語り部の経営者たち
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マダムトモコ武石麗子社長<3>巣鴨で洋服を買わない高齢女性
腰の曲がったお年寄りが美しく着こなせる婦人服で、特許を取得したマダムトモコの武石社長。相手にしてくれる企業は少なかったが、「ビジネスコンテストではそれなりの評価を得られました」と話す。川崎市のコンテ…
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マダムトモコ武石麗子社長<2>特許取得に込めた母への思い
腰の曲がったお年寄りが着ても美しく見え、しかも動きやすい婦人服を作るマダムトモコ。2003年当時、子供がいる専業主婦だった武石麗子社長は、たまたま八王子の実家へ遊びに帰っていた。そこで、母が「祖母の…
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マダムトモコ武石麗子社長<1>高齢者が動きやすい服で成長
加齢で腰の曲がったお年寄りにフィットし、動きやすい婦人服を製造、販売するマダムトモコ。2003年、当時子持ちの専業主婦だった武石麗子社長は、母が祖母の米寿の祝いにと手作りした洋服を目にした。腰の曲が…
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SPI篠塚恭一社長<7>要介護高齢者に五輪を生で見せたい
この20年で、介護に対する社会的な認識はかなり変わってきた。 「ようやく保険会社が、介護者賠償保険などの商品を作ってくれるようになりました」 「あ・える倶楽部」の介護旅行の基本は、オーダ…
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SPI篠塚恭一社長<6>手探りしながら風穴をあけていく
介護旅行事業はビジネスモデルもなく、まったくの手探りで始まった。 そもそも、ターゲットである要介護高齢者自身が、旅行に行けるとは思っていなかった。家族も含め、旅行できるわけがないと最初から諦…
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SPI篠塚恭一社長<5>大手旅行会社が切り捨てた客をすくう
篠塚がシニアをターゲットにした事業を考えているころ、高齢者福祉関係の海外視察に随行する機会が何度かあった。 「老人施設に挨拶に行ったりもしたのですが、そこが本当に人里離れた山の中で、ここまで追…
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SPI篠塚恭一社長<4>シニア層をターゲットにした事業を
1989年2月、義母の病気のために帰国した後、篠塚はフリーで添乗員の仕事を始める。 そんなとき、「会社を設立するので一緒にやらないか」と先輩からの誘いを受けた。 同年9月、観光開発事…
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SPI 篠塚恭一社長<3>カナダに永住するつもりだったが…
バブル時代に突入し、国内旅行、海外旅行ともに大きく伸びていくと、旅行の専門職である添乗員を育成しようという機運が高まっていた。1986年に施行された労働者派遣法は、当時はまだ13業種に限定されたもの…
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SPI篠塚恭一社長<2>添乗員として世界中を駆け巡る
篠塚のビジネス人生は、ツアーの添乗員から始まった。だからといって、特に旅行好きだったわけでも、英語ができたというわけでもない。 最初は、料理人になろうと思っていた。家庭の事情もあって、手に職…
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SPI 篠塚恭一社長<1>開始は20年前 介護旅行のパイオニア
筆者は、母親の介護をしていた当時、介護技術と旅の知識を併せ持つトラベルヘルパーの存在をテレビ番組で知った。 体の不自由な母親を旅に連れて行くのがどれほど大変なのか、ということは身に染みて分か…
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AOSデータ春山洋社長<4>18年間連続シェアトップの秘密
パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年間連続で業界トップシェアを維持している「AOSデータ」。陣頭指揮を執っているのが、4つの会社を渡り歩き、営業一筋で実績を上げてきた社長の春山洋だ…
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AOSデータ春山洋社長<3>東芝に買収されいきなり大企業に
「AOSデータ」は、パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年連続でシェアトップを記録し、現在はクラウドバックアップ「AOSBOX」を提供している注目企業だ。 社長の春山洋(62)…
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AOSデータ春山洋社長<2>必要な人に必要なモノを提供する
18年連続でシェアトップを記録しているパソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」を販売している「AOSデータ」。現在は、クラウドバックアップ「AOSBOX」を提供する、頼りになるエクセレントカン…
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AOSデータ春山洋社長<1>相手を知る…剣道で得た営業極意
パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年連続でシェアトップを記録している「AOSデータ」。現在は、会員数30万人を突破したクラウドバックアップ「AOSBOX」でトップシェアを狙う、業界…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<8>オール秩父を目指す
2004年に廃棄されそうになった羽生蒸溜所の400樽は現在、残すところ数十樽までに減っている。一方、秩父蒸溜所で造るウイスキーは毎年少しずつ増え、6000樽までになった。 そしていま、肥土は…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<7>秩父産イチローズモルトの誕生
国際基準では、3年の熟成年数があればウイスキーとして売り出すことができる。それでも肥土は、まだ3年では熟成感が足らないだろうと思っていた。 だから、秩父蒸溜所初の3年物は、「いま、こんな感じ…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<6>念願の蒸留所設立
2004年に会社を立ち上げ、羽生蒸溜所から受け継いだ原酒を商品化しながらも、肥土は新たな蒸留所づくりの準備を進めていた。 蒸留所設立にあたって、一番の課題は莫大な設立資金をどう調達するかとい…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<5>大手とは同じ土壌で戦わない
まったく無名のウイスキーをどうやって売っていけばいいだろうと考えたとき自らがサントリーの営業マンだった経験から、同じやり方では絶対勝てないということは分かっていた。 日本一のウイスキーメーカ…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<4>原酒を預かってくれる救世主が現れる
ウイスキーの魅力に目覚めた肥土にとって、400樽ものウイスキーの原酒が廃棄されるのは耐えがたいことだった。なかには、20年近く熟成した原酒もある。 「20歳近い子どもたちを見捨てるわけにはいか…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<3>原酒400樽は廃棄の危機に
1994年、「会社の経営状態が思わしくない」と言う父を手伝うべく家業の造り酒屋に戻った肥土ではあったが、思った以上の危機的状況にあることに愕然とする。 その一方で、初めて酒造りに関わることの…