前田吟「男はつらいよ」を語る
-
(11)上田吉二郎さんを頼りに17歳で大阪から東京へ…いきなり別世界に放り込まれた
丁稚奉公から2年数カ月、激動の大阪時代に別れを告げ、場所を東京に移す。上京して時を経ずして、前田吟を取り巻く環境は一変する。 倉橋仙太郎先生の弟子に時代劇の大河内伝次郎さんがいます。その門下…
-
(10)人気番組「あなたをスターに」の準優勝は人生の分かれ道だった
劇団は潰れたが、新国劇の重鎮、倉橋仙太郎に拾われる。当時、よく淀川っぺりに出かけて声がかれるまで発声練習をしていたという。見聞きして覚えた外郎売りをやってみたこともある。四谷赤坂麹町 チャラチャラ流…
-
(9)住み込みの新聞配達アルバイトは寝過ごしてクビに…劇団は社長が逃げて潰れた
前田吟は住み込みで新聞配達のアルバイトを始めたのと同時に、劇団に通うようになったが、新聞販売店を3カ月でクビになる。しかし、業界の大物との出会いで役者として生きる道が開けていく。 劇団とい…
-
(8)劇団入学の通知が家具卸問屋の逆鱗に触れ、故郷に連れ戻された
リヤカーに左足を挟まれ、大ケガをしたが、翌年春ごろ(60年)にはリヤカーを引くことができるくらいまで回復し、役者になる思いを強くしていった。それが家具卸問屋の夫婦の逆鱗に触れる。 その頃、す…
-
(7)家具卸問屋に丁稚奉公に出て3カ月、リヤカーの車輪に足を挟まれて大ケガの大ピンチ!
防府の伯母の家にいづらくなった前田吟は高校を1年の1学期で中退する。次なる進路は一転して丁稚奉公だった。そこには「男はつらいよ」の「とらや」の隣、朝日印刷所で工員を演じる前田の原点があった。 …
-
(6)大阪に丁稚奉公に出る少年が役者を志すきっかけになった「西遊記」
前田吟は防府高校を1年の1学期で中退し、母親の知人が嫁いだ先の大阪の家具卸問屋に丁稚奉公に出る。そんな10代を送った少年が、後に俳優になって国民的な映画で活躍するようになるきっかけは何だったのか。実…
-
(5)実母と一緒に暮らすことはできず、一間の伯母一家と暮らし
実母と会ってから、前田吟の人生はさらに流転する。 結婚相手は防府の郵便局の本局の局長さんでした。母親は彼の初婚の相手ではなく、後妻に入りました。これは推測ですけど、向こうの人は母親が子供を産…
-
(4)若夫婦の旦那さん「高校に行けるように本当のお母さんに掛け合ってくる」
前田吟にとって母親のような存在。実の母、出生届が出された小倉の篤志家の名義だけの母、生後わずかの間、実母とともに乳飲み子の面倒を見た叔母、4歳で亡くなる養母、養父の妹、さらにその妹の娘……。そこに身…
-
(3)養父も亡くなり天涯孤独に「どっこも行くところがなくなった」
里子に出された後も前田吟の生活は転々とする。笑顔で飄々と語る「激動の10代」はいわれなき漂流のようでもあった。 4歳で養母の久代さんが亡くなり、家族は養父の種市さんと僕の2人だけになりました…
-
(2)車寅次郎と同じ非嫡出子として生まれ、3カ月で里子に出された
前田吟は車寅次郎と同じ、非嫡出子として生まれ、実の両親を知らずに育った。 僕が生まれ育ったのは山口県の防府です。山田洋次監督は大阪出身ですが、高校時代は僕と同じ山口(宇部)で過ごしたそうです…
-
(1)一緒に入った温泉で見た 渥美清の背中の「大きなノの字」の傷痕
防府天満宮そばで産湯につかり、捨て子同然にもらわれて育った少年がやがて役者となり、国民的映画「男はつらいよ」で憧れの渥美清と出会う。前田吟が初めて語る「男はつらいよ」。前田吟と寅さんの世界をお届けす…