鈴木敏夫 新・映画道楽 体験的女優論
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早春スケッチブック編(4)望月良子役を二階堂千寿が演じなければ名作になっていない
「早春スケッチブック」(1983年・フジテレビ系)には岩下志麻、樋口可南子に加え、もう一人重要な女優がいる。それが中学生の望月良子を演じた二階堂千寿だ。望月家では兄の和彦や母親の都が竜彦(山崎努)と会…
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早春スケッチブック編(3)岩下志麻は「本当の竜彦は、河原崎さんですよ」と語った
「早春スケッチブック」(1983年・フジテレビ系)で、18年ぶりに再会した元恋人同士の望月都(岩下志麻)と沢田竜彦(山崎努)。最初は自分の家庭に波紋を起こす竜彦を拒否していた都だったが、竜彦の病気が進…
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早春スケッチブック編(1)「樋口可南子さんは真面目だけれど、少年を誘惑する謎の美女が似合う」
山田太一脚本のドラマでベスト5を挙げるとすれば「男たちの旅路」(1976~82年・NHK)、「岸辺のアルバム」(77年・TBS系)、「ふぞろいの林檎たち」(83~97年・TBS系)などと共に、必ずラ…
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笠智衆3部作編(5)「杉村春子さんには、芝居に人生のすべてをかけているような凄みがある」
山田太一脚本、笠智衆主演の「今朝の秋」(1987年・NHK)で、夫と息子を捨てて20年前に家を出ていった女性・タキを演じた杉村春子。代表作「女の一生」をはじめ、劇団文学座の中心的存在として新劇界で活…
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笠智衆3部作編(4)「杉村春子さんは息子への愛だけ先走って、実は何もできない母親の雰囲気がよく出ている」
山田太一による笠智衆3部作は、主演の笠智衆に小津安二郎映画そのままのキャラクターを重ねていることも含め、小津映画へのオマージュという点で一貫している。中でも最終作の「今朝の秋」(1987年・NHK)…
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笠智衆3部作編(3)「岸本さんからは生命感があふれていて、笠さん演じる老人との対比になっている」
山田太一による笠智衆3部作の第2作「冬構え」(1985年・NHK)。これは妻に先立たれ、孤独を感じた圭作(笠智衆)が、さらに老いて子供や孫に迷惑をかけることになる前に、自殺しようと死に場所を求めて東…
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笠智衆3部作編(2)「小津さんが要求しても泣かなかった笠さんを泣かせているんです」
シナリオライター・山田太一が敬愛した俳優、笠智衆。彼は1904年、寺の息子として熊本県に生まれた。笠智衆は本名である。 ■「りゅうち、しゅう」 「昔、笠智衆はどこまでが名字かわからなくて…
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笠智衆3部作編(1)『ながらえば』では笠さんにきつく当たる息子の嫁をリアルに演じている
鈴木敏夫が愛してやまない山田太一作品に「ながらえば」(1982年)、「冬構え」(85年)、「今朝の秋」(87年、すべてNHK)と続く笠智衆主演の3部作がある。これらは小津安二郎映画や「男はつらいよ」…
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檀ふみ編(4)芸達者なキャストで作品に厚み 「日本の面影」が描いた“いい面と悪い面”
「日本の面影」(1984年)にはラフカディオ・ハーンが残した著作の中でも有名な「怪談」と「骨董」からいくつかのエピソードが紹介されている。それらは小泉セツがハーンに語って聞かせる形を取っているが、映像…
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檀ふみ編(3)「山田太一さんは、精神的な幸福をハーンの口から問いかけていた」
山田太一が「日本の面影」(1984年)の企画をNHKから依頼されたとき、最初は「日本の近代史を支えたエネルギー」のことをドラマにできないかと言われたという。つまり石炭や石油などのエネルギーの変遷と近…
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檀ふみ編(2)「実は彼女が女優になったのは父・檀一雄がきっかけ」
山田太一脚本の「日本の面影」(1984年)でラフカディオ・ハーンの妻・小泉セツを演じた檀ふみ。作家・檀一雄の娘で、東映の社長も務めた高岩淡を叔父に持つ彼女は、任侠映画の名プロデューサー・俊藤浩滋にス…
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檀ふみ編(1)山田太一脚本のNHKドラマ「日本の面影」に出演…「これが彼女のベスト作」
1984年、鈴木敏夫はこの年3月に公開される「風の谷のナウシカ」の実質的なプロデュースを担当し、多忙を極めていた。そんな時間のない中でも欠かさず見ていたのが、山田太一脚本によるNHK制作のドラマ「日…
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八千草薫編(7)山田太一のドラマにハマった 女優としての“いい加減”の見せ方
「シャツの店」(1986年、NHK)でオーダーメードのシャツを作る店を営む、磯島周吉と由子の夫婦を演じた鶴田浩二と八千草薫。2人は若い頃から幾度か共演している。 「稲垣浩監督の『宮本武蔵』3部作…
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八千草薫編(6)スポットが当たるのは妻がいなくなっておろおろする男の姿…ドラマが生まれる
「あめりか物語」(1979年、NHK)以降、八千草薫は「季節が変わる日」(82年、日本テレビ系)、「最後の航海」(83年、同)、「シャツの店」(86年、NHK)、「なつかしい春が来た」(88年、フジテ…
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八千草薫編(5)どの作品でもどこか恥ずかしそうに演技をするテクニック
1979年、八千草薫は山田太一脚本のNHKドラマ「あめりか物語」に出演した。この作品は日本からハワイのサトウキビ畑で働く日本人労働者に嫁いだ姉・良(十朱幸代)と、その弟でサンフランシスコへ移住した幸…
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八千草薫編(4)「岸辺のアルバム」は日本人と戦後を捉え直す意味でも多くの人に見てもらいたい
「岸辺のアルバム」(1977年)の中で、鈴木敏夫には忘れられないセリフがある。それは田島家の長女・律子(中田喜子)が、中絶手術につき合ってくれて、その時、手術の費用を払った弟・繁(国広富之)の学校の先…
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八千草薫編(3)山田太一が「岸辺のアルバム」に込めた戦後民主主義への問いかけ
個人を尊重する家族の在り方、暇な日常の中での妻の孤独。そんなリアルな家族を描いた「岸辺のアルバム」(1977年/TBS系)に、山田太一はどんな思いを込めたのだろうか。 「山田さんはこのドラマの…
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八千草薫編(2)「岸辺のアルバム」は“妻の孤独”を丁寧に描いた
1977年6月から9月にかけてTBS系で放送された「岸辺のアルバム」。このドラマは山田太一が初めて書いた新聞小説を、山田自身がシナリオ化した作品である。時代は70年代半ば。東京郊外の多摩川沿いに立つ…
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八千草薫編(1)宮崎駿のヒロインとも重なる「生活感のある女の子像」の根底にあるもの
鈴木敏夫がテレビのシナリオライターの中で最も好きだという山田太一。山田太一は1958年に松竹大船撮影所へ助監督として入社し、63年から映画の脚本を手掛けているので、脚本家歴は約60年。テレビでは65…
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緑魔子(6)60年代から70年代 他にない個性で異彩を放った映画女優として忘れられない人
緑魔子は「かも」(1965年)で初共演した石橋蓮司と、その後結婚(79年)。彼女は70年代初頭から演劇活動に力を入れ、75年には石橋と共に劇団第七病棟を結成する。映画館や銭湯を使って、独自の世界を作…