語り部の経営者たち
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SPI 篠塚恭一社長<3>カナダに永住するつもりだったが…
バブル時代に突入し、国内旅行、海外旅行ともに大きく伸びていくと、旅行の専門職である添乗員を育成しようという機運が高まっていた。1986年に施行された労働者派遣法は、当時はまだ13業種に限定されたもの…
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SPI篠塚恭一社長<2>添乗員として世界中を駆け巡る
篠塚のビジネス人生は、ツアーの添乗員から始まった。だからといって、特に旅行好きだったわけでも、英語ができたというわけでもない。 最初は、料理人になろうと思っていた。家庭の事情もあって、手に職…
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SPI 篠塚恭一社長<1>開始は20年前 介護旅行のパイオニア
筆者は、母親の介護をしていた当時、介護技術と旅の知識を併せ持つトラベルヘルパーの存在をテレビ番組で知った。 体の不自由な母親を旅に連れて行くのがどれほど大変なのか、ということは身に染みて分か…
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AOSデータ春山洋社長<4>18年間連続シェアトップの秘密
パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年間連続で業界トップシェアを維持している「AOSデータ」。陣頭指揮を執っているのが、4つの会社を渡り歩き、営業一筋で実績を上げてきた社長の春山洋だ…
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AOSデータ春山洋社長<3>東芝に買収されいきなり大企業に
「AOSデータ」は、パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年連続でシェアトップを記録し、現在はクラウドバックアップ「AOSBOX」を提供している注目企業だ。 社長の春山洋(62)…
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AOSデータ春山洋社長<2>必要な人に必要なモノを提供する
18年連続でシェアトップを記録しているパソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」を販売している「AOSデータ」。現在は、クラウドバックアップ「AOSBOX」を提供する、頼りになるエクセレントカン…
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AOSデータ春山洋社長<1>相手を知る…剣道で得た営業極意
パソコンのデータ復元ソフト「ファイナルデータ」が18年連続でシェアトップを記録している「AOSデータ」。現在は、会員数30万人を突破したクラウドバックアップ「AOSBOX」でトップシェアを狙う、業界…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<8>オール秩父を目指す
2004年に廃棄されそうになった羽生蒸溜所の400樽は現在、残すところ数十樽までに減っている。一方、秩父蒸溜所で造るウイスキーは毎年少しずつ増え、6000樽までになった。 そしていま、肥土は…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<7>秩父産イチローズモルトの誕生
国際基準では、3年の熟成年数があればウイスキーとして売り出すことができる。それでも肥土は、まだ3年では熟成感が足らないだろうと思っていた。 だから、秩父蒸溜所初の3年物は、「いま、こんな感じ…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<6>念願の蒸留所設立
2004年に会社を立ち上げ、羽生蒸溜所から受け継いだ原酒を商品化しながらも、肥土は新たな蒸留所づくりの準備を進めていた。 蒸留所設立にあたって、一番の課題は莫大な設立資金をどう調達するかとい…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<5>大手とは同じ土壌で戦わない
まったく無名のウイスキーをどうやって売っていけばいいだろうと考えたとき自らがサントリーの営業マンだった経験から、同じやり方では絶対勝てないということは分かっていた。 日本一のウイスキーメーカ…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<4>原酒を預かってくれる救世主が現れる
ウイスキーの魅力に目覚めた肥土にとって、400樽ものウイスキーの原酒が廃棄されるのは耐えがたいことだった。なかには、20年近く熟成した原酒もある。 「20歳近い子どもたちを見捨てるわけにはいか…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<3>原酒400樽は廃棄の危機に
1994年、「会社の経営状態が思わしくない」と言う父を手伝うべく家業の造り酒屋に戻った肥土ではあったが、思った以上の危機的状況にあることに愕然とする。 その一方で、初めて酒造りに関わることの…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<2>営業現場を志願したサントリー時代
実家は、江戸時代から続く造り酒屋。1941年、肥土の祖父が株式会社化して事業を広げ、焼酎やウイスキーなどの製造も開始する。 肥土自身は、酒造りに対する関心も、会社を継ぐという使命感ももとから…
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ベンチャーウイスキー肥土伊知郎社長<1>世界が欲しがる「イチローズモルト」
長らく冬の時代に耐えていたウイスキー業界が、わが世の春を迎えようとしている。 国内でも数年前からハイボール人気の復活などにより親しまれるようになってきているが、注目すべきはジャパニーズウイス…
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湖池屋・佐藤章社長<7>「二番煎じはやらない」がポリシー
「湖池屋のポテトチップスは100%、国産じゃがいもが原料です。国産の原料、職人のプライド、創業者の情熱。この3つがうちの商品には詰まっています」 一昨年、湖池屋の社長に就任した佐藤章はCIの導…
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湖池屋・佐藤章社長<6>マーケッター社長と呼ばれたワケ
湖池屋社長の佐藤章はキリンビールで数々のヒット商品を連発した男だ。湖池屋に来る前はキリンビバレッジの社長をやっており、「マーケッター社長」と呼ばれていた。 「マーケッターというよりも、僕の場合…
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湖池屋・佐藤章社長<5>日本人は年に3袋ポテチを食べる
湖池屋は日本で最初にポテトチップスを量産した会社だ。社長の佐藤章は2年前に着任して以来、CIでコーポレートマークなどを刷新。彼が陣頭に立って開発した新製品の「プライドポテト」を大ヒットさせた。 …
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湖池屋・佐藤章社長<4>カルビーと戦うには“新しい価値”を
「僕が初めてポテトチップスを食べたのは小学校低学年の時、おそらく1960年代の後半ですよ。もちろん湖池屋です。だって、カルビーさんは、まだその頃はえびせんだけで、ポテトチップスは出していなかった(カル…
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湖池屋・佐藤章社長<3>商品開発はプレゼントを考えること
湖池屋は日本で最初にポテトチップスの量産化に成功した会社だ。社長の佐藤章は元キリンビバレッジ社長。ビール、飲料の業界では数々のヒット商品を世に出した男として知られている。 彼が最初にヒットさ…