喜怒哀楽のサラリーマン時代
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白川優子さん<5>どうしてISやアルカイダまで助けるのか?
最近の白川さんは、国境なき医師団(MSF)の「顔」的な存在としてメディアに取り上げられる機会も増えている。学校その他で講演を頼まれることもある。 「でも、私は決してスーパーウーマンではありませ…
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白川優子さん<4>ネパール地震では手術室の立ち上げを担当
国境なき医師団(MSF)というと、イラク、シリア、南スーダンなど紛争地での活動ばかりを思い浮かべるが、地震や台風といった被災地への派遣も行っている。実際、2011年の東日本大震災でも、MSFは救援に…
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白川優子さん<3>地雷原の先頭を歩く父親に家族愛を感じた
白川さんが「国境なき医師団」のメンバーになったのは36歳の時だ。 以来、イラク、シリア、パレスチナ、ネパールなど2010年から18年にかけて17度派遣され、戦争の醜さ、貧困地域の劣悪な環境を…
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白川優子さん<2>看護師を目指していたわけではなかった
身長154センチ。日本人女性としても小柄なこの女性が、まさかイラク北部のモスルで医療現場の最前線に立っていたとは想像もつかない。爆撃で全身焼けただれた少女など多くの民間人の世話もしてきた。 「…
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白川優子さん<1>夢の実現に年齢制限はないという母の言葉
この夏、白川さんは上野公園にある野球場で高く舞い上がる白球を追いかけていた。ボールに触るのは中学生時代に所属していたソフトボール部以来のこと。平和的な光景だが、つい最近までこれとは正反対の紛争地や貧…
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下重暁子さん<5>物書き一本でいく…今はまだスタート地点
東京放送局時代、NHKラジオ「夢のハーモニー」を担当していた。夜11時すぎに音楽にのせて詩や物語を読む番組。文章は有名な詩人などに依頼していたが、ある時から予算の削減のために下重さんにチャンスが巡っ…
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下重暁子さん<4>鰻屋からの中継アクシデントが転機になる
取材者と被害者の立場を経験した伊勢湾台風では、悲惨な現場に立ち会ったことで、“取材する面白さ”を感じたのだから皮肉なものだ。 「アナウンサーの仕事は、正直に言って面白くなかったのですが、半年間…
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下重暁子さん<3>台風の3カ月後、家畜の死骸の異臭が漂い…
NHKに入局して1年目の1959年9月26日、5098人の犠牲者を出した伊勢湾台風が発生した。配属先の名古屋放送局にいた下重さんは、取材者と被害者の立場を経験することになる。 「当時、天気予報…
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下重暁子さん<2>先輩の野際陽子と“荒田のおろち”と呼ばれ
NHKの同期は男性19人、女性4人。6月に初任地の名古屋放送局に赴任するまでは、内幸町の東京放送会館でトレーニングを受けた。 「同期とは学生の延長線上みたいなもので仲が良かったから、全国に散ら…
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下重暁子さん<1>最終面接局を決めるため友人とジャンケン
ベストセラー「家族という病」をはじめ、家族や生き方をテーマにした著作を多数出版。新著「天邪鬼のすすめ」(文春新書)では、挫折を乗り越える土台となったあまのじゃくな生き方について説いた。早稲田大学を卒…
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近藤サトさん<4>女子アナになりきれず“声の表現者”目指す
フジテレビ時代のメインの仕事は「ニュース読み」だったが、キャスターの道に進むことはなかった。1998年9月に退社後はフリーに転身している。 「声の表現者になりたかったんです。報道の現場で学んだ…
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近藤サトさん<3>情報伝達のスピード 人の考える機会を奪う
1995年1月17日の早朝、局内の報道フロアに「兵庫県で大地震があった」と一報が届いた。 阪神・淡路大震災である。東京にいる近藤さんたちに届いたのはヘリからの情報だけで、神戸市長田区に火災が…
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近藤サトさん<2>五輪取材では選手にサインもらってばかり
近藤さんが入社した91年は、旧ソ連が崩壊し、ロシア連邦が成立している。世界情勢が激動した時代。報道番組を任されることが多かった近藤さんは、海外取材に帯同することも多かったという。 「北朝鮮を政…
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近藤サトさん<1>「私も会社を選ばせてもらいます」と主張
1991年に入社したフジテレビで看板アナとして活躍。「FNNスーパータイム」など報道番組でキャスターを務めた。98年9月に退職。現在は母校の日本大学芸術学部の放送学科で特任教授に。40代後半から白髪…
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佐々木成三さん<5>信頼関係があれば雑談からでも情報が
被疑者や関係者から丁寧に話を聞くよう心掛けた佐々木さんが、最も大切にしたのは信頼関係の構築だった。 「たとえ相手が被疑者であっても同じです。ウソをつかないとか、こちらの言い分ばかりを通そうとし…
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佐々木成三さん<4>「母親殺害事件」で話を聞く大切さ確信
鉄道警察隊に配属されているころ、大宮駅の周辺では「ナンパ狩り」が横行していた。地元・大宮ナンバー以外のクルマで来た連中が駅のロータリーなどで女性をナンパすると、地元の不良たちがボコボコにするという事…
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佐々木成三さん<3>犯罪者には特有の視線・動き・思考がある
鉄道警察隊の4年間は人間を観察する目が養われた時期だった。 「駅や列車内にいる不審者の発見が仕事で、『まず、人を見ろ』と言われました。それで行き交う人を見ていると、次第に分かってくるんですね。…
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佐々木成三さん<2>900人の独身警官と“成田ムラ”で生活
交番勤務をしていた時、役に立ったのが高校時代にやっていたアルバイトでの経験だった。 「あるレストランでボーイをやっていたんですが、その時に教えられたのが“ワンアクション・スリーゴール”です。1…
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佐々木成三さん<1>仕事をしない先輩のおかげで力が付いた
22年間の警察人生のうち、10年を県警本部の捜査1課で過ごした。数多くの事件で実績を上げ、デジタル捜査班の初代班長も経験。バリバリの経歴に加え、元刑事らしからぬ(?)甘いマスクで情報番組のコメンテー…
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松尾雄治さん<5>入社8年目で係長に「デカい社宅に移った」
「ラグビー部とはいえ、仕事は一般社員と同じだったから、異動も経験しました。入社した時は運輸課の陸運担当。次は海運担当に。外国から帰ってきた船は、鋼材を積んでまた出航するんですが、その間の行程管理が主な…