五木寛之 流されゆく日々
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連載11975回 死を考えた小学生の頃 <5>
(昨日のつづき) 90歳をこえた時期から、死というものをあまり意識しなくなってきた。 これは不思議なことである。死がまもなく訪れてくるのに、死をあまり気にしないで生きている、というのはどういう…
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連載11974回 死を考えた小学生の頃 <4>
(昨日のつづき) <死は前よりしもきたらず> と言ったのは兼好法師だ。 <かねてより後ろに迫れり> ポンと背後から肩を叩かれて、ふり返ると、そこには死が微笑しながら立っている、と彼は言う。…
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連載11973回 死を考えた小学生の頃 <3>
(昨日のつづき) 私はもともと酒は呑まない人間である。戦後、不遇のなかで父親が酒に溺れた姿を見たことがトラウマになっているのかもしれない。 それでも若い頃は、無理やりに呑ませられるときがあった…
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連載11972回 死を考えた小学生の頃 <2>
(昨日のつづき) 教育というものは、おそろしいものである。国のために命をささげることが、当然のように感じられていたのだ。 わが身ひとつの命ではない。 ラジオから流れるニュースは、次第に『海…
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連載11971回 死を考えた小学生の頃 <1>
ふつうの人が死について考えはじめるのは何歳ぐらいの頃からだろうか。 人によってその機会は様々だろうが、とりあえず普通の人の場合は、定年退職をして、しばらくたった頃ではないかと思う。 もちろん…
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連載11970回 昭和20年代の頃のこと <4>
(昨日のつづき) 昭和20年代に流行った歌謡曲といえば、『啼くな小鳩よ』とか、『湯の町エレジー』などがすぐ浮かんでくる。 両方とも一世を風靡したヒット曲だが、いまは全くといっていいほど耳にする…
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連載11969回 昭和20年代の頃のこと <3>
(昨日のつづき) 高校新聞というものが注目されたのも昭和20年代後半のことだろう。 私は地元の新制高校へ進学し、すぐに新聞部の創立に取り組んだ。 当時、西日本の高校新聞のスタッフを集めて、…
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連載11968回 昭和20年代の頃のこと <2>
(昨日のつづき) 当時、マスコミでもてはやされたフラナガン神父のことを、同世代の人たちにたずねてみた。 「フラナガン神父って、いたよね」 「知らんなあ。だれだい、それは」 「野球をやる少年に…
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連載11967回 昭和20年代の頃のこと <1>
戦争が終ったのは昭和20年の夏である。 正式に戦争が終ったのはいろいろあって、はっきりしない。 8月15日を過ぎても、まだ戦闘状態が続いているところや、すでに休戦状態にあったところもあった。…
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連載11966回 「対談」はどこまで続く──栗山英樹さんとの対談集──
(昨日のつづき) 自分の著書について書いたり喋ったりするには、相当の度胸が必要だ。 どれほど面の皮の厚い書き手でも、自著について宣伝めいた言葉を発するのは気が引けて当然だろう。 最初の本を…
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連載11965回 「対談」はどこまで続く <4>
(昨日のつづき) きょうは午後、NHK出版部のKさんと打ち合わせ。 新しくできあがった対談集、『「対話」の力』を持参してくれたのだ。 できあがったばかりの新刊を手にするのは、この歳になって…
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連載11964回 「対談」はどこまで続く <3>
(昨日のつづき) 1966年に新人賞を受けて作家デビューをはたす以前から、対談はずいぶんやってきている。 当時のラジオ関東で私がかかわっていた<ダンシング・パトロール>という番組では、毎回、S…
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連載11963回 「対談」はどこまで続く <2>
(昨日のつづき) 対談の基本的なルールの一つは、約束の時間におくれないことだ。 これまで半世紀以上にわたる対談のなかで、時間におくれて相手を待たせたことは、ほとんどないように思う。 いや、…
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連載11962回 「対談」はどこまで続く <1>
明日の午後は田原総一朗さんと対談の予定がはいっている。文春の仕事だ。 田原さんとは、若い頃に奇妙なご縁があって、なんとなく「仲間」という感じがつよい。いま産経新聞の朝刊に連載中の語りおろし的自伝…
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連載11961回 「老い てんでんこ」 <5>
(昨日のつづき) きょうは夕方から泉鏡花文学賞の選考会に出席。 新聞社も、出版社も、どこのサポートもなしで始めた地方の文学賞が、今年で52回目を迎えたのは、奇蹟のような出来事といっていいだろう…
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連載11960回 「老い てんでんこ」 <4>
(昨日のつづき) <てんでんこ>の<てんでん>は、各人が勝手に、という意味だろう。 <てんでんバラバラ>のてんでんだろう。有事のときには一致団結、というのが一般的な考え方だが、<てんでんこ>には、…
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連載11959回 「老い てんでんこ」 <3>
(昨日のつづき) 私のいう<前期高齢期>、すなわち50歳から70歳までの期間は、それぞれ勝手に生きればよい。 夏が過ぎたのだ、と過ぎ去りし季節をふり返って感傷にひたるもよし、もうひと花咲かせら…
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連載11958回 「老い てんでんこ」 <2>
(昨日のつづき) 高齢期を3つに分ける。 <前期高齢期> <中期高齢期> <後期高齢期> ひと言で高齢期といっても、じつはさまざまで、一様ではない。 人生百年と仮定して、その半分、5…
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連載11957回 「老い てんでんこ」 <1>
先日、昔の本を読んでいたら、へえ、と思うような事が書いてあった。 一般に「歳をとる」という。この年寄りの基準がいまとまったくちがうのだ。 「お年寄り」とか、「老人」とかいう表現を40代の人にむ…
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連載11956回 かくて今日も過ぎゆく <4>
(昨日のつづき) この数カ月、歯の問題で頭を悩ませている。 新しく義歯を作ったのだ。 義歯なんていうと、偉そうだが、要するに<入れ歯>のことである。 私は上の前歯の歯列に問題をかかえて…