方面に多大な影響を与えた。清原1位指名だったはずの巨人が、土壇場で早大進学表明の桑田を単独1位指名。桑田は前言を撤回し巨人入り。6球団から指名…
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長嶋の横浜大洋監督就任を潰したのは財界の大物だった
長嶋監督が「男のけじめ」といって退団したのは、巨人が3年連続V逸となる3位に終わった1980年。93年に巨人に復帰するまで、他球団でユニホームを着るチャンスは何度かあった。84年オフの大洋(現DeN…
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元横浜打撃コーチ・高木由一氏が語る 長嶋監督を奈落の底に突き落とした「マシンガン打線」の秘密
横浜ファンに語り継がれる試合がある。98年7月15日、横浜スタジアムでの巨人戦。三回までに7点を奪われた横浜は、「マシンガン打線」が猛打を振るい、13対12でサヨナラ勝ち。両軍40安打の大乱戦を制し…
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元阪神球団社長が明かした2004年「1リーグ構想」の“内幕”
2004年、球界は揺れに揺れた。近鉄とオリックスが合併したことを契機に、リーグ再編騒動が勃発。巨人の渡辺オーナーが1リーグ制の旗振り役となって、球界を牽引しようとした。これに真っ向から異を唱えたのが…
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当時のリリースエース橋本清氏が語る「10.8」決戦の舞台裏
1994年10月8日。69勝60敗で同率首位に並んだ巨人と中日がこの日、優勝をかけたシーズン最終戦に臨んだ。プロ野球80余年の歴史でも、シーズン最終戦での直接対決による優勝決定戦は、後にも先にもこの…
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クロマティ語る野球人生最初で最後の「甲子園3連発ショー」
「伝統の一戦」と呼ばれる戦いには忘れられないシーンがいくつかある。昭和60年4月17日、甲子園球場で阪神のクリーンアップが放ったバックスクリーンへの3連発もそのひとつだろう。後に伝説となる3者連続アー…
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空前のフィーバーを巻き起こした定岡正二氏が直面した光と影
1974年夏の甲子園。鹿児島実(鹿実)のエースだった定岡正二氏は、準々決勝で1年生の原辰徳(現巨人監督)を擁する東海大相模との延長十五回の死闘を完投勝利。その実力と甘いマスクで一躍「甲子園のアイドル…
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89年日本シリーズの舞台裏を当時の投手コーチ中村稔氏が振り返る
1950年から始まった日本シリーズで、3連敗から4連勝して日本一に輝いたのは58年西鉄(現西武)、86年西武、89年巨人の3球団だけだ。当時、巨人の投手コーチだった中村稔氏が大逆転劇の舞台裏を振り返…
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長嶋監督の「不敗神話」が崩壊した日
巨人にはかつて長嶋茂雄監督の「不敗神話」があった。92年オフに誕生した第2次政権時代、狙った選手はことごとく獲得。広沢克己(95年ヤクルトからFA)、川口和久(95年広島からFA)、清原和博(97年…
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元木大介氏激白 「なぜボクはダイエーの1位指名を拒否しハワイへ野球留学したのか」
89年11月26日、都内で開かれたドラフト会議で「事件」が起きた。この年の目玉は新日鉄堺の野茂英雄(近鉄、ドジャースなど)。史上最多8球団の1位指名で話題をさらう中、ひとりの高校生が騒動の主役になっ…
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長嶋がすがった幻の逆転ホームラン
80年10月21日午前7時、長嶋監督の自宅に電話をかけた記者がいた。当時、共同通信運動部記者の菅谷斉氏(現スポーツライター)だ。 この年、巨人は早々と優勝争いから脱落。3年連続のV逸となり、…
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生え抜きで唯一FA移籍 駒田徳広氏が語る長嶋監督との軋轢と別れ
93年オフに実現したプロ野球のFA制度。今もって、生え抜きで巨人から日本の他球団に移籍したのは駒田徳広ただひとりだ。92年には4番を打ったこともある主砲はなぜ出たのか。 「もう話はしない、君と…
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仁志敏久氏が語る激動の96年シーズン「メークドラマ」
1996年、開幕ダッシュに失敗した長嶋巨人は、球宴前の7月6日に早くも自力優勝の可能性が消滅した。70試合を消化したこの時点で首位の広島との差は11.5ゲーム。スポーツ紙には「終戦」の文字が躍った。…
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男娼買春で獲得断念 D・スチュアート事件の一部始終
86年2月、「男娼を買春」という前代未聞の事態で入団がご破算になった外国人投手がいた。 「大丈夫ですよ、岩本さん。人の噂も七十五日。開幕する頃にはみんな忘れてますよ」 86年1月末、ロ…
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当時の投手コーチが振り返る「地獄の伊東キャンプ」の真実
キャンプ真っ盛りのプロ野球。この時期になると必ず話題になるのが、79年秋の巨人キャンプである。長嶋第1次政権5年目となったこの年、巨人はシーズン5位と2年連続で優勝を逃した。翌80年に引退する王貞治…
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打たれて「ホラ見てみい」士気下げた長嶋監督のベンチワーク
長嶋茂雄監督(78=当時39)1年目の昭和50年、巨人は球団史上初の最下位に終わる。チーム再建はフロント主導で着手。首脳陣は一新され、一軍に残ったのは守備・走塁コーチ補佐から同コーチに昇格した黒江透…
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怪物江川卓が手にした5000万円の小切手
1978年11月21日。ドラフト会議を翌日に控えたこの日、作新学院職員として米国に留学していた怪物・江川卓(59=当時23)は、電撃的に巨人と入団契約を交わした。球界のみならず、大きな社会問題になっ…