石田純一 70歳のダンディズム
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芸能事務所の社長には「三浦友和のNGみたいな子はいらないのよ」と言われた
「演劇集団 円」では研究所所長だった渥美国泰さんと劇団本体が揉めていた。渥美さんは独立し、アクト青山ドラマティックスクールを立ち上げる。研究生はこぞってそちらに移ったが、僕は最後に思うところがあってと…
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橋爪功さんに「メチャクチャだな」と褒められ自信に
俳優でやっていけるのか。迷いはなかったのか。自信はあったのか。この連載の担当者からよく聞かれた。いくら就職がないとはいっても、早大商学部だ。普通に仕事を探せばいい。そうした“安定”を捨てて、米国に行…
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水商売のバイトをすると「匂い」が付くと思って皿洗いに
話をもう一度、「円」に戻そう。日本に戻っても、就職口がなく、「演劇集団 円」の研究生になったのだが、これは就職ではない。研究生はお金をもらえるどころか、「授業料を払う」のである。もちろん、正式な劇団…
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最初の結婚は一発必中のできちゃった婚
ここで話はちょっと相前後するが、最初の結婚のことを書こうと思う。実は早大商学部時代、できちゃったのである。それも一発必中だった。それで生まれたのが最初の息子、いしだ壱成である。 「できた」と言…
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同じ高校、野球の縁で橋爪功さんから「合格だ!」
「演劇集団 円」を紹介されて、入団試験を受けに行ったが、もう募集は終わっていた。米国から帰国したのが秋で、募集は2、3月にあるのだが、季節はすでに春になっていた。 劇団を訪ねたものの、門前払い…
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スッカラカンになって帰国のはずが…ラスベガスのカジノで勝った
親を説き伏せて、ようやく降り立ったロサンゼルス。僕が通った演劇学校は、パサディナプレーハウスという有名な劇場に一時、キャンパスがあったと聞いた。グレース・ケリー、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッ…
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「映画をやりたい」「だったら本場で」とアメリカに留学
池袋駅の東口を出て、線路沿いに歩いていくと、猥雑な風景が広がる。今でこそ、きれいになったが、僕が大学生だった1970年代の前半は雑居ビルに怪しい店がひしめいていた。2、3分歩くと文芸坐がある。個性的…
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高校時代は恋愛は苦手…愚図でふられた
こうして学生時代の思い出を書いているうちに、担当者から「石田さん、女性の話がなかなか出てきませんね」と言われた。ませたガキだったんじゃないか。ナンパに明け暮れていたのではないか。そんなふうに見えるの…
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300人に1人の難関校にいけたのは偶然の運
この連載の冒頭で、都立青山高校の同窓生の活躍ぶりを書いた。70歳になれば、「あれっ、誰だっけな?」とわからない同級生の方が多い。でも、みんな意気軒高。集まれば、刺激を受ける。学年の半分くらいが東大に…
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“伝説の殺陣師”高瀬将敏さんに生前「石田はケンカが強い」と褒められた
その瞬間、太ももに激痛が走った。黒い制服がどんどん、濡れていく。かなりの出血なのがわかった。ナイフを突き刺されたのである。 それはケンカの名門、私立K舘との殴り合いだった。よく覚えていないが…
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陸上とケンカに明け暮れた目黒四中時代の思い出
凝った西洋料理をつくるために自らフライパンを振るなど、ハイカラだけど、子どもには寡黙だった父親・武。自身の父が早逝したせいで、父親がどうあるべきか、わからなかったのではないか、と書いた。 一…
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野際陽子さんから「あなたよりお父さんの方が10倍格好良かった」と言われた
小学校時代にワルだった僕はずいぶん、母に迷惑をかけた。父に告げると怒るので、学校に呼び出されても内緒にしてくれた。 とはいえ、父は手を上げて、怒鳴るようなタイプではなかった。家では無口で、ま…
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小学校時代は暴れん坊に混じって悪ガキだった
6歳まで米国にいた僕は、NHKに勤めていた父の転勤に伴い、日本に戻った。今度の赴任先は大阪で、寝屋川市にあるNHKの寮に入った。映画に出てくるような豪邸が並ぶメリーランド州タコマパークからの引っ越し…
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なぜ僕は、安保法制反対のデモに出かけたのか
安倍政権が集団的自衛権を行使容認する安保法制を通そうとしたときに、居ても立ってもいられなくなった僕はデモに参加した。戦争だけはしてはいけない。世の中のほとんどの人は戦争をしたくない。それなのに戦争が…
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芸能人が老けないのはちゃんとした「理由」がある
芸能人は老けないと思っている方も多いだろう。どうせ、なにかやっているのだろう、金をかけていれば、そりゃ、老けないよね、などという声が聞こえてきそうだ。もちろん、体が資本なのだから、皆、それぞれ努力、…
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2度目に会ったら縁だと思って、必ずメールアドレスとLINEを交換する
ブリキのおもちゃ博物館で有名な北原照久さんが「3カン王になれ」と言っている。「3カン」とは関心、感動、感謝だという。つまり、3つのカンで3カン王。これが元気で豊かな人生のもとになる。そういう意味だが…
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40代半ばで毎日「走る」ことを習慣に きっかけはスキャンダルで干されたこと
体のメンテナンスといえば、「食」だけでなく「運動」も大事だ。昨年開いた「炭火焼肉 ジュンチャン」で後片付けを終えて、家に帰るのは夜中の1時過ぎ。それでも朝は6時か6時半に起きる。3人の子どもがベッド…
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壱成の母、最初の妻まりちゃんの影響もあり自然食に目覚める
僕の食生活に影響を与えたもう一人は、最初の結婚相手のまりちゃんだ。といっても、一緒に暮らしたことはない。早大時代に知り合い、「あなたの子供が欲しい」と言われ、学生結婚。壱成が生まれたが、役者を目指し…
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現在の食生活を決定づけた「おふくろ」の思い出
70歳になっても年だと思わず、挑戦を続ける。やりたいことに挑戦するのに「遅すぎる」ということはない。そうした“前向きさ”が若さを保つ力になる。そんなことを書いてきたが、そうはいっても気持ちだけでなん…
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若さの秘密は年齢を絶対に意識しないこと 男はたちまち前立腺が駄目になる
50代のころから「もう年だから」という類いのことは一切、言わないように心掛けている。そう言った瞬間、老け込むと思っているし、実際、友人がそうだったからだ。彼女にフられて「俺はもういけてないのかな」と…