牛次郎 流れ流され80年
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<60>俳優・勝新太郎「台本通りは面白くない」が持論だった
1990(平成2)年1月、違法薬物を持ち込もうとしてハワイのホノルル空港で逮捕された勝新太郎(写真)は、罰金1000ドルを払って即日釈放された。その後に国外退去処分が下されるも不服を申し立て、翌91…
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<59>「原案・若山富三郎」断片的なアイデアをつなげて本に
牛次郎の著書には「原案・若山富三郎」とクレジットされた作品がある。「鎮魂曲(レクイエム)は地獄で聴け」(1986年、広済堂出版)がそれで、戦争末期の沖縄で日本兵に家族を虐殺された3兄弟が復讐に燃える…
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<58>ホテルのフロントで本物の拳銃をぶっ放した若山富三郎
1990(平成2)年1月、ハワイのホノルル空港で、俳優の勝新太郎が違法薬物の所持容疑で逮捕された。9・75グラムの大麻と1・75グラムのコカインを小さな袋に入れ、パンツの中に隠し持っていたのだ。勝は…
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<57>脳梗塞でも右脳が覚えていた「お経」で仕事をやりくり
言葉をしゃべれず、文章も書けない中、お経だけは上げられることが分かった。おかげで稼げる方法が見つかった。お葬式である。 「坊主は、お経さえ読めれば、葬式をやれるからね。無理やり説教をする必要も…
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<56>最後まで戻ってこない「数字」…電話番号を書き取れず
出会わない系のリハビリで、失った言葉を順調に拾い集めていくことができた。 「とにかく書くことに慣れていく環境が必要だったんだ。その点、出会わない系は理想的で、最初はヨレヨレでおかしな文章しか書…
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<55>言語を取り戻すリハビリに「出会い系サイト」を活用
文字は読めないし書けない。だれかにストーリーを話して書いてもらう“聞き書き”も、しゃべれないのだから不可能だ。物書きとしては、死んだも同然になっていた。そんな時、オリジナルの“出会わない系のリハビリ…
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<54>脳梗塞の後遺症で失語症に 売り食いで私有財産はゼロ
脳梗塞の後遺症として表れることがある失語症は、長いリハビリが必要とされる。まずは簡単な挨拶から始めて、短い文章を耳で聴き、言葉を復唱することで、失われた言葉を取り戻していくのだ。短い日記を書くことが…
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<53>言語野に残った後遺症…漢字以外が出てこない
10年前、朝起きたときにフラッとした。おかしいと思って本棚に目をやり納められている自著を読み上げようとすると、ろれつがまわらずウォワウォワとしか言えない――これらは典型的な脳梗塞のサインだ。最初は数…
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<52>「やられた」午前7時20分に歩けなくなり救急車で病院
投稿サイト「カクヨム」では、「烈風 真田幸村戦記」のほかに、2つの小説をアップしている。殺人事件の謎解きと沖縄の独立が描かれている「クリティカルな球体」と、軽いタッチの官能小説「どうして、むふふ、ダ…
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<51>歴史小説を書くために購入した「大日本史料」を読んで
牛次郎の自宅の本棚には「大日本史料」が収蔵されている。東京大学の史料編纂所がまとめた日本の歴史の基礎資料だ。 日本では奈良~平安時代に「日本書紀」「続日本紀」「日本後紀」「続日本後紀」「日本…
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<50>柴田先生も言ってた 物書きの楽しみは大ボラ吹けること
真田信繁(幸村)は強大な力を保持した徳川家を震え上がらせた武将として歴史に名を残している。兵力の差を才知で埋め、関ケ原に向かう秀忠を足止めし、大坂冬の陣では家康を崖っぷちにまで追い詰めた。好条件を提…
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<49>熊本城を築城 名手・加藤清正は土木にも精通していた
戦国武将の加藤清正といえば、「日本三名城」に数えられる熊本城を築城したことで知られる。子供の頃から秀吉につかえ、27歳で肥後北半国の大名となった。「賤ケ岳の七本槍」のひとりで、乱暴者の福島正則らと一…
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<48>建築屋は住民のことを考えず自分のやりたいことを優先
牛次郎は建築士の資格を持っているわけではない。それでも1985(昭和60)年には、東京都建築士事務所協会の優秀賞を受賞。89(平成元)年に願行寺を建立する際は300枚もの図面を描き上げ、使う材料まで…
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<47>寺の本堂を自分で設計「隈研吾ぐらいはできたかも」
願行寺の本堂は牛次郎本人が設計している。別棟の自宅もそうだ。とはいえ建築士の資格を持っていないので、書類上は別の人の設計になっている。牛次郎は建築デザイナーとして関わった形だ。 「建物全体の平…
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<46>枯れ葉が堆肥になる輪廻転生 田舎暮らしに農家の知恵
最近は自分の山を購入する人が増えているという。山といっても丸々1つではなく、その一部というケースが多い。中古のマンションや一戸建てのように、物件を紹介するサイトもある。 流行のきっかけは、ソ…
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<45>軽トラでごみ捨て 決して安くない田舎暮らしのコスト
伊豆の別荘地には、定年退職後に東京から移住したという老夫婦が少なくない。気候は温暖で、高台から眺める大海原は壮観だ。新鮮でおいしい魚介類だって味わえる。 ただし、生活にかかるコストは、それほ…
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<44>ペットの埋葬が縁で檀家に入りたい人が増えてきた
願行寺は伊豆急行線の富戸駅(静岡県伊東市)から急坂を上った山の上、かつてはミカン畑が広がっていたところにある。 「ここも、もともとはミカン畑やお茶畑だったんだけど、知り合いの不動産屋にそそのか…
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<43>全国でも珍しかったペット霊園が檀家獲得のきっかけに
宗教法人の認証を得るために5年間を費やした。最初は都庁、そのあとは文化庁に。訪れるたびに書き直しを命じられた申請の書類は、段ボール箱にして5箱分ぐらいの分量になった。文化庁の担当者には「あんたもしつ…
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<42>ペラっと紙1枚 拍子抜けだった宗教法人の認証を示す紙
「願行寺」が建立された1989(平成元)年は、オウム真理教が東京都から宗教法人の認証を得た年でもある。同年に教団は坂本堤弁護士一家を殺害。ここからさらに暴走、凶暴化し、1995年3月に地下鉄サリン事件…
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<41>見切り発車で寺院建立 宗教法人認証に滑稽なやり取り
1989(平成元)年、伊豆高原の高台に寺院を建立した。ただしこの時点で、宗教法人の認証は下りていなかった。見切り発車である。なにしろ明治以降、臨済宗の新しい寺院は一つも生まれていないのだ。 「…