牛次郎 流れ流され80年
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<20>デビュー作のヒットで松本清張を上回る高額な原稿料に
少年マガジン副編集長の宮原照夫(元株式会社コミックス代表取締役)は、小説「釘師」を漫画の原作にしようと提案した。 「宮原さんはクソ真面目な人でね、俺にとっては2番目の恩人。渡した小説原稿は数日…
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<19>「ドミノ倒し」原稿で見せつけた腕前 活躍の場広がる
ライター稼業は軌道に乗っていた。週刊現代で原稿を書きながら、夕刊フジの連載をまとめた「パチンコ入門」という本も出版。ほかの媒体にも活躍の場を広げていった。 「週刊プレイボーイや平凡パンチ、それ…
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<18>紹介された「週刊現代」でライター稼業を本格始動
夕刊フジではパチンコの他にも、ナンパな記事を書いた。 「すわっ、事件だ、なんて時は絶対にお呼びがかからない。ヒマでヒマでしょうがなくて、何かネタがないかって時になると『おーい』って呼ばれる。『…
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<17>原稿を持ち込んだ「夕刊フジ」で記者に…忙しい日々に
上石神井に開いた洋食店「ブルドッグ」は、半年で見切りをつけて売却した。さて、これからどうするか――あれこれ思案をしている時、たまたま喫茶店で手にしたサンケイスポーツの広告に目が留まった。サラリーマン…
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<16>上石神井の団地を当て込み始めた洋食店「ブルドッグ」
20代の半ばを過ぎた頃、パチンコメーカー「西陣」の楽団員兼社員となった。初めての堅気の暮らしだ。台所がある上石神井(練馬)のアパートに引っ越し、テレビと冷蔵庫も買った。籍も入れ、正式に夫婦となった。…
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<15>パチンコメーカー「西陣」の楽団に参加…初任給20万円
熱海で3年ほど過ごしたのち、東京に戻った。行きは1人だったが、帰る時は2人に増えていた。新居は祐天寺(目黒区)の4畳半のアパート。そこからステージのある川崎のダンスホールまで通った。身内以外と組んで…
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<14>交際相手の父親に頼まれてバンドマンに…ベースを担当
熱海の小さなキッチンで料理の腕を上げていった。バーカウンターにも立つようになり、カクテルも作るようになる。元来が真面目で凝り性だから、仕事を覚えるのも早い。マスターにも常連客にも気に入られた。 …
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<13>9人相手の大立ち回りでつけられた左頬のやっちゃん印
「日本一周」を目指して降り立った熱海で、「白の革ジャンが生意気だ」と因縁をつけられた。相手は地元の不良9人。多勢に無勢である。普通だったら「すみません」とやり過ごす。それができなかった。 「カッ…
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<12>“坊や”と気に入られて鳥越の「半グレ」連中と友達に
昭和29(1954)年、高校への進学率が初めて50%を超えた。昭和15年生まれの牛次郎が、ちょうど中学生の頃だ。 「同級生の半分は高校に進学しないんだから、ましてやその先まで進むなんて特別だっ…
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<11>大嫌いな担任を見返すため難関・上野高校を受験し合格
中学3年生になると、クラスメートは就職組と進学組に分かれた。中卒で仕事に就くことが珍しくなかった時代だ。仲間の多くも就職を選択している。食うに困る生活だった牛次郎にとって進学は現実的ではなかった。 …
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<10>5分待ってから…お供えを目当てに散策した谷中の霊園
牛次郎が通っていた荒川区立第八中学校は、1学年770人。周辺の学校の中でも抜きんでたマンモス校だった。 「1クラス70人でA~K組まであってね。旭化成の広場で荒川区の連合運動会ってのをやったこ…
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<9>米兵は金ヅル「少年ポン引き」でドル紙幣をポケットに
マーケットには米兵もやってくる。当時の子供たちにとって、彼らは恵みを与えてくれる相手であり、金ヅルでもあった。カモになりそうだと思えば、「ヘイ・ユー」と声をかけた。 「少年ポン引きだよ。その気…
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<8>焼け野原で拾った材料で掘っ立て小屋を建てて生活を…
戦争が終わり、ガード下を離れた。爆撃に怯える必要のない日々。日暮里駅(荒川区)の近くにバラックを建て、新しい生活を始めた。土台なんてない。柱を土に埋め込んで組んでいく掘っ立て小屋である。 必…
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<7>日暮里の家も焼失 京成電鉄のガード下で聞いた玉音放送
1945(昭和20)年3月の東京大空襲で浅草・光月町の家は焼失した。 当時は日暮里(荒川区)にも家があり、祖母、母、子供5人の7人は、そこで生活を立て直すことになった。 「もう1軒、堀…
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<6>十文字作戦で浅草の実家が焼失 ご先祖様が呼んでいる!
1945(昭和20)年3月10日、東京・下町の住宅街は米軍の無差別攻撃で焼き尽くされた。ターゲットは普通に生活している市民だ。木と紙で建てられた日本家屋と、そこに生活する人たちを焼夷弾で灰にする計画…
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<5>「主人公ぶっ倒れる。しかし生きている」と書いた梶原
梶原一騎は仕事のやり方も豪快だった。 「漫画原作の原稿料は書いた枚数じゃないんだ。漫画のページでいくらって計算になるから、いっぱい書いてもちょっと書いても同じなんだよ。梶原さんぐらいになると、…
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<4>名称を提案 「梶原賞」の創設に一肌脱ぎ一緒に銀座へ
「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「柔道一直線」「赤き血のイレブン」「空手バカ一代」「愛と誠」――。梶原一騎が原作を手掛けた漫画は、いずれも話題となりヒットした。アニメやドラマ、映画にな…
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<3>「お力をお借りすることに」巨匠梶原一騎に切った仁義
「俺は流れ流されての流れ者。自分でもバカだなって思うけど、ひとところにいられない性分なんだ。連載もスパッとやめちゃう。『こんなに長くやって、バカかよ』って、自分で思っちゃうからね」 料理漫画の…
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<2>読む側に「しょーがねえな」とバカにされる漫画がいい
「やる気まんまん」の企画は、順調に準備が進んだ。原稿を依頼した旧知の仲の斉藤譲一(77=元日刊ゲンダイ編集局長)は、「あれをオットセイにするとか女性器を貝にするとか、牛チャンからはいろんなアイデアがど…
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<1>やる気まんまん1週間連載「ネタが持たねえんじゃ?」
「やる気まんまん」が帰ってきた。原作者は牛次郎。東京の下町・浅草に生まれ、漫画原作者として一時代を築いた。その後は小説や建築の分野でも活躍。片岡義男や池田満寿夫を輩出した「野性時代新人文学賞」のほか、…