牛次郎 流れ流され80年
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<40>まさかの僧侶転身 46歳で得度出家を決意した深いワケ
牛次郎には、牛込記という本名の他にもうひとつ、名前がある。牛込覚心という法諱だ。1986(昭和61)年、46歳の時に熱海にある臨済宗妙心寺派の善逝山医王寺で得度出家。現在は「転法輪山 願行寺」の管長…
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<39>人気作家・勝目梓の句会に呼ばれ「天地人」の「天」に
今年3月、心筋梗塞のため87歳で亡くなった勝目梓は、バイオレンス小説を中心に300冊の著作を残した人気作家だ。面倒見の良い性格で、牛次郎も何度か酒の席を共にした。 勝目は「一煙」の俳号を持ち…
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<38>父は立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は競馬と競輪
古舘プロジェクトは、多くの番組を手掛けた人気放送作家の腰山一生やテレビ朝日のアナウンサーだった古舘伊知郎(65)ら7人が1984(昭和59)年に立ち上げた芸能・制作プロダクションだ。社長に就任したの…
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<37>たがわ靖之は丸めた鼻くそを綿に包んで保管していた
牛次郎はかつて、東京の青山に「ダックスハウス」という編集・出版プロダクションを持っていた。そこには多くの漫画家や作家の卵たちがたむろしていた。 漫画家のたがわ靖之もそのひとり。「別冊漫画ゴラ…
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<36>作曲から学ぶ「ノイズも音楽、失敗があるから面白い」
牛次郎はすべての楽器をひとりで演奏して曲を作っていたことがある。先生は、音大の教授だ。ステージでベースを弾いていた時に、アルバイトでピアノを弾きに来ていて知り合った。 「音大の作曲科を卒業した…
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<35>納得いく表現のために猫を…漫画家・平田弘史の狂気
「週刊少年マガジン」(講談社)や「週刊少年サンデー」(小学館)といった週刊漫画雑誌が創刊されるまで、漫画といえば主流は貸本だった。赤塚不二夫、楳図かずお、さいとう・たかを、水木しげる、水島新司ら、貸本…
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<34>アシスタントは全員女性だった「子連れ狼」の小島剛夕
1970(昭和45)~76(同51)年まで「漫画アクション」(双葉社)に連載され、大ヒットしたのが「子連れ狼」だ。柳生一族に妻を殺されて江戸を脱出した元公儀介錯人・拝一刀が、乳母車に乗せた息子・大五…
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<33>免許を持たず高級スポーツカーを購入したジョージ秋山
今年の1月、牛次郎は久しぶりに小学館の新年会に顔を出したという。だが、知っている人はほとんどいなかった。 「知った顔は、さいとう・たかをさんぐらい。それで挨拶したら『おう、あんた誰?』って聞く…
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<32>ペンネーム「牛次郎」の由来をズバリ当てた池波正太郎
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」などのベストセラー小説で知られる池波正太郎も、牛次郎のペンネームに興味を示した。 「確か、野性時代新人文学賞の授賞パーティーで言われたんじゃなかった…
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<31>編集者が恐れる柴田錬三郎に「小説で食えますか?」
高輪プリンスホテルを定宿とし、仕事場としても使っていた柴田錬三郎は、ほとんど笑顔を見せなかった。表情を崩さず「フォフォフォ」と声を発するのが、普通の人の「アハハ」と同じ。感情の起伏が表に出ないから、…
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ペンネームに興味示した柴田錬三郎「牛次郎?牛耳ろう?」
牛次郎は、もちろんペンネームだ。本名は牛込記。風変わりな「記」という名前は、僧侶につけてもらったもの。弟子が悟ったかどうかを釈迦が判別することに由来するという。 一方のペンネームは、吉原の客…
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<29>官能小説の打ち合わせを延々続けた某誌編集長のその後
「野性時代」の新人文学賞を受賞した「リリーちゃんとお幸せに」は、漫画原作者で牛ちゃんと呼ばれる牛島が主人公。子供の小児ぜんそくがきっかけで東京の練馬から熱海に戻ってきたという設定だ。20年近く前に同地…
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<28>小説「リリーちゃんとお幸せに」で新人文学賞を受賞
小説家としての牛次郎には大きなハンディキャップがあった。漫画の原作者として高い知名度があり、成功を収めていたことだ。単なる新人作家としては見られなかった。 ■色眼鏡で見られたデビュー 「…
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<27>全盛期は自作のアニメとドラマが夕方のTV番組を独占
「プラレス3四郎」は1982(昭和57)年から3年間、「週刊少年チャンピオン」で連載され、テレビアニメも放送された。世の中ではプラモデル人気が復活し、パソコンや家庭用ゲーム機の本格的な普及が始まってい…
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<26>コンピューターで制御…「プラレス3四郎」の先進性
「プラレス3四郎」は、プラモデルのロボット=プラレスラーの「柔王丸」を操る中学生・素形3四郎が、さまざまなプラレスラーを駆使するライバルたちと戦う物語だ。 「週刊少年チャンピオン」で連載がスター…
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<25>「もう1回、少年漫画を書いてもらえないか」と依頼が
仕事場を兼ねた豊玉(練馬区)の家は、もともとアパートを想定して設計されたものだった。自宅用に手を加えたものの使い勝手は悪く、富士見台(同)にもう一軒、家族だけが使う自宅を購入した。 しばらく…
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<24>練馬にキャッシュで自宅購入も…体重は48キロに減った
フリーライターとして週刊誌で働き始めた頃、原稿料はペラ1枚(20字×10行)で500円だった。ほかのライターが取材した素材を記事にまとめるアンカーマンの仕事でも2000円程度。パチンコメーカーの西陣…
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<23>「つけ麺」の原点となった「タレーメン」のアイデア
1973(昭和48)年に「週刊少年ジャンプ」で連載がスタートした「包丁人味平」の見どころは、コック見習の主人公・塩見味平とベテラン料理人たちとの料理対決だ。包丁貴族の団英彦、無法板の練二といった強力…
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<22>味覚嗅覚に訴えられない料理漫画「ラッセル車」人気に
米国で誕生した「ローラーゲーム」は、ローラースケートを履いた選手が、楕円状のトラックを回りながら得点を奪うスポーツだ。通常は5人対5人のチーム戦で、ジャマーと呼ばれる得点者が相手側の選手を追い抜くこ…
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<21>本当で固めた真ん中で大ウソをつくのが「俺のやり方」
「釘師サブやん」には、釘の名人として「茜正村」というキャラクターが登場する。近代パチンコの始祖という役回りだ。モデルはパチンコの神様といわれた正村竹一。現在も基本となっているパチンコ台の釘の並びを考案…