怪物江川卓が手にした5000万円の小切手
当時の巨人広報部長が明かした“舞台裏”
1978年11月21日。ドラフト会議を翌日に控えたこの日、作新学院職員として米国に留学していた怪物・江川卓(59=当時23)は、電撃的に巨人と入団契約を交わした。球界のみならず、大きな社会問題になった「空白の一日」である。創刊4年目を迎えた日刊ゲンダイは巨人の横暴、江川の身勝手を徹底的に批判し、空白の一日の裏側を暴き続けた。その後、巨人と江川の契約は無効とされ、ドラフトで阪神に1位指名された江川は翌年1月31日、小林繁との電撃トレードで巨人入り。しかし、日本中を騒がせた「怪物」の現役生活はわずか9年。87年11月12日に32歳の若さでユニホームを脱いだ。その時、江川が入団時の“密約”にのっとり、5000万円の小切手を手にしたことは知られていない。
「この5000万円で決着がつき、スッキリするならそれでいいのではないか。『空白の一日』がこれですべて終わる。そう思いましたね」
遠い目をしてこう振り返るのは当時、巨人軍総務の広報室長だった若林敏夫氏(78)。江川引退の舞台裏を取り仕切った人物だ。
江川の引退会見は87年11月12日、ホテルニューオータニで行われた。「(翌年に完成する)東京ドームで投げたいが、もう肩が上がらない」と正式に引退を表明した江川は会見のあと、若林氏を呼び止めた。そして「実は」と打ち明けた。
「『入団したとき都内に土地付きの家をもらう約束をした。それを履行してもらいたいので、巨人に話をして欲しい』というのです。あれだけの問題になったのですから、何かあったのでは、とは思っていたが、正直、驚きました」(若林氏)