喜怒哀楽のサラリーマン時代
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黒川伊保子さん<4>プログラマー研究室の消滅とともに退社
出産後、1991年12月には職場復帰した。しかし、子育てには苦労した。復帰3日後から1歳になるまでは、授乳のために自宅と会社を1日2往復する日々だったという。 「義母が面倒を見てくれていたので…
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黒川伊保子さん<3>AIが美人司書をイメージしたと気付いた
1991年4月1日に全国の原子力発電所で日本語の文字ベースで対話しながらデータを検索できるコンピューター「司書AI」が稼働した。プロジェクトリーダーの黒川さんは、最初の1年を対話についての研究に費や…
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黒川伊保子さん<2>日本語で対話し情報検索できるAIを開発
新卒で入社した富士通の子会社では、1982年に設立した「新世代コンピュータ技術開発機構」の政策の一環で、人工知能プログラマーの任務を与えられた。このプロジェクトが終わる92年までの数年間に育てられた…
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黒川伊保子さん<1>女性上司に差し出されAIプログラマーに
2020年、人工知能時代が始まるといわれる。そのはるか三十数年前、通産省は人工知能の専門プログラマーを育成した。その第1号が黒川さんだ。1983年に奈良女子大学理学部物理学科を卒業し、富士通ソーシア…
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吉川良さん<5>家業継ぐも面白くなくて小説を書くように…
「宝石商はサラリーマンだったから、面白がって仕事ができたんだけど、“家業を継ぐ”となると話が違うね。同じ給料をもらうとはいえ、小さな薬問屋だから従業員兼経営陣のようなもの。経営っていうか、カネのやりく…
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吉川良さん<4>50万円のダイヤが金持ちには確実に売れた
「北海道で宝石商として働いたのは、昭和41年から。売り上げは良かったよ~。上司が、“何でオマエはそんなに売れるんだ?”って驚いていたんだから。アッハッハ。 宝石を売るコツは、お金持ちに売ること…
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吉川良さん<3>娘と訪れた牧場で体のデカい男が怒鳴って…
昭和41年、吉川さんは北海道行きを決意し、実行に移す。テイトオーがダービーを制した年だ。 「初めて応募した文学賞は落選したんだが、その時、編集者からこう言われたんですよ。“非常にいい作品だけど…
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吉川良さん<2>生活安定のためバーテンから画廊に転職し…
23歳のとき、吉川さんは、まる4年間離れていた東京に舞い戻る。 「キッカケは、ある時古本屋で手にした一冊の本。ヘンリー・ミラーの短編集でした。ページをペラペラとめくっていると、突然、“ここが私…
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吉川良さん<1>駒沢大学中退後バーテンダー稼業で全国放浪
日本ダービーはロジャーバローズの勝利で終わったが、改めて春のGⅠを振り返ると、ノーザンファーム生産馬がメチャクチャ強かった。言うまでもなく、近代競馬を牽引してきた社台グループの牧場のひとつ。吉川良さ…
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角田信朗さん<5>格好悪いことに全力で挑みボロボロになる
サラリーマン時代には何の実績も挙げられなかった僕でしたが、K―1時代の選手招聘には仕事で培ったノウハウや、大学で勉強した英語がずいぶん役に立ちました。それ自体はいいことなんですが、その後K―1では、…
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角田信朗さん<4>あらゆる書類を用意し2日で興行ビザを発給
僕は英語が話せるということで、K―1では海外選手の招聘や契約なども任されることになりました。 今でもヒヤヒヤした思い出として残っているのが、タイのムエタイ選手の参戦が決まっているものの、ビザ…
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角田信朗さん<3>試合後のTVインタビューでつい本音が出て
1991年12月、正道会館がリングスに参戦するということで、僕も試合に出ることになりました。僕は会社員だったので、社長である先輩に試合に出ることを伝えると、「総合格闘技と言っても、しょせんプロレスだ…
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角田信朗さん<2>道場の先輩に誘れてスーツで契約書を作成
道場の先輩に誘われ、スーツにネクタイで契約書を作成し……。 大学を卒業したら空手で食べていきたい、でもその道が見つからない。就職の内定も辞退してしまい、将来が決まらない。そんなとき、正道会館…
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角田信朗さん<1>日商岩井からの内定も「空手優先」で辞退
格闘技イベントK―1ではファイターとして熱い試合でファンを魅了し、競技統括プロデューサーを務めた正道会館最高師範の角田信朗さん(58)。ここ数年はボディービルダーとしても活躍し、数々の大会で好成績を…
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今泉健司さん<5>介護という天職のおかげで心に余裕が
介護の職場では、生活サポートはもちろん、レクリエーションも行った。施設の利用者と将棋を指したこともある。 「『ワシはアマチュア5段で、誰にも負けたことがないんじゃ』と自慢するおじいちゃんがいた…
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今泉健司さん<4>失敗乗り越え介護現場で学んだ“女性は神”
2度の奨励会退会という挫折を経て、介護の世界へ。将棋界とはまったく異なる職種ながら、天職と思える職場で生きがいを見つけた。 「僕は人と接するのが好きで、その人が笑顔になってくれたら、それだけで…
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今泉健司さん<3>2度の挫折で「光証券」のデイトレーダーに
「日本レストランシステム」の正社員として、最初は広島市、半年後に大阪・吹田市へ転勤。「洋麺屋五右衛門」で店舗スタッフとして約4年、懸命に働いたが……。 ◇ ◇ ◇ 「『プロ棋士…
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今泉健司さん<2>悪戦苦闘の正社員時代 体重は20キロも減り
26歳で広島県福山市に戻ると、生活のために普通自動車免許を取得。求人雑誌で職探しを始めたが、「中卒の学歴ではマズイ」と思い、通信制高校の授業を受けながら、アルバイトを始めた。 「初めて将棋の本…
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今泉健司さん<1>奨励会退会日から3日はベッドから動けず…
戦後最年長の41歳でプロ棋士になり、昨年、NHK杯将棋トーナメントで15歳の史上最年少プロ棋士・藤井聡太七段を破って名を上げた今泉健司さん(45)。プロになる前は、2度も将棋の道をあきらめ、会社勤め…
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鈴木美穂さん<9>「世界一周」夫の提案受け入れ退社を決意
人事の担当者に「NPO法人を立ち上げたい」と相談したところ、「給料をもらわないボランティアの形なら」とOKが出た。看護師の秋山さんと、がんを経験した鈴木さん。2人が共同代表として設立のために奔走した…