五木寛之 流されゆく日々
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連載12077回 死をどう考えるか <2>
(昨日のつづき) もう、ずいぶん昔のことになるが、文藝春秋本誌で、『うらやましい死に方』という特集を組んだことがあった。 全国の読者から、身近かな人々の死に方で、うらやましく思った実例を報告し…
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連載12076回 死をどう考えるか <1>
数日前の新聞に、昨年の小中高生の自殺についての短い記事がのっていた。 統計をとりはじめて以来、もっとも多い数字がでたという。 高齢者の自殺数はどうなのか。この秋には93歳を迎える私としては、…
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連載12075回 横山剣の自伝を読む <2>
(昨日のつづき) 横山剣の音楽的自伝『マイ・スタンダード』(小学館文庫)は、本文だけで570ページをこえる超分厚い文庫本だ。私が学生時代に愛読した<アテネ文庫>の5冊分ぐらいは優にあるだろう。 …
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連載12074回 横山剣の自伝を読む <1>
金沢のアートホールで弦哲也さんと『弦楽器をめぐるパフォーマンス』をやったあと、こんどは東京で横山剣さんと対談をした。 横山剣さんは作曲家である。そして<クレイジーケンバンド>のリーダーだ。 …
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連載12073回 金沢に「弦」を聴く <3>
(昨日のつづき) 私は若い頃、しばらくレコード会社の専属のアーチストとして働いていた時代があった。 学芸部に所属し、保育童謡とか、名曲アルバムの制作とか、いろんな仕事をしたものだった。『鉄腕ア…
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連載12072回 金沢に「弦」を聴く <2>
(昨日のつづき) 弦哲也さんとは、かなり以前からのおつきあいである。 NHKのラジオ深夜便で歌をつくったとき弦さんに曲をお願いした。部屋を借りて、ああでもない、こうでもないと歌づくりにはげんだ…
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連載12071回 金沢に「弦」を聴く <1>
金沢にいってきた。 ちょっとしたパフォーマンスをやるためである。 私がテレビ金沢で出演している『新金沢百景』という番組が、折り折りに催しているステージに参加するためだ。 この番組がはじま…
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連載12070回 スポーツと私 <4>
(昨日のつづき) このところメジャーリーグの来日と、大谷選手の活躍で、野球界はお祭り騒ぎだ。これだけ期待されて、その期待に答える活躍ぶりをみせる大谷選手は凄い。本人の才能プラス何かが憑依していると…
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連載12069回 スポーツと私 <3>
(昨日のつづき) 中学生の頃は卓球をよくやった。もちろん部活とか、そんな本格的なものではない。近くの公民館に出かけては、その辺のヒマ人を相手にラケットを振り回す程度の遊びである。 高校にはいる…
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連載12068回 スポーツと私 <2>
(昨日のつづき) 少年の頃、といっても戦時中の話だが、いちばんやったのは剣道だった。父親が有段者で武徳会の役員などもつとめていた男だったから、冬でも毎朝、叩きおこされて木刀の素振りなどをやらされた…
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連載12067回 スポーツと私 <1>
私はスポーツが好きだ。 だが、スポーツマンではない。体格も貧弱だし、運動神経も普通以下だろう。 それでも何か運動をすることが好きだし、またスポーツを観ることも好きだ。テレビ中継でプロ野球、そ…
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連載12066回 健康ブームの背景 <3>
(昨日のつづき) 言うはやすく、行うは難し。 病気になって対処法を語るよりも、病気にならない未病のコツを知りたい、というのが一般読者の正直な感想ではあるまいか。 前にも書いたが、壮絶な闘病…
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連載12065回 健康ブームの背景 <2>
(昨日のつづき) 世間には<健康法>と<養生>という2つの発想がある。 どちらも予防と治療に関する自主的な対策だ。しかし、中身は同じでも、どこかがちがう。 なんとなく片方が東洋的で、もう一…
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連載12064回 健康ブームの背景 <1>
それをしてジャーナリズムと呼ぶのかどうかはわからない。 朝、新聞を読む。午後に週刊誌を読む。夜、夕刊と月刊誌を読む。 それら活字メディアにラジオとテレビがくわわって、マスコミと呼ばれるのだろ…
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連載12063回 「未完の仏」とは何か ─平岡正明をふり返る─ <2>
(昨日のつづき) <山口百恵は菩薩である> というのは、一世を風靡した平岡正明のコピーである。 幾千幾万の戦後のコピーのなかでも、ベストスリーにはいる傑作だろう。私は彼の著作集のオビを書くに…
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連載12062回 「未完の仏」とは何か ─平岡正明をふり返る─ <1>
ちくま文庫から出ている平岡正明の『ジャズ喫茶伝説』(筑摩書房刊)を読みだしたら、とまらなくなって、仕事を放りだして読んでしまった。 ジャズ喫茶についての本は、ずいぶんある。それぞれの体験談や、時…
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連載12061回 「霧のカレリア」再読 <5>
(昨日のつづき) 今回、半世紀以上も昔の、デビュー当時の作品を読み返したのは、かつての思い出にひたるためではない。 このところずっと取り組んでいた『五木寛之セレクション』(全7巻)の編集のため…
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連載12060回 「霧のカレリア」再読 <4>
(昨日のつづき) 20世紀初頭のフィンランドと現代のウクライナを簡単に重ね合わせることはできない。 それを承知で、大国に隣接する小国家の運命を思い描くことは、必ずしもナンセンスとは言えないので…
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連載12059回 「霧のカレリア」再読 <3>
(昨日のつづき) フィンランド共和国(スオミ)は、人口、5、600万人ほどの北欧の小国だ。 大国ロシア、スウェーデンなどに国境を接しているために、さまざまな苦難の歴史をたどってきた。 スウ…
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連載12058回 「霧のカレリア」再読 <2>
(昨日のつづき) 私がはじめてフィンランドを訪れたのは、1965年の初夏だった。 シベリア経由で当時のソ連に入り、モスクワ、レニングラードから列車で北欧へむかった。私が30代半ばの頃である。 …