語り部の経営者たち
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C Channel 森川亮社長<3>“青田買い”で日本テレビに入社
筑波大に入ってまもなくアルバイトを始めた森川氏。最初がピザ専門レストラン。その後もソバ屋、ラーメン屋、喫茶店と飲食店ばかり勤めた。ウエーターだけでなく、キッチンに入って調理もしたという。 「大…
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C Channel 森川亮社長<2>五木ひろしのバック歌手の経験も
小学校4年の時に入った合唱団で森川少年が担当したパートはボーイソプラノ。そのころは今と違って歌番組もたくさんあり、テレビのスタジオに行って、いろいろな歌手のバックコーラスを務めた。 「当時、も…
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C Channel 森川亮社長<1>LINE前社長が立ち上げた新事業
ファッションを中心とした女性向け動画配信サイトを運営するC Channel(東京・港区)。月間動画再生回数は6億6000万回超えという驚異的な数字を叩き出している。7月には若い女性に人気のハンドバッ…
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サラヴィオ化粧品・濱田拓也社長<4>進化するために謙虚で
「数年前のNTTドコモのCMで、『たった3年で人生は変わる』というキャッチコピーがありましたが、本当にそうだなと思います。大分の“ザ・田舎の少年”だった私が、今や東京を拠点に営業活動をしているわけです…
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サラヴィオ化粧品・濱田拓也社長<3>藻がアトピーに効果
アトピーや薄毛で悩んでいる人のために、研究の外部委託はやめ、自社で研究所をつくろう。会社の方針は決まったものの、問題は「優秀な人材をどう確保するか」だった。 家族ぐるみで付き合いのある大学教…
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サラヴィオ化粧品・濱田拓也社長<2>商売人で終わるのか
父親の建設会社では不動産部門や、ダイニングバー運営などの飲食部門も担当した。まだ10代のその頃、サラヴィオ化粧品誕生のきっかけとなるアドバイスを受ける。 「地元の大分は味噌や醤油、日本酒などの…
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サラヴィオ化粧品・濱田拓也社長<1>別府温泉の藻を解明
小学5年生のころから、日本を代表する温泉地、大分県別府市で育った。 「生まれは(大分県の)豊後高田市ですが、川に行って釣りをしたり、ヘビを捕まえて振り回して遊ぶような“ザ・田舎の少年”でした。…
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壱角家・國松晃社長<4>M&A最大のメリットは好立地の入手
経営不振の飲食チェーンを次々と買収、再生していくガーデン。買収した会社では、社長や役員クラスの経営陣には辞めてもらうことが多いが、それ以外は社員からアルバイトまで、原則、雇用を維持するという。國松氏…
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壱角家・國松晃社長<3>外で遊べば新しいアイデアが浮かぶ
飲食チェーンのM&Aでラーメンの「壱角家」、「情熱のすためしどんどん」などを展開する、ガーデン社長の國松晃氏。國松氏が28歳となる2003年ごろからは、それまでのカラオケ店に加え、飲食チェーンの買収…
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壱角家・國松晃社長<2>反町隆史に勝つために考えた“秘策”
横浜家系ラーメン「壱角家」をはじめとする数々の飲食チェーン店を買収して再生する、ガーデンの國松晃社長。高校生から20代半ばまでは、ファッション雑誌などでモデルを務めた。 「オーディションのライ…
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壱角家・國松晃社長<1> 高校時代はモデル業で月収150万円
横浜家系ラーメンの「壱角家」、巨大な看板が目印の「情熱のすためしどんどん」など、サラリーマン・OLなら繁華街で一度は目にしているチェーン店を複数展開するガーデン。赤字に陥った飲食チェーンを次々に買収…
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二木・二木正人社長<4>プライベートブランドを武器に成長
二木の菓子はかつて、安さの代名詞にもなっていた。 「高度経済成長の時代には、安さを前面に出して薄利多売の商売をしていました」 実は、お菓子業界は驚くほど薄利で、利益がたった1%ともいわ…
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二木・二木正人社長<3>お菓子とゴルフ会社兼任で悪戦苦闘
二木社長には、忘れられない悪戦苦闘の日々がある。 1998年「二木の菓子」の社長に就任、引き続き翌年には「二木ゴルフ」の社長も兼任することとなった。わずか4年の間に、創業者である父と、二木ゴ…
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二木・二木正人社長<2>総合雑貨の安売り事業が大成功
高校までの二木社長は、おとなしくて自信のないタイプだったという。 転機は立教大時代。アメフトの選手だった兄の影響を受け、アメリカンフットボール部に入部したことがきっかけだった。 強豪…
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二木・二木正人社長<1>日本一の品揃えを誇る菓子専門店に
「ニキ、ニキ、ニキ、ニキ」と初代林家三平が連呼するインパクトの強いCMで知られる「二木の菓子」は、アメ横のシンボル的存在となっているお菓子の小売り・現金問屋だ。昨年11月、2代目林家三平によって、連呼…
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大幸薬品・柴田高社長<4>「正露丸」頼みにならない強み
ラッパのマークで知られる「大幸薬品」の柴田高社長は2004年、副社長に就任した。48歳のときだ。もともと柴田は、大幸薬品の創業者一族である。 大幸薬品が成長するのに伴い、同族企業の限界を感じ…
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大幸薬品・柴田高社長<3>画期的商品クレベリンが大ヒット
「正露丸」で有名なラッパのマークの大幸薬品の柴田高社長が、市立豊中病院の外科部長を辞めて大幸薬品の取締役副社長に就任したのは2004年11月。48歳のときだ。腕のいい外科医だったが、家業である大幸薬品…
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大幸薬品・柴田高社長<2>正露丸のメカニズムを初めて解明
胃腸薬「正露丸」でお馴染みのラッパのマークの大幸薬品。社長の柴田高は、創業者一族の一人であり、もともとは、腕の良い外科医である。 1981年6月、阪大医学部第2外科から大阪府立千里救命救急セ…
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大幸薬品・柴田高社長<1>元外科医で“白い巨塔”モデルに師事
正露丸で知られるラッパのマークの「大幸薬品」。創業71年の老舗企業だ。 大幸薬品を正露丸に頼る企業から脱皮させ、新風を吹き込んだのが現社長の柴田高である。副社長に就任した当時、上場も果たして…
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鈴与・鈴木与平会長<7>機内サービスはアットホーム
江戸時代から続く総合物流業の鈴与はグループ会社を140社、擁している。なかにリージョナル航空の「フジドリームエアラインズ」(FDA)、サッカーの清水エスパルスもある。異質な企業を抱えている理由につい…